記憶の

止まっていた時が動き出す。

 

セピア色だった画像に、息が吹き込まれたように動きと色が戻って来る。

そんな原体験が、昨日突然振りかかって来た。

 

今まで、近づけなかった何かの扉が開いて、記憶の糸が巻き戻っていく。

 

私は教室にいた。

 

原体験の

私は小学3年生。

教室に、私の描いた絵と、クラスメートの描いた絵が並べられて黒板に貼られている。

 

先生とクラスメートが見守る中、どちらの絵をクラス代表の絵として選ぶのか、話をしている。

 

私の絵は、蝋燭を持って、着物を着ている横顔の女性、正確には人魚姫が描かれていた。何かの物語の一場面を描いていたと思う。

 

クレパスと水彩絵の具で描かれていて、背景に色が塗られていない。私は何か色をのせると、この世界観が崩れてしまう気がしていた。

どの色も適切ではない。空間を何かで埋めてしまうのは、違う。

 

今なら、この人魚姫の心境が伝わるような背景の色を選んで、注意深く滲ませながら、空気や光を描く術を知っている。

 

でもその時の私は、怖くて何も出来なかった。

壊したくない透明な世界。

でもどうしていいのか分からなかった。

 

何も塗らない。ありのままの背景。

その何もない空間に、何かを感じながら、でもこれ以上何も手を入れられず、透明な空気に色も形もつけず、そのままにして、完成品として提出したのだ。

 

私はただ、その事を誰かに分かって欲しかった。

その時に出来る最善の選択の末、辿り着いた絵を分かって欲しかった。

 

もう一つの絵は、真っ黒かと思うぐらい、全体のトーンが濃く塗られていて、色も形も力強かった。

しっかりと存在感のある絵で、何が描かれてあるのか誰にも分かる。誰も何故?と疑問を差し挟むことのない絵だった。

 

私の絵の背景のなさは、何故なのか?と言う疑問を呼んだと言うよりは、背景を塗る時間がなかったのか、手抜きなのか、そもそも完成していないのではないか?と言う印象を与えたようだ。

 

比較された絵を見た時に、自分の絵の印象のなさを見せつけられた気がしてしまった。

 

繰り返されるパターンの原型

透明感、優しさ、静けさ、空間の表現は、弱々しく、強烈なインパクトを人の眼に植えつけない。

 

故に、そんな絵の前を、人は目に留まらないとばかりに通り過ぎ、色や形や線のはっきりした強烈な印象を残す画像に惹きつけられて、それを高く評価する。

 

これは、私の写真作品を見せて、繰り返し起こるパターンそのものだった。

その原型は、この小学生の原体験にあったのだった。

 

小さく弱かった私。

自分の表現を信じきれず、周りの雰囲気や人達の意識に飲み込まれる私。

 

「せおさんの絵はとても上手なのだけど、背景がなくてさみしいわね」

 

先生の声が頭に響く。

 

もう一つの絵がクラス代表として選ばれた。

 

私は、とても寂しく悲しくなった。

 

やっぱりそうなんだ。

私の絵はダメなんだ。

好きなように描いても、分かってもらえない。

周りの期待したものを描かないと、評価されないんだ。

もっと時間があれば、試せたかもしれない。

もっと時間をかけて描きたかった。

でも時間に間に合わない私が悪いんだ。

 

無数に積み重なっていく、自己否定の言(こと)の葉の層。

落ち葉のようにどんどんと降り積もっていく。

 

悲しくて寂しい気持ちと一緒に折り重なって、折りたたまれて、胸の奥に硬い硬い塊になって沈んでいく。

 

ここの世界

私は涙を流していた。

硬い記憶の結晶が緩んで溶けていった。

胸のつまりが取れていくかのようだ。

 

息が出来る。

胸の痛かった所から、何かがスッキリと流れていくのを感じた。

 

記憶の物語が終わり、大人に戻った私は、白い部屋にいて、椅子に座って、大勢の目に囲まれていた。

怖かった目が、優しい温かい想いに包まれた眼差しに感じる。

 

優しく温かい男の人の声が聞こえた。

 

「ここまで聞いたら、れいちゃんの写真、見たいよね」

 

「見たい!」

 

その瞬間、優しくて美しい世界の腕に私は抱かれていた。

遠い昔にいたあの世界に再び帰って来れたのだった。

 

救われた。

 

私のこころは、優しい手にすくいあげられていた。

 

文字通り、救われたのだった。

 

涙が溢れて来た。

今ここで、もう一度、書きながら、丁寧にその時の気持ちを味わった。

涙がもっと溢れ出て来て、更に深い所まで、光が注ぎ込むように身体が開かれていく。

 

本当のこころと繋がる

後で、あの事が起こる前の小学2年生の時に描いていた、アマリリスの絵を見た。

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幼い頃の自分の眼差しと再会した気がした。

上手く描こうとか、周りに認めてもらおうとか、そんな事は微塵も考えず、ただ楽しく描いていた、あの頃の私がそこにあった。

 

あの時描き切れなかった「空」(くう)の世界。

 

私は、今、写真でそれを表現しようとしている。

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あの頃のこころと、今の私の眼差しが繋がった時、世界はまたどう見えるのだろうか。

 

これからも、それを探求しながら、作品を創っていきます。

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(撮影:iPhone11)

*元作品はフィルム撮影

 

 

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*涙の解放が起きたホリスティック・ライフコーチの講座。

上記のこころの旅のナビゲーターは、

天才講師、ライフコーチかめちゃんでした。

かめちゃん、受講生の皆さん、有難う!