無能な人間。その無能によってますますつまらなくなる人間。


人間的魅力のない人間。


誰もが成長の過程ですんなり超えてきたハードルをことごとく越えられなかった人間。


不満を溜め込む人間。


そのうえ何も努力しない人間。


まわりを嫉妬する人間。


でも一歩も踏み出さない人間。


自分が嫌いな人間。


まわりの全てが気に食わない人間。


でも変わろうともしない人間。



結局超えられない「壁」があるんだろう。今から動きだしたって、何か始めたって、とうてい変わらないし、敵わないし。

ここまではっきりさ、人間的魅力とか能力とかさ、自分と差があるとさ、なんかもうどうでもよくなるよ。


ただモヤモヤが溜まるだけでさ。

しかも俺は立ち止まってるけど、彼らは常に動いてるもん。遊びでも趣味でも勉強でも。


思うんだよ。この年になると。やっぱり「お前あの頃はバカやってたよな~」とか「ほんとくだらね~」とか「よくそんなバカみたいなことできるよな~」とかさ、言ってたけど。

そういうことできる奴が最終的に勝ちなんだよ。普通の意味での。面白みが溢れてて自然と周りに人が集まってきてさ、それなりに苦労もして努力もしててさ、違うな~と思うよ。俺みたいなタイプとは。

だって俺にはできないもん。彼らはやろうと思えばできるし、やらないこともできる。わかるかな~、ココなんだよ、違いは。


薄っぺらいと思うよ。ホント。嫉妬もとおり越してさ、ただ自分が虚しいよね。なんか泣けてくるよ。


どうして俺はここまでつまらない人間になったかね。毒を溜め込むだけのさ。達観できれば良いんだろうけどね。「みんなちがってみんないい」みたいな。


そこはまだホラ、若いからさ、気持ちが。むずかしいよ。


結局どんな風になれば俺は満足なんだろうって、考えることもあるけど。わっかんないよね。

リア充っていうの?それなりに仕事も趣味も充実してさ、恋人もいて。さらにどっちが上か下か、みたいな客観的な評価には縛られない自由人でさ。

そうなったら満足なのかな。なれたらいいとは思うんだけどね。


縮こまった人間になったよ。くどいようだけど、ほんとに。本音を言えるような友達もいなくてさ。ただ付き合いで笑うだけなの。一生懸命「自分今楽しんでます~」って空気出してさ。大笑い。

愛想笑いのバーゲンセール。んで帰りの電車の中で沈んでるわけ。心底「楽しくなかったな~」てね。


あまり自分を卑下しない方がいいとは思うよ、俺だって。でもどう贔屓目にみたって負けてるもん。人として。勝ち負けとかじゃないって気持ちもわかるけどね、そもそも何が勝ちかっていう。


でも「差」はあって当然。なきゃつまんないよ。努力を推奨するくせに、人それぞれ違うからって言う人の気が正直知れない。

努力の先にあるのは最終的には、客観的な勝ち負けだからね。


結局自分のくだらなさ、つまらなさが一番嫌なんだ。それを心の底から実感してんのに、どうすることもできないし、しない自分が嫌でね。勝手に打ちひしがれておめでたい奴だな~とは思うけどさ。


ほんと、自分の無能さがどんどん自分をダメにしていくよ。差は開くばっかり。でもこんな風に考えてる人、多いと思うんだよな~。

特に認められたくもないし、褒められたくもないし。


まあそれは期待したところで叶わないからなんだけども。


なのになんで一丁前に、喜怒哀楽の感情をもち合わせているんだろうか。


他人の視線に恐怖したり、罵詈雑言を浴びせられたら不快になったり、ウンコとかチンコとか言って笑ったりするんだろうか。


嫌な事とか辛い事とか悲しい事の方が圧倒的に多くて、ほんのちょっとスパイス程度に楽しい事があるだけなら、いっそのこと何も感じない身体に改造して欲しいと思う。


完全にフラットな状態、ゼロの状態で、プラスにもマイナスにも揺り動かない感じにして欲しいと思う。


何もかも面倒臭く感じられてどうしようもないとき、ふっとそんなことを考える時がある。


義務的にやらなきゃいけないことだけ片付けて、後はもういいや、みたいな。



僕は、「楽しい事が少ない」よりも、「辛い事が多い」方がイヤだ。「楽しい事が増える」よりも、「辛い事が減る」方を優先したい。


だからどうした感が強い話だけど、なんとなくそう思った。多分僕は相当ダメなんだと思う。


でも僕は、「そんなことないよ」って言ってもらうのを心の中では期待しながら、「俺ってダメ人間だから」とか言う輩を軽蔑している。


結果、自分を軽蔑している。

「自分がされたら嫌なことは、他人にはしないようにしましょう」っていうのは、


「自分がされても不快じゃないことは、他人にとっても不快じゃないだろうから、容赦なくしてもいいんですよ」っていってるのと同じだと思う。


「違うよ」っていう人がいても、ゼッタイに同じだと思う。


「そんなことないよ」っていう人がいても、ゼッッタイに同じだと思う。



「相手の気持ちを考えましょう」ということを、大声で説いている人ほど、驚くほど人の気持ちを想像できていなくて、これはまったく驚くべきことで、まったく恐るべきことだ、と僕は思う。



だって、そういう人は自分にとって「コレは快で、アレは不快だ」っていうのを、人類の全ての人間にとって共通のものだと信じて疑わないから。これはまったく恐るべきことだ、僕は思う。




昔、ダンゴムシが苦手な友達がいた。


虫が苦手な人は多いし、好きな人はあんまりいない。


だからその友達はダンゴムシが苦手なこと自体で非難されたりはしなかった。


まあ、冗談っぽくダンゴムシを「ホレホレ~」とかされたりはしてたけど。




昔、僕は犬が苦手だった。特に吠える犬が怖かった。


犬が苦手な人はいるけど、少数派だし、何より犬を好きな人の方が多かった。


だから僕は「こんなにかわいいのにどうして?」とよく言われた。「動物を愛せない人間は心が貧しい」的なことを言われたこともある。


僕は子供心に「ダンゴムシが苦手なA君と、犬が苦手な僕では、なぜこんなに扱いが違うのだろうか?」と思っていた。



こんなことを思い出した。