自虐的な快感を得るために、気がつくと小さな不幸を探している自分がいる。



自分は(普通の意味での)特別な能力とか才能、他人より秀でたものを持ち合わせていないことは、このくらいの年齢になるともう大体わかっている。


そしてこれはボンヤリとした「なんとなく」の感覚じゃない。


今まで色々経験してきたいわゆる「勝負事」。


高校・大学受験、就職試験、運動会の駆けっこ、部活動の試合、恋愛、親・兄弟・姉妹・友達との喧嘩、日々の生活での些細な会話、人間関係で自然と出来上がる上下関係・序列。


こんな感じの具体的で実質的な経験の積み重ねによって裏付けられた、決して「なんとなく」ではない実感。


これが下支えとなって、大多数の人間は大人になるにつれて、自分が取るに足らないなんでもない人間だと気付いて、心の中で折り合いをつけていく。


でも僕はまだ未熟だからか弱いからか、そこにコンプレックスを感じてしまう時がある。


そんなとき僕は身の回りの小さな不幸を探す。そして自分の頭の中で自分はことさらに恵まれていなくて可愛そうな存在だと強調する。


すごく間単に言えば、「ダメさにおいて俺は特別だ」という方向にもっていく。こんなことは限りなく不毛で虚しいことはわかりきっているのに。



自虐的な快感を得るために不幸を探し、その行為そのものによって自己嫌悪に陥りまた不幸になる。


この悪循環から抜け出せる日は来るのだろうか。

昼に起きて飯食ってゴロゴロしてクソして寝る。そんな毎日も良いじゃない。



子供の頃は、漠然と全てが欲しかった。なんでも手に入るもんだと思い込んでいた。


でもこの頃思うのは、年を重ねることと失うことと諦めることは、ほとんど同義だということだ。


だから人間は生きていきながら、新しいものを見つけなきゃいけない。もしくは作り出さなきゃいけない。



でも人間は、探し出したものや作り出したものがホントに必要なものだったのか、望んだものだったかわからなくなってしまう時がある。


でも不安だから、欲しいから、どんどん探し出すし作り出す。そこには快も不快も潜んでいる。


でもそれをやめることはできない。それをやめるのは、人類の営み全てがなくなるのと一緒だ。さすがにムリな話だ。


だから人間は誰しも哀しい宿命を背負わされた存在なのだ!ちょうどショッカーに改造人間にされた仮面ライダーのように!


それは少し違う気がする。



今年もあと少しで終わる。まあそれも良いじゃない。


今年に置いときたいものは残したままで、持ち越したいものは来年に持ち越して、それも良いじゃない。


楽しいことを置いてったって、悲しいことを持ち越したって、それも良いじゃない。



多分、明日の自分も明後日の自分も来年の自分も、同じ自分なんだから。多分ね。

月曜日だ。


週明けは大体憂鬱だ。今までの月曜日であんまり気分ハツラツだったことはない。


日曜日も割と憂鬱だ。特に夕方とかは。


一週間の中で一番憂鬱度が低いのは土曜日とか金曜日とか、あと平日の真ん中の水曜日も意外に憂鬱度は低いと思う。


たまに夜寝るときに布団の中で「寝たら明日になってしまう!!どうしよう!!」と思うことがある。でも寝ないで明日になってしまったら寝不足でそれこそ大変だと思う。



冬空の下で太陽に照らされながらマックのプレミアムなんたらコーヒーを片手にあてもなくちょっと良い気分で近所を散歩して家に帰り手洗い・うがいをするために洗面所に立ち鏡に映るなんとも冴えない風体の男を見て急激に醒めて現実世界に戻る。てなことがたまにある。



時間の経つことのなんと早いことか!


「年をとるのも悪くないよ」とか「苦しみも悲しみも永遠に続くのなら、終わりがあるのは救いでもあるんじゃないかな」とか、わからないでもないけど。まるで実感に沿わない。


なるべく時間は経たないでほしいし、なるべく年はとりたくないし、出来るなら永遠でありたい。この思いの火種を完全に消し去ることはムリだ。


欲深いくせにその欲求はゼッタイに満たされないことを知っている。そんなこんなで今日も終わってまた明日になる。