21世紀は米中百年戦争の時代(1) | 方丈随想録

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1990年前後に戦後史の大きな変化があった。冷戦の終結、ソ連の崩壊、東西ドイツの統合という出来事が連続して発生した。こうした歴史の変化を理解する構図として提案されたのが、フランシス=フクヤマが書いた『歴史の終焉』だった。この書はヘーゲルとマルクスの弁証法的な歴史観をベースにして「自由民主義」が最終的に勝利して歴史が完結したと主張したのだ。1990年代はアメリカ一極時代となったようで、アメリカは自信に満ちていた。だが、フランシス=フクヤマの主張は一面的であり、総合的に考えると間違っていた。

「歴史の終焉」どころではなく「歴史の開始」だったのだ。では、どんな歴史が始まったのかというと、それは「米中百年戦争」だろう。米中の表面だった対立は、2017年にトランプが大統領に就任して始まった米中貿易戦争である。貿易戦争自体種々の紛争領域があるのだが、貿易戦争は米中戦争の一局面にしか過ぎない。米中戦争は幅広い領域で展開されているのだ。単なる「紛争」とか「対立」あるいは「軋轢」と表現で収まるものではなく、これは「戦争」なのだという認識が必要なのだ。アメリカも含め西側諸国は中国を取り込めると誤解していたし、中国をその誤解を利用して自国が覇権国家になろうとしていたのだ。1980年代からネオリベラリズムという思想が米英で台頭し、この思想に基づいて改革が行われた。アメリカの旗手がレーガンであり、イギリスの旗手はサッチャーだった。そして、中国の旗手は鄧小平だったのだ。そこでアメリカはクリントン時代に、「中国はアメリカの事実上の同盟国だ」と誤解したのだ。

鄧小平が「改革開放政策」に舵をきったとき、「四つの現代化」を唱えた。これは農業・工業・国防・科学技術という四分野の現代化のことだが、当時、小生は疑問に思ったものだ。「国防の現代化」は中国の将来の軍事大国化を意味するのだが、これを西側は問題にしないのだろうかと。結果的には問題にしなかった。更に、鄧小平が南巡講話で口にした「韜光養晦」の意味を深掘りする議論はなかった。「真意を隠し、実力をつけて、いづれの日にか挑戦するぞ」ということは、将来の中華帝国主義の主張を含意するものだったのだ。成程、鄧小平の真意は分からない。しかし、習近平に至って中国が国際社会に求めるものが明確化したといってよいだろう。それは何か。中国は清朝末期から中華人民共和国の成立までの屈辱と窮乏の仕返しをしたいのだ。せめて中国の国際的地位をアメリカと同等に、あわよくば「国際社会」を「中華帝国一極体制」に変えたいのだ。そのためにアメリカを中心とする国際体制をとことん毀損したい、というのが中国の本音なのだ。

では、アメリカを中心とする国際体制の現状はというと、先ず国際連合はウクライナ戦争によって半ば機能停止している。機能を停止させるためにロシアに肩入れするわけだ。WTOはどうかというと、中国の加盟を機にWTOは強化されたかというとそうではない。中国はWTOの自由貿易の恩恵は享受するが、不公正な貿易政策を押し通している。中国だけの責任ではないにしても、WTOの形骸化に大きな責任があるとみなせるだろう。直接の犯人ではないが、見事なまでに国連とWTOの無力化には成功したわけだ。こうしたネガティブな行動の他に、中国の発展を積極的に図る政策も展開している。それが「一帯一路」であったり「中国製造2025」であったりする。

中国は西回りでインド、地中海、アフリカ方面に進出し、東回りで南太平洋、中南米に進出し、アメリカを東西から包囲する態勢をとるまでに至ったのだ。近代中国の汚辱に対する復讐を目指しているかのような大国主義的な動きをしているのだ。こうした中国の動きが孕む危険性が認識され始めたのはごく最近なのだ。したがって、小生の認識では、「米中戦争」は既に開始されており、銃火を除いたすべての領域が戦場になっている、ということだ。この戦争の決着を現時点で生存している人々が知ることはないかもしれない。相当長期にわたる可能性があるからだ。だから、初めに「米中百年戦争」と書いたのだ。日本も無傷ではおれないことを覚悟すべきだろう。