自虐的な快感を得るために、気がつくと小さな不幸を探している自分がいる。
自分は(普通の意味での)特別な能力とか才能、他人より秀でたものを持ち合わせていないことは、このくらいの年齢になるともう大体わかっている。
そしてこれはボンヤリとした「なんとなく」の感覚じゃない。
今まで色々経験してきたいわゆる「勝負事」。
高校・大学受験、就職試験、運動会の駆けっこ、部活動の試合、恋愛、親・兄弟・姉妹・友達との喧嘩、日々の生活での些細な会話、人間関係で自然と出来上がる上下関係・序列。
こんな感じの具体的で実質的な経験の積み重ねによって裏付けられた、決して「なんとなく」ではない実感。
これが下支えとなって、大多数の人間は大人になるにつれて、自分が取るに足らないなんでもない人間だと気付いて、心の中で折り合いをつけていく。
でも僕はまだ未熟だからか弱いからか、そこにコンプレックスを感じてしまう時がある。
そんなとき僕は身の回りの小さな不幸を探す。そして自分の頭の中で自分はことさらに恵まれていなくて可愛そうな存在だと強調する。
すごく間単に言えば、「ダメさにおいて俺は特別だ」という方向にもっていく。こんなことは限りなく不毛で虚しいことはわかりきっているのに。
自虐的な快感を得るために不幸を探し、その行為そのものによって自己嫌悪に陥りまた不幸になる。
この悪循環から抜け出せる日は来るのだろうか。