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三兎を追うものは…

公務員試験(独学)、教職課程、民間就活の体験談です。自分の体験が、後輩の不安の解消に少しでも役立てばうれしいです。

長いにもほどがある一日目(7月11日)を終え、次の日の朝から二日目(7月12日)の集団討論でした。

初日の続きを書いていくため、初日の記事を読まれていない方は、まずはそちらをお読みになることをおすすめします。

 

状況を整理しておくと、二日目時点での受験生は4種類に分類できます。

A:初日から訪問、初日突破、二日目集団討論組(12日朝集合)

B:初日から訪問、初日突破、二日目面接組(12日昼集合)

C:初日から訪問、初日突破、三日目は休みで三日目に集合組

D:二日目から訪問組

 

の4種類です。(A~Dというアルファベットは便宜上私が勝手につけているだけで、実際にA組などと呼ばれるわけではありません。)

Aが一番順調ないわゆる「キープ」組、Bはおそらく迷われている組、Cは二日目以降接点が無かったため立ち位置不明、そしてDは初日に第一志望の場所で不合格となり二日目から文科省に来たと思われる組です。

 

私のいたA組は30人弱でした。

朝、8~9人ずつの3グループに分けられました。これが、集団討論のグループになります。

私のグループには総合職の官庁訪問でいいところまで行って落ちてしまった優秀かつ情報通がいて、待ち時間にいろいろと教えてくれました。

曰く、二日目に集団討論に呼ばれた我々はキープ組であること。

曰く、集団討論でよほどの社会不適合者的振る舞いをしない限り落とされることはないこと。

と、なかなかに余裕のミスター情報通。

しかし、彼はあることを知りません。

それは、私は初日に面接を3回受けた、「初日に迷われた組」であるということ。

私は恐らく、A組とB組の瀬戸際にいたのでしょう。

初日に私と一緒に3回目の面接を受けた人も同じ部屋にいて、「でも私たち、昨日迷われてたもんね…」と二人で苦笑いしました。

ミスター情報通のようには安心できない胸中でした。

 

そうこうしているうちに、一つ目のグループが呼ばれます。私も第一陣でした。

とはいっても、いきなり集団討論を始めるわけではなく、まず待機室のような部屋に通され、そこで説明を受けます。議題もそこで教えてもらえます。

そして討論本番の前に、10分くらいあげるから自分の意見をまとめてメモしたり、役割分担や討論の方針、時間配分(討論自体は30分)を決めてくださいね、という時間がありました。

私のグループではミスター情報通が司会者を買って出てくれて、私は何の役もしませんでした。

そして司会者を中心に、意見を出す時間が何分、深める時間が何分、最終的な結論を出すための時間が何分、というように時間配分を決めました。

 

そうやって10分が経つと、討論の部屋に通されます。

思ったよりも広い部屋でした。

「八」の字を左に90度回転させたような机の配置で、各辺に4人ずつ座りました。「八」の字の末広がりになった先に面接官が4人並んで座っています。(つまり、学生と面接官で頂点がつながっていない三角形ができる感じ。・・・伝わるかな?)

この配置、正直やりにくかったです。

私は「八」の字の一番広がったほうの端っこに座った(というかネームプレートが置いてあって場所が決まっていた)のですが、そしたら反対側の人がやたら遠い。2mくらい離れたたんじゃないかな。ソーシャルディスタンスを先取りするにもほどがあるw

しかも、同じ側の人は斜めに一直線に並んでるから隣の人以外顔もネームプレートも見えない。

仲間と遠いし顔も見えにくいから、発言しにくかったです。

 

テーマは各グループバラバラで、私の年は

・大学スポーツの課題と今後の在り方

・Society5.0に向けて取り組むべきことと文科省にできること

あと一個、他のグループから聞いたんですが忘れちゃいました、すみません。

この年はどこかの大学でラグビーだったかアメフトだったか、悪質タックル事件があった年だったし、教育・文化・スポーツ・科学などの時事ネタがテーマになるんだろうと思います。

 

討論が始まれば、あとは成り行きです。

私は特に目立ったことはできなかったです。

最初に順番に意見を言うときに喋った以外は、多分二回くらいしか喋ってません。

面接官たちは30分間無表情で、非常に居心地が悪かったですw

司会のミスター情報通が上手く振ってくれたりもして、司会者に恵まれました。自力で光れなかったのが情けないですけどね。

 

最後に結論を報告する係(報告って言っても、討論の成り行きはずっと見られているんですけどね)の人が無事に発表してくれて、面接官に「学生さんの貴重な意見を聞けて興味深い討論でした」とかなんとか言われて、控室に帰ります。

 

私たちが第一陣だったので、控室では他の学生さんに情報共有したり、グループ内で労いあったりしました。

「机の配置が悪い」「面接官が無表情で怖い」というのは全員一致の感想で、ミスター情報通曰く「僕たちのグループでやらかした人はいなかったと思う」とのことでした。

 

結局午前中で3グループすべての集団討論が終わりました。そしておなじみのローソンでお昼を買って食べました。この頃になると、待ち時間に食べるためのお菓子を買って待機中に食べる気持ちの余裕も出てきます。

また、控室のメンツもだいぶ打ち解けて、それぞれの人となりが分かってくるので「君は余裕で受かりそうだよね」とかそういうのも何となく見えてきます。

 

午後からは、人事の人が気を遣って寄こしてくれた若手職員さんと座談会があったり、「面談」を初日の終えていなかった人は面談をしたりする以外は、何もありませんでした。

私も「面談」は二日目でした。併願状況や、今内定をもらっている民間はどうするつもりなのか、卒論の内容などを聞かれました。

 

トイレで出会ったB組(初日突破、二日目面接組)の人によると、B組とD組(二日目から文科省に来た組)は同じ控室で、初日と同じように面接をしていたそうです。B,D組が午後に面接をする間、我々A組はひたすら待機というわけです。

B,D合わせて30人くらいいたそうで、午後に一気に半分くらい「荷物を持ってきてください」(=結果発表)があったそうです。それだけ大勢が一度に呼ばれたということは、その半分はまとめて不合格を告げられたのだろうと推測されます。

そんな情報を聞いてA組の控室でも緊張感が漂いました。

 

が、それもつかの間。やることがなさすぎて突っ伏して寝る人も出てくる始末。昨日よりは早く帰れるだろうとは思っていたものの、何時まで残されるか分かったもんじゃありません。

喋ったり本を読んだりするうちに、結局その日も日が沈みました。

 

夜7時半ごろから、ようやく私たちの部屋でも結果発表の呼び出しが始まりました。初日とは異なり、1人ずつの呼び出しでした。

私は8時ごろ呼び出されました。面接官3人の前に座らされ、結果を聞きます。

 

「最終面接に来ていただきたいと思っています」

 

「ここまで来れば安泰」と噂される最終面接へのお呼ばれです。

しかし、喜んだのもつかの間。

 

「最終面接は7月16日です」

 

7月16日。

それは、地元の県庁の一次面接と、同じ日でした。

 

ずっと嫌な予感はしていました。7月13日に残りのB,C,D組の集団討論をしてして、日曜と海の日を挟めば、普通に考えれば最終面接は7月16日です。

「そうじゃなきゃいいな。でも被ったらどうしよう」とずっと思っていたけれど、それが現実となりました。

 

これまでの面接や面談で話は出ていたため、県庁の面接と被ることは面接官も承知でした。

「日程を変えていただくことはできないんでしょうか?」とダメ元で聞いてみますが、答えはやはりNOでした。

県庁の方も、案内に「日付の変更は受け付けない」と明記されていました。

選択の時が来たようです。

 

「今すぐにお返事いただかなくても大丈夫です。15日までにお電話ください」と考える時間をいただきました。

退出するとき、ドアを開けてくれたのは、私たちのお世話を一番してくれたにこやかな人事のお姉さんでした。

気のせいかもしれないけど、少し憐れむような目で見送ってくれました。

 

夜9時ごろ、文科省を後にして、虎ノ門駅の地下通路をとぼとぼと歩きます。

「なんで被るの、なんで被るの、なんで被るの…」

そればかりが頭をぐるぐるしていました。

 

私は当時、7:3くらいで県庁志望でした。しかし、ほんの数か月前(教育実習前)までは5:5くらいで文科省と迷っていたし、大学4年生になる直前くらいまでは、高校卒業以来ずっと文科省が本命でした。

7月16日に県庁の面接を選べば、そんな思い入れのある文科省とはサヨナラです。せっかくほぼ内々定と言われる最終面接まで漕ぎつけたのだから、できれば最後まで選考を受けたうえで選択したかった。

それに、現実的な話をすれば、県庁だって受かるかどうか分からないんだから、内定は多いほうが安心です。

そういう意味でも、文科省の官庁訪問で内々定が欲しかった。

 

「なんで被るの、なんで被るの、なんで被るの…」

「何を迷ってるんだ、お前は県庁志望だと心を決めたんじゃなかったのか」

いろんな思いが頭をぐるぐる。

 

東京の満員電車に揺られて泊めてもらっている友人の家に向かいながら、地元にいる家族の顔とか、教育実習でお世話になった先生とか、高校時代の担任の顔とかが浮かんできます。

途中、地下鉄の乗り換えで長い通路を歩きながら(都会の駅の乗り換えって平気で何百メートルも離れてますよねw)、

「やっぱり地元のために働きたいなあ」と思いました。

 

「うん、よし。帰ろう」

 

ということで、日程が被ったショックの大きさの割に、スパッと決断して、もう一晩東京に泊まって、次の日には関西のアパートに帰ることに決めました。

 

「日程被ったけど、県庁の方を受けるねー」と親にも報告。

親は私のUターンを望んでいたのでうれしそうでした。

県庁に受かるかはまだ分からないけどw

でも、「文科省が最終面接まで呼んでくれたんだ。県庁だってきっと受け入れてくれる」と、中途半端に終わった文科省での官庁訪問は若干の自信になりました。

 

もう一晩東京に泊めてもらって、次の日は友人に案内してもらって東京観光。

夕方、新幹線で関西に戻りました。

さよなら文科省。

 

と、いうことで国家一般一次試験の結果発表から始まった怒涛の4日間が幕を下ろしました。

 

私の官庁訪問の体験はこんな感じです。

最終面接の話ができなくて少し申し訳ないですが、併願の方の参考にでもなればいいなと思います。

個人的な経験にフォーカスして一日目・二日目と書いてきたので、次回はまとめとして、もう少し客観的な視点で官庁訪問についてまとめようかなと思っています。