在留邦人の生命と安全の責任は誰にある!? | 方丈随想録

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戦争責任というと、日本の場合、東京裁判で決着がついた。それは連合国サイドの政治的決着であった。東京裁判ではA級戦犯が裁かれたが、B級やC級の戦犯はアジア各地で裁かれ、有罪と見なされれば絞首刑や銃殺に処せられた。こうした連合国によって裁かれたのは、連合国や占領地域に対する行為を処罰するものだった。ともあれ、「戦犯」とされた人たちが処刑され、あるいは禁固刑に処されて一件落着したのだが、一つ忘れられていたことがあった。それは戦争において被害を受けた国民に向けては、戦争責任は問われなかった。

戦争責任を問われても当然のような人物が免責されて、戦後を安穏に生活を送ったのだ。異論は当然あると思うが、例えば石原莞爾だが、板垣征四郎がA級戦犯で絞首刑にされていて生き延びる理由はない。あるいは、インパール作戦を強行した牟田口廉也にしても、お構いなしでは済まないだろう。それはさておき、ソ連軍の日ソ中立条約を反故にしての侵攻によって、満蒙で暮らしていた日本人に襲い掛かった悲劇の責任は誰にあるのだろうか。条約違反をしたソ連、あるいは暴虐なソ連兵や匪賊び責任を押し付けて終わりにしてきたのではないだろうか。

大陸に派遣された軍隊の規模でいうと、当初は関東軍が最大規模を誇っていた。しかし、日華事変が拡大し、更に東南アジアまで戦線が拡大されると、関東軍は大幅に縮小された。日ソ中立条約の信頼性を軍部がどう理解していたかは知らないが、日米戦争がたけなわの時期には、満州は貧弱な防備にもかかわらず平和を満喫していたのだ。それがソ連軍の侵攻によって、一転地獄絵図と化したのだ。満蒙に居住していた日本人を本土に帰還させることはできなかったのか。日本政府は結局「棄民政策」をとったのだが、その責任者は誰だったのだろうか。弱体化した関東軍は満州の南部に防衛線を設定した。関東軍に邦人を保護するゆとりはなかった。では、外務省の職員は邦人保護に努めたのだろうか。機密書類を処分して、真っ先に逃げ出したのが外交官以下の外務省職員だった。

以上、満州のことを書いたのは、現在中国に滞在する邦人の運命と関連するからである。

近い将来、日本と中国との間で戦争あるいはそれに近い緊張状態が生じた場合、邦人の運命はどうなるかを考えなくてはならない。日中戦争を想定したある小説が出ているが、その小説では日中政府は相互に本国に帰還させて後交戦状態に入る、という設定である。それはありえないと思う。恐らく、中国は日系企業の資産を接収するとともに、日本人を抑留するために全員拘束して帰国させないであろうと思われる。中国に抑留された日本人は、中国の戦争遂行を支援するために働かされるだろう。ということは、在留邦人は救出不能で、実質的に日本の敵、裏切り者という立場に置かれる。そんな立場に置かれる日本人もいるし、あるいは、中国民衆の暴動によってリンチにあって殺される日本人も相当数出るだろう。これは合理的な推論なのだが、もし、こういう事態になったとすれば、その責任は誰にあるのだろう。80年前の満州における悲劇と同様に、誰も責任を取らないのだろう。敢えてここに書かないが、責任者ははっきりしているではないか。