「共生社会」の幻想(2) | 方丈随想録

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(3)移住した外国人が相当規模のコミュニティを形成し、所有土地の集積を図る場合は、受け入れ側は早晩迫害され、あるいは窮乏化する事例が多いことを歴史は教えている。

グローバリゼーションなるものが何時から起こったか。1980年代からではない。オクスフォード発行のある書籍では、グローバリゼーションは15世紀末の「大航海時代」から始まる。海外移民の増大や資本主義の発達がグローバリゼーションの波を続けて形成する。ヨーロッパ人によるアメリカ、アフリカ、アジアの植民地化が進行したのだが、その一方でグローバリゼーションがあった。植民地化された地域の人々の運命は様々だったが、既存の社会が崩壊し、住民が奴隷化、窮乏化したした地域が少なくなかったのだ。何百年前のことはともかく、現代という時代において外国人を迂闊に受容した「最悪の事例」を念頭に入れて政策を練ることが大切だ。

その「最悪の事例」がパレスティナ問題なのだ。イスラエルが今日もガザを爆撃して多くのパレスティナ人が老若男女を問わず殺されているが、それが100年後の日本人かもしれない、という想像は必要である。パレスティナ問題は、移民や外国人・外国人企業に安易に土地の取得を認めた結果だからだ。

19世紀末にヨーロッパでユダヤ人迫害が起こり、ユダヤ人は2000年前に先祖が住んでいた土地に「ホームランド」を創ろうと決意した。それがシオニズム運動の始まりだ。ユダヤ人は個人、企業、組織のそれぞれの経済的力量の許容範囲でパレスティナの土地の購入・集積に努め、ユダヤ人を移住させた。パレスティナの地主は、高値で買い取ってくれるユダヤ人に安易に土地を売却した。パレスティナの土地の数%をユダヤ人が購入したに過ぎなかったが、ユダヤ人は政治的に団結し、経済力もあり、しかもヨーロッパの先端兵器で武装していたので、統一が取れず、政治力も経済力も乏しく、武力も貧弱だったパレスティナ人はユダヤ人に対して有効に対抗することはできなかった。第1次世界大戦後、パレスティナはイギリスの委任統治という名目の植民地だったが、ユダヤ人とパレスティナ人との紛争にイギリスは手を焼き、国際連合に問題の解決を委ねた。国連は解決案を提示したが、パレスティナの土地の6%しか所有せず、しかも人口はパレスティナ人の半分程度のユダヤ人国家にパレスティナの土地の56%を与え、パレスティナ人国家には43%しか認めないというものだった。かくして、国連の提案は実を結ばず、ここにパレスティナ戦争が勃発した。そしてその後、第3次中東戦争や第4次中東戦争でイスラエルが勝利し、実質的にパレスティナ全土をイスラエルが支配することになった。

パレスティナ人側は、ユダヤ国家のイスラエルをヨーロッパの帝国主義、植民地主義の産物とみなしている。成程、そういう認識も可能であるが、もっと一般化できる。国内に外国人が数%の土地を所有し、定住外国人が10万人単位の規模となり、国外に有力な支援勢力が存在すれば、外国人を受け入れた国家は転覆させられ、国民は難民化し、絶滅の運命に直面するわけだ。

日本における10万人単位の定住外国人は特定の国に限定されるが、いづれも親日国ではない。むしろ永久的な報復を望んでいる国家から入ってきた人たちである。パレスティナ人は「庇を貸して母屋を取られる」を地で行った人たちだった。我々は彼らの過ちを繰り返さないようにしたいものだ。「共生」とは理想ではあるが、破綻する可能性が高いとすればそれは幻想である。移民政策については、歴史の事実に学んだ政策を取るべきだろう。