「共生社会」の幻想(1) | 方丈随想録

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現在、政治の世界で何が進行しているのだろうか。国民や国家に不都合なことが、一部の人の利益のために画策されていはしないだろうか。

過去の事例としては1980年代に「ネオリベラリズム」による「改革」が進んだことがある。「行き過ぎた福祉を抑制し、頑張った成果を享受できる」というような文言が使われた。日本人の大半は勤勉だから、国民のほとんどは収入が増加し、生活が豊かになるものと感じたのだ。アメリカ人も同じように感じたようだ。しかし、アメリカでは貧富の格差が増大し、中産階級が大きく毀損する事態になった。日本では「バブル崩壊」から「失われた〇〇年」になったので、「ネオリベラリズム」の影響を軽視したが、しかしアウトソーシングの拡大、非正規雇用の拡大、高所得層の大幅減税、法人税減税等によって、企業経営者や資産家は優遇される一方、労働者は所得減少の傾向となった。岸田内閣の経済政策にしても同一基調で、ここ数年「実質賃金は低下している」というデータが出ている。大企業の春闘で大幅ベースアップが報道されていても、地方の庶民にとっては関係ない話だ。中小零細・個人企業にとっては消費税関連のインヴォイス導入とか「子育て支援」を名目にした保険料のアップによる実質増税が関係してくるのだ。結果として格差拡大、実質増税なのだ。そして典型的地方である島根県の衆院補選に自民党候補者として財務官僚を出してくるのだから、岸田首相や自民党幹部の感覚を疑ってしまう。

前置きが長くなったが、小生が心配している政界と財界の一部が画策している政策として労働力不足を理由にした移民政策の導入がある。移民解禁については左翼も賛成で、5月4日付けの朝日新聞も一面で<人手不足「感じる」7割>という見出しを出し、、その見出しの近くに<外国人労働者の拡大 賛成が急増>というやや小さめの見出しが出ている。政府や財界と協調しつつ外国人労働者の導入を拡大しようという朝日新聞の魂胆だろう。油断できない。

外国人労働者あるいは外国人の増大については「共生社会」とか「多文化共生」というキャッチフレーズに惑わされることなく、歴史に学ぶべきだと思う。

(1)外国人労働者、あるいは定住外国人の増大が受け入れ国に及ぼす影響については、アメリカ合衆国やカナダ、ブラジル、アルゼンチンなどのアメリカ大陸にある基本的に移民国家を参照事例にしてはならず、イギリス、フランス、ドイツなどの「国民国家」を参照事例にすべきである。文化的、人種的な軋轢を不愉快に感じる国民が相当数いるとすれば、外国人に対する門戸開放は抑制的であるべきだろう。

(2)「共生社会」あるいは「多文化共生」は1980年代からの「ネオリベラリズム」の文脈で提唱された言葉で、根底に労働力を安価に押し下げようという悪徳企業の魂胆がある。外国人労働者の導入が、受け入れ国の賃金を押し下げるのは当然である。勿論、外国人労働者を斡旋する企業のビジネスチャンスはあるだろうし、岸田首相の親族に斡旋企業の経営者もいるようだ。

以下次回のブログに回します。