Grave | ああいえBAR 旧館・支那竹銀座より

ああいえBAR 旧館・支那竹銀座より

「支那竹銀座」はラーメンズ小林賢太郎さんに名付けてもらいました。
負け犬というよりバカ犬。飼い主には従順素直。
悪そうなヤツや知らない人には、吠えたり噛み付いたり。
エサくれたら恩は忘れません。面白いエンタメを求めて日々彷徨っています。

部屋をごそごそ。

 

きっかけは墓の移転問題である。

母方の叔母に連絡を取りたいのだが

長年、疎遠にしていたため名前が出てこない。

困った…。

 

もう一人の叔母とは、年賀状のやりとりをしているので

尋ねればいいものの、名前も思いだせないというのは

いくらなんでも失礼だ。

 

昔のアルバムを辿る。

母の手書きの写真キャプションに

名前はないだろうか…

写真すらなかった。

 

というのも、母方の祖母と

その叔母というのが、嫁姑問題が激しく

小姑の立場にあたる我が母とも

あまり仲が芳しくなかったようで…

 

しかし、実は母方の祖母が亡くなったあとも

我が母が亡くなったあとも、

母方の墓守をしてくれていたのは、

その叔母だったらしい、のだ。

 

嫁姑の問題は、天国に行く前に

解消しておくべきであると、つくづく思う。

(ちなみに、その肝心の夫にあたる

我が叔父は、40代ぐらいで

ぽっくりと亡くなってしまっていた)

 

禁断の母の日記を開こうか…

 

結婚前から、家庭を彼女が自らの手で

壊すまでの間、つけていた一行日記が

今、我が家にこっそり眠っている。

そこにヒントはないだろうか…

 

母との辛い思い出を探ることになるので

私は、この作業が苦手だ。

が、そうも言っていられない。

ここを乗り越えないと、「終活」が止まってしまう。

 

…結果、叔母のヒントは見つからなかった。

が、叔父がバツイチだったことが判った。

そこは、私の幼少期の記憶となんとなくリンクするのだが

母と祖母が、真剣な顔で「お祓いしてもらった」と

遅く帰ってきた時があった。

あれは、その×が付いた頃だったのかな、と、ふと思う。

 

私はその叔父の事が、とにかくとにかく大好きで

「結婚する!!」と宣言していた。

なので、叔母さん(今、私が連絡を取らなきゃいけない

名前が思い出せない叔母さん)に

ヤキモチを焼いていた、というわけだ。多分。

それで、名前を忘却したと…いうことだったりして。

 

嫁姑問題もやっかいだが、

幼児の決して叶わぬ片思い問題も厄介だな…。

 

結局、なんとーなく、フワッと思いだした(平仮名で)ので、

それを頼りに、連絡の取れる叔母に手紙を書いた。

さて、つながるか。母方の嫁たちと、孫娘(私)の縁。

 

他にも禁断の日記で、私の幼少期の話が

出てきたので、また追々書いて行きたい。