「家産制国家」から「家産制議席」へ | 方丈随想録

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現代の国家は基本的に「国民国家」(nation-state)である。では、この「国民国家」というものが何時できたかというと、中世に起源を求める説、近代初頭に起源を求める説、そして19世紀に起源を求める説などがある。どの説が正しいというのではなくて、恐らく重層的に発展して今日の「国民国家」の成立に至ったのだろうと思う。

ところで、「国民国家」の主権者は「国民」なわけだが、主権者が「国民」ではない時代があった。国王とか皇帝とか、場合によっては爵位をもった貴族であった。こうした人が支配した国家のことを西洋史では「家産制国家」(patrimonial state)といった。国家そのものが一個人の所有財産とみなされたのだ。この原理で行くと、ある国王が亡くなると、相続人が二人いれば王国は二分される。国民の都合や意志は一顧だにされない。あるいは、ある国王とある女王が結婚すると、二つの王国は一つにまとめられることになる。西洋史を学べば、こうした事例に出くわすはずだ。貴族が支配する小さな公国程度なら、その貴族がその公国を売却して大金を懐に入れることができた。実際、そういった例もあった。しかし、現代の「国民国家」では、統治者が好き勝手に国家を処分することはできない。主権者は国民だからだ。

しかし、現代の日本の政治も相当可笑しなことになっている。民主主義の下で、国会議員の議席が世襲されるのだ。「家産制国家」という言葉をもじれば「家産制議席」が優越している政治現象が生まれているのだ。国家議員の議席が何代も相続されると民主主義は形骸化していく。そうすると、世襲議員は自分を生来の特権階級と誤解し始める。主権者である有権者の思いが理解できなくなり、狭い理念や利権関係しか理解できなくなる。

今世紀に入ってからでも、世襲議員が首相になった例がある。小泉純一郎とか安倍晋三がそうだが、この二人は政治的なビジョンもあり民意をよく汲み取り、国益にかなった国政を行ったと評価できる。ところが岸田内閣になると、日本はいつの間にか世襲政治家の「家産制国家」になったかのようだ。世襲議員にも優秀な人はいるかもしれないが、総じて害悪がひどく感じられる以上、国政選挙では世襲議員を徹底的に排除すべき時期に来ているように思う。国政を国民の手に取り戻すことが優先事項だ。「家産制議席」を認めるな!