前回からの続きです。
≪過去記事≫ 早期教育
我が家は、「幼児教育」は大切にするけれど、「幼児期の早期教育」はしない、という方針で、幼児期の子育てをしてきました。
なので、幼稚園の早い時期に「ひらがな」「カタカナ」「計算」を親が率先して教える、というようなことはしませんでした。
でも、「絶対に教えてはいけない」わけではなくて、文字や数字に関心がある子であれば、教えてあげていいと思います。
むしろ、そこにその子の好奇心があるなら、その芽をつぶさないことを優先した方がいいと思います![]()
我が家は絵本はよく読んでいたので、子どもが「これって何て読むの?」と聞いてきたり、大人が読むのを真似して読みたがったら、教えてもいいかな?と思っていました。
ただ、うちの娘は、文字に興味がなかったのか、親に読んでもらうことが大好きだったからか、自分で文字を読むことには興味を示さず。。
幼稚園で流行る「お手紙ごっこ」にも、あまり興味を示さなかったので、そういう子だったんでしょうね![]()
でも、本は大好きな子に育ったので、小学校に入って文字を覚えて自分で読めるようになってからは、ものすごく本を読む子になりました。
比例して、視力は見事に落ちていきました。。。(嗚呼)
早期教育については、まだ自主性の育っていない段階で、大人が「あれをしなさい、これをしなさい」と子供に求めていくと、子供が自分で本当に好きなものを見つけたり探したりという意欲の芽をつんでしまう可能性があるのだそうです。
子供は親の期待に応えたいという気持ちをどの子も持っていて、だからこそ、親が「これをしてほしい」「こうあってほしい」という気持ちをのぞかせると、その期待に一生懸命応えようとしてしまう。
そして、下手をすると、「親が何を望んでいるか?何を望んでいないか?」というモノサシで、ものを見る傾向の子どもになってしまう。
親が「早期教育によって子供の可能性を広げよう」と思っているにも関わらず、知らず知らずのうちに、逆に可能性を狭めてしまいかねない―
このあたりのことは、早期教育に限らず、親子関係によっては、思春期においても、気をつけなければならないことなのかもしれません。
子どもに幸せな人生を歩んでほしいと思って子育てをしているわけですが、本当に大切なのは、「高い学力」ではないんですよね。
一番大切なのは、自分がやりたいものを見つけ、それに向かっていく意欲や自信。
まずはそれがあってこそ、「高い学力」が意味を持ってくるんですよね。
その視点を見落としてしまうと、「誰もがうらやむ難関大学に行ったのに、やりたいことが分からない」みたいなことになってしまうんだと思います。