今回は、精神的に不安定な少女ナオミが主人公の日記体小説『ナオミ』の第3章です。

 第1章と、前回の第2章はコチラ↓

 

 

二千二十三年四月二十二日

 

 近ごろ、勉強してるジャックの姿を思い浮かべて、彼と勝負するように勉強するのが日課になってる。ジャックっていうのは、(たぶん)私のことを好きだった男の子(小学校のときにやった劇でジャック・オ・ランタン役を演じてから、ジャックって呼ばれるようになった)。小学校と中学校のときのクラスメイトで、いつもいつも意地悪なことをされてた。アンナには「ナオミのことが好きすぎるから意地悪するんだろうねえ」って何度も言われたし、クラスメイトには付き合ってるって勘違いされてた(ほぼ全員からよ)。ジャックはかなりかっこいい男の子だし、モテてたんだけど、全然嬉しくなかった。その頃の私は、異性が苦手だったからさ。中学生の頃は、いつもそばにいたジャックのことなんて考えられなかったのに、離れてからずっとずっとあとになって考えるのがジャックのことなんて、なんだかおかしな話よね。それに今さらジャックのことを考えるのに、罪悪感を感じちゃう。けっきょくさ、私って、ないものねだりなのよね。なんか、いつだって、もういない人やもうない物を求めてるような気がする。

 

 ジャックと付き合えなかったことがもったいなかったなあ、なんて少し思う。だけど「もったいない」なんて、まるでジャックを物か何かのように思ってるみたい。ううん、たぶん私は、いつだって男の子を物か何かのように考えてるんだ。私はいつも変わった人を好きになるんだけど、それも珍しい自分に価値があると思いたかったから。

 

 ダメだ、涙が出てきた。大丈夫、大丈夫、すぐ泣きやむ。あなたを水浸しにしたりしないから安心してよ、日記帳。ああ、なんか私、悲しいくらい必死だなあ。

 

 なんだか昔の話がしたくなってきちゃった。ちょっと書くわね。書いてすっきりしたい。

 

 福岡県に生まれたものの、そこでの記憶はまったくない。なぜなら二歳で引っ越したから。引っ越し先は東京都の府中市。

 

 物心がついたときから、怠け者でめんどくさがりで、誰より生意気な子どもだった。何度も親に怒られた。家を追い出されたこともある。夜中にお父さんは玄関を開け、私をひょいとつまみ出し、そのまま扉をバタリと閉めた。ギャンギャン泣いて扉を叩けば、やがてお母さんが開けてくれ、なんとか私はベッドで眠れた。

 

 お母さんとは仲がよかったが、お父さんとはそうはいかなかった。お父さんは忙しかったのだ。私たちを生かすため、一生懸命働いた。帰りはいつも遅かった。休日もよく仕事に行った。お父さんとの記憶はほとんどない。代わりにお母さんとお姉ちゃんが遊んでくれた。お母さんは、可愛い可愛いぬいぐるみを、たくさんたくさん作ってくれた。黒猫のロック、茶色い猫のショコラ、ブチ猫のアンの三匹は、お母さんが初めて縫ってくれた、私の大事な友達だ。

 

 東日本大震災のとき、守ってくれたのもお母さんだった。私に地震の記憶はないが、お母さんが言うには、私はお母さんと二人きり、家の中にいたらしい。お姉ちゃんとお兄ちゃんは友達の家に遊びに行ってて、お父さんはやっぱり働いていた。

 

 お父さんは厳しく怖かった。蹴られるとだいぶ痛かった。叩かれると心臓が、ちょっぴりしぼんで涙をこぼす。私がもっといい子なら、お父さんもきっといいお父さんだった。私がもっといい子なら、きっともっといい家族だった。

 

 そして六歳になったとき、幼稚園を去るとともに、私たちはまた引っ越した。引っ越すときはつらくて泣いた。ロックとショコラとアンは連れていけた。だけど家は連れてけない。いつも私を守ってくれた、大事な大事な私の家は、大きすぎて運べなかったのだ。

 

 引っ越し先は世田谷区。薄汚れたマンションの、九階の端に住みだした。部屋は狭いが居心地がよく、机の下が好きだった。いつもそこに潜り込み、犬のつもりで長く過ごした。

 

 小学校に入学したが、何度も何度も宿題を忘れ、何度も何度も怒られた。一度はランドセルを忘れ、手ぶらで登校してしまった。夏休みの宿題も、始めるのはいつもギリギリだ。何をするにも、どれだけ焦ってあわてても、やる気がまったく出ないのだ。

 

 この頃から、将来の夢は小説家。大人になれば魔法がかかり、勝手に小説家になれると、なぜだか信じきっていた。

 

 本を読んだり小説を書いたり、好きなことをしているときは、夢中になって時間を忘れ、何時間でもイスにへばりついてるくせに、勉強のときはまるでダメ。特に算数は私の敵だ。私の身体はワガママなのだ。長時間同じカッコで座り続けて、興味のないことをしようもんなら、身体じゅうがかゆくなる。特にお腹、おへそのあたりがムズムズしてくる。おへその中に虫がいて、這いずり回っているようだ。そういうときは先生に言ってトイレに行って、「ウーン」と身体を伸ばしてひねる。すると治って、また普通に座れるようになる。これが小一から始まって、高三になってもそのまま。大きくなるたび頻度は減ったが、高校時代も五回はあった。模試の時間は地獄のようで、我慢できずにトイレに行くため、五分ほど時間をムダにした。まったく、治したいものだ。

 

 話を戻して…小学校で、私はダン(漢字は「暖」)っていう男の子と仲良くなった。でも、ダンのことはよく覚えてないのよね。なにしろ、ずいぶん昔の話だからさ。小学一年生のときに一緒に過ごして、それっきりなの。同じクラスだし、帰る方面が一緒だったから、よく手を繋いで帰ってた。一度、ダンが自分の家に入ったあと、驚かせるつもりでドアを開けたら、ダンがズボンを脱いでる最中だったことがあった。次の日、先生に呼び出されたんだけど、その隣にはうつむいてるダンがいて、自分が何かをしてしまったのだと悟ったのを覚えてる(ダンの家のドアを勝手に開けたことに、罪の意識はなかったの)。先生は、「昨日ね、勝手に家のドアを開けられたのが、ダンは嫌だったんだって。それに、恥ずかしい思いもしたんだって。人の家のドアは勝手に開けちゃだめなんだよ。分かった?」って、私に優しく言った。私はうなずいて、ダンに謝った。ダンは許してくれたけど、それからも一緒に手を繋いで帰ってくれたのか、それとももう距離を置かれちゃったのか、あんまりよく覚えてない。とにかく、悪いことをしてしまったと思ってる。それで、二年生に進級する直前に、ダンがどこかに転校することになって、それきり会ってない。顔も思い出せないし、どこへ行ったのかも分からない(私も二年生の途中で転校して、まったく別の町に行っちゃったしね)。とにかくぼんやりしてて、なんだかあたたかくて、寂しい思い出。

 

 それから、私は空手を習い始めた。きっかけは忘れてしまったが、とにかく習いだしたのだ。同じ道場のケイと仲良くなって、途中まで一緒に帰ったり、ときには一緒に遊んだりした。ぽっちゃりしてて、目が猫みたいに細くって、笑うと赤ちゃんみたいになった。

 

 それからそれから、二年生になったとき、私はよく泣くようになり、お母さんを恋しがるようになった。学校にいても友達といても、お母さんに会いたくてたまらなくて、いつもべそべそべそべそしてた。「お母さんといたいから、空手なんかやめたい」と言って、何度もお母さんを怒らせた。学校の友達やケイに、「遊ぼうよ」なんて誘われても、いつもいつも断って、お母さんは不思議がっていた。

 

 あのときはなぜお母さんといたいか、さっぱり分からなかったけど、今ならなんとなく分かる。私はきっと、母のお腹に自分以外の子どもがいるのを、悟って不安がっていたのだ。

 

 八歳の私とお兄ちゃんに、はじめて下の兄弟ができた。その子はメグミと名付けられ、メグとあだ名をつけられて、家族みんなに愛された。次の年には弟のジョージが生まれて、家族みんなに愛された。

 

 メグとジョージが生まれて少しして、私たちはまた引っ越した。今度は足立区の大きな家だ。メグとジョージが生まれて狭くなるのと、お父さんが自分の両親と住みたいという二つの理由で、私たちは二年過ごしたマンションに、「バイバイ」と手を振り別れを告げた。お父さんいわく、また引っ越すと知ったとき、私は「知ってるすべての言葉を使って、引っ越したくないと訴えた」そうだ。それでもお父さんは引っ越した。私はまた泣いたけど、世田谷区のときとおんなじで、マンションを運んでいけなかった。前の家よりもっと大きく、色んな人が住んでいるから、余計に運べなかったのだ。管理人のおじさんとも、お別れしなくちゃいけなかった。

 

 お別れしなくちゃいけないのは、マンションとおじさんだけではなかった。空手道場と、そこの友達。そしてそこの先生だ。それから、小学校とそこの友達。そして担任の先生だ。

 

 道場のみんなは、色紙に一言ずつ書いて、プレゼントしてくれた。先生は日記帳をくれた。ケイはにっこり笑って、まるでいつもの家に帰る前みたいに、「バイバイ」と言ってくれたから、私も泣かずに「バイバイ」できた。

 

 学校の友達は、「お別れパーティ」を開いてくれた。たいへん申し訳ないことに、パーティの様子をあんまり覚えてないのだが、一番仲良しだったアリサが、泣いて「寂しいよ」と言ってくれたような気がする(もし違ったら恥ずかしい)。

 

 それからそれから、最後にお兄ちゃんと学校に行った日、お母さんが一緒に来てくれた。私とお兄ちゃんとお母さんは、先生に今までありがとうとお礼を言った。すると先生は、私に新品の『星の王子さま』を、お兄ちゃんに綺麗なキャンバスをくれた。私が読書好きで夢想家なのを、先生はとっくに知っていた。今ではすっかり表紙が黒ずんだけれど、ずっと大切な宝物だ。

 

 みんなの言葉やプレゼントが、とってもとっても嬉しくて、少し前までお母さんと離れたくないだけだったのに、みんなとも離れたくなくなった。

 

 そして私たちは足立区へ。父方の祖父母も、兵庫県からはるばるやってきた。両親とお姉ちゃんとお兄ちゃんとメグとジョージと、おじいちゃんとおばあちゃんとの九人暮らしが始まった。ちょっと前まで狭い部屋で、五人暮らしだったのに。ちょっと前まで火曜日に、空手道場まで歩いてたのに。ちょっと前まで友達が、たくさん小学校にいたのに。私はとても寂しく思った。そしてメグとジョージの存在や、祖父母との暮らしを手に入れる代わりに、私はお母さんの日々を永遠に失った。そして永遠に続くお父さんへの恨みを、私はこのときはっきり抱いた。

 

 転校先の小学校で、私はまったく馴染めなかった。友達は一人もいなかった。いつも満たされなかったせいで、小さいことでクラスメイトにつっかかり、問題を起こしたりもした。特にアンナという女の子とは、なんだか馬が合わなくて、何度も何度もケンカした。アンナは生まれて一度も髪を切ったことがないそうで、腰の下まで伸びていた。なんだかいつもぼーっとしていて、先生の話を聞いていなくて、休み時間は手を後ろに組んでひとりで校庭を歩き回っている、とにかく変な女の子だった。

 

 この頃から、算数についていけなくなってきた。算数ができないことで、前よりいっそうお父さんに怒られるようになった。何度同じことを教わっても間違え、お父さんに怒鳴られるので、本格的に算数を嫌いになった。そのうち簡単な問題でさえ自信がなくなり、答えが分かっているのに言わなくなり、さらにお父さんに怒られる。お父さんが怒って教えてくれた答えは、だいたい私が頭の中で出した答えと合っていた。しかし私はもう間違えて怒られるのが怖くて答えを口にできなくなっていた。

 

 同じ時期に、私は『ふしぎの国のアリス』『かがみの国のアリス』の虜になり、一ヶ月で七、八回は読むようになった。意味のあることや役に立つことには、もうウンザリだったのだ。が、その後作品に風刺的なメッセージが隠されていると考え、余計にアリスを好きになった。

 

「そうか。私は説教くさい直接的なことが嫌いなんだ。風刺なら、意味があっても役に立っても大歓迎だ!!」

 

 さて、恋愛の面では非常にマセている私は、その頃にボブっていう男の子を好きになった。日本とアメリカのハーフで、少食だから誰よりも痩せていて、いつもティーシャツが短いからお腹が見えていて、いつも変なことばかりしていて、いつも鼻水を垂らしていた。だけど泣いてたら「大丈夫?」って聞いてくれたり、掃除の時間にホウキを譲ってくれて自分は雑巾がけをしたり、優しかった。それから、私が苦手な算数とシャトルランが誰よりも得意だった。あんな鼻水垂れてる男の子好きになるのおかしいって色んな子に言われたけど、それでもやっぱり好きだった。

 

 片想いは二年続き、五年生になったタイミングで二度目のクラス替えがあり、私は彼と疎遠になった。それから少し経ったか、だいぶ経ったかは覚えていないが、彼が転校したということをクラスメイトの女の子から聞いた。どこへ転校したのかも分からないため、それきり彼とは会っていない。

 

 クラス替えのせいでボブと疎遠になった代わりに、私はなぜか、いつのまにやらアンナと親友になっていた。転校直後は一番馬が合わなかったクラスメイトが大切な人になるのだから、人生わからないものである。

 

 周りがあきれ返るほど、二人で過ごしたものだった。学校でずっと一緒に過ごし、放課後にも公園や図書館に行き、くだらないことでしょっちゅうケラケラ笑っているのだ。よくもまあ、あれだけ一緒にいて飽きないものである。自分でも二人に内心あきれるのだが、アンナといるのは本当に楽しいのだ。

 

 大切な友達ができて、私の人生まさに順風満帆…のはずだった。たった一つ、私の完璧な人生を揺るがすものがあったのだ。それがそう、算数である。

 

 このころから、私の算数のひどい成績を見かねたお父さんが(なかば無理やり)塾に通わせてくれたのだが、ここでも算数ができないことで強く叱られ、完全に算数を嫌いになった。また、どれだけ確認してもなぜか毎回宿題を塾に持ってくるのを忘れてしまうため、さらに怒られて、完全に塾と勉強を嫌いになってしまった。お父さんとの仲もどんどん悪くなり、家もどんどん嫌いになっていき、私はひたすら学校や公園でアンナと楽しく過ごした。どこから湧いたか知らないが、このころの私にはパンパンに膨れた自信があり、大好きなアンナと一緒ならどこまでだって行けるような気がしていたのだ。算数なんて関係ない。どれほどお父さんと喧嘩しようが、知ったこっちゃない。私は飽きるまで遊ぶんだ。ただそれだけを考えていた。

 

 現実逃避は尽きることを知らず、ついに私の心は窓からピーター・パンが入ってくることを夢見だした。なんであんなシリアルキラーを部屋に入れたいんだか…と過去の自分にあきれるフリをしつつも、実は今でもちょっと、いやだいぶ、ピーターの侵入を待ち侘びていたりする。そんな夢想家の私だから、一人でいるときはいつでもボーッとして、ありもしない世界ばかりに身を寄せていた。それを示すようにピーター・パンの本はボロボロになり、すっかり黄ばんで汚れていった。

 

 遊んで空想していたら、あっという間に六年になり、それでも私の心は小さい子供のままでいた。校長先生の「君たち最高学年は、下級生の立派なお手本となれるよう常に心がけて…」という話を笑って聞き流し、アンナと「話、長すぎるよねえ」「ホントホント、あんなの一分でいいのにさあ」などとグチを言い合った。

 

 このころの私は、アンナだけでなく、クラスのほとんどの児童と親しくなっていた。それもこれも、全部アンナのおかげであった。例えば班で机を合わせて給食を食べているとき、みんなが談笑しながら箸を口に運ぶ中、私だけはなんにも言えずに下だけ向いて、もくもくとごはんを食べていた。そんなとき、班にアンナがいると、アンナはとても自然な流れで私を会話に入れてくれるのだ。「ナオミ、どう思う?」とか、「そういえばさあ、ナオミもそうだったよね?」とか。すると周りの子もだんだん私に興味を持ってくれ、ちゃんと会話ができるまでになった。アンナには「ありがとう」という言葉しか出てこないのに、思えば私はちゃんとそれを伝えてないような気がする。

 

 そして私は同じ時期に、下ネタとセックスと恋愛に興味を持ち始めた。男子とは下ネタで、女子とは恋バナで盛り上がり、相も変わらず勉強なんてそっちのけの毎日。下ネタばかり口にするため、アンナに「ナオミ」をもじった「エロミ」というあだ名をつけられて、イジられ役に落ち着いた。イジられ役になったことで、クラスの子たちにもっとかまってもらえるようになった。転校直後はトラブルになって険悪な仲になった子たちも、みんな笑顔で接してくれる。男の子が下品なことを言ってきたり、チンポコの絵を描いて見せてきたり、自分の服をめくって筋肉を見せてきたりするのも好きだった。毎日が本当に楽しくて、幸せで、私は「こんなに楽しい日々、いつか終わっちゃうかもしれない」などと考えることもなく、とにかく能天気に過ごしていた。平和で、それでいて毎日が冒険で、生きててまったく飽きなかった。

 

 能天気なのと同時に、私はとんでもない大バカ者でもあった。下ネタを言うと男子が笑うのは、自分が好かれているからだと思っていたのだ。が、実はそうではなく、「コイツの下ネタおもしれーけど、女としては見れねーな」と思われていた。気づけないほど、察せないほど、私は幼稚だったのだ。自分だけの世界で生きていたから、下ネタを聞いた女の子が嫌がるかもしれないということさえ考えなかった。私が下ネタを好きなのだから、みんなも好きだと思っていた。私の目には、狭い世界の他には何も映らない。理想と空想、私好みの楽しい世界。それこそが、当時の私が生きていた場所であった。

 

 中学生のときは、色んな男の子と仲良くなった。まずは、ボブの前に好きだったバズ(なんでそんなあだ名がついたのかは忘れたけど、とにかくあだ名)。小学二年生のときと、中学三年生のときのクラスメイト。ボブのことはかなり本気で好きだったけど、バズのときは、今考えると最初から最後まで恋に恋してる感じだった。バズもいつも変なことをしている子で、いつもみんなを笑わせていたけど、笑った顔が可愛くて、まつ毛が女の子みたいに長かった。小学生のとき、毎日のように「バズ、スキスキ」って言ってたから嫌われてたけど(今考えると、本当に迷惑な女だなあ)、中学三年のときに隣どうしの席になったときは、もうこんな私のことを許してくれていて、何もなかったかのように話しかけてくれた(もし私が本気でバズを好きだったとしたら、本当に好きになったのは、このときだったと思う)。その頃には私は吃音症になっていて(私はね、最初から吃音症だったわけじゃないのよ。中学三年生の三月のはじめ、中学校を卒業する間近ぐらいから)、全然上手く話せなかったけど、おすすめの本を紹介してくれたり、面接の練習に付き合ってくれたり、とにかく前のめりで、そしてとにかく優しかった。

 

 次は、マイケル(「まぁ、いける、いける」が口癖だったから、このあだ名がついた)。マイケルとは中学校の三年間、ずっと一緒のクラスだった。背が低くて小柄だったから、一年から三年まで、ずっとブレザーの袖から手が出てなかった。ジャックと同じバドミントン部で、よくジャックと一緒に練習してるとこを見かけた。ジャックはマイケルと反対でやたらと背が高いから、なんだか兄弟みたいに見えた(といっても、性格という面では、ジャックよりもマイケルの方がずっと大人っぽい感じがするけどね)。マイケルは勉強が嫌いなんだけど、天才肌でね。難しい計算が一瞬でできちゃうの。それから、怒るっていうことをほんとにしない人で、いつも穏やかだった。中学三年の最後の席替えで隣どうしの席になって、よく一緒に話してた。卒業式のあと、体育館から教室に戻ってきたとき、卒業証書を差し出されて、メッセージを書いてって言われたことを覚えてる。なんて書いたかまでは、さすがに覚えてないけどね。それから、私もマイケルにメッセージを書いてもらった。マイケルは「じゃ、ありがとう。三年間」と言った。あんなに素直に、それもいきなりお礼を言われたことは久しぶりだったから、私はうろたえてマイケルを見た。私もありがとうって言おうとしたんだけど、その頃には、マイケルは他の男子にメッセージを頼まれてた。私はけっきょくお礼を言うことができなくて、正直、今でも後悔してる。 

 

 リアム(漢字は「莉亜夢」)については、あまり書くことがないかな。中学生の頃、よくジャックと一緒に私をからかってきた男の子。でも、ジャックよりずっと優しかったよ。体が大きいから、よく重い物を持ってくれたなあ。

 

 ピーターのことは、あんまり思い出したくないわね(いつまで経っても子供っぽいから、ピーター・パンみたいだってことでこのあだ名がついた)。中学生の頃によく私をからかってきた男の子なんだけど(なんか私、からかわれてばっかりね)、あのからかい方は、なんだか好きじゃなかった。ジャックやリアムのからかい方には愛があるんだけど、ピーターにはそれがないのよ。

 

 そして最後に、ジャックの顔を思い浮かべた(本当を言うと、ピーターの顔を思い浮かべている間に、ジャックの顔が浮かんでたのだけど)。考えてみれば、ジャックだけが私を本当に好きで、私を本当に大切に思ってくれていた男の子だった気がする。そりゃあもちろん、他の人も大体は、本当に大切に思ってくれてたと思うけど(ピーター以外はね。この人はね、絶対に私と…っていうか、女とセックスしたかっただけ。顔と態度を思い返せば分かる)、私に恋愛感情があったわけではなかった、たぶん。

 

 というか、私はずっとジャックが私を愛してた前提で話を進めてるけど、そうとは限らないわね。ただ本当に、いつもなにかしら一緒に話してて、みんなに関係を誤解されてて、それからたまに顔を赤くしてたからさ。絶対そう思う、ってだけなんだけど。

 

 まあとにかく、あの人––––ってつまりジャックのこと––––は、私をごみのようにも宝石のようにも扱わなかった。「ナオミ」として扱ってくれたの。私はそのことが嬉しいのよ。

 

 中学二年生のとき、足立区に引っ越してきてから一緒に住んでた父方の祖父母が、家を出ていった。二人は、もともと住んでた兵庫県に帰っていった。

 

 理由は、コロナウイルス。世界中でコロナが広まってきたある日、おばあちゃんが泣いてたから、私たちはみんなびっくりして、おばあちゃんを取り囲んだ。おばあちゃんは、こう言った。

 

「お願いだから、兵庫に帰して。兵庫に帰りたい。コロナにかかって死ぬなら、ここじゃなくて故郷がいいんや。兵庫で死にたいんや。もうね、私は妹や友達に会いたいのよ。みんなのことは大好きなんやけどもね」

 

 私たちは途方に暮れて、顔を見合わせた。そして、幾日かの家族会議の末、とうとうおじいちゃんとおばあちゃんは兵庫に帰ることになった。

 

 私が「よ、良かったね、おばあちゃん」って言うと、おばあちゃんは「ごめんね」って言った。私は首を振った。

 

 飛行機とか新居の手配とかに数週間かけたあと、とうとう二人が発つ日になった。お姉ちゃんとお兄ちゃんとお父さんとおじいちゃんは悲しげな顔をするだけだったけど、メグとジョージは大泣きした。私はそんな二人を見てられなくて、思わず泣いちゃって、「ねえ、おばあちゃん、ほんとに行っちゃうの。メグとジョージを残して行っちゃうの」って、まるで責めるみたいに言っちゃった。おばあちゃんは泣きながら、やっぱり「ごめんね」って言うだけだった。

 

 そしたら、お父さんがびっくりした顔で私のところに来て、「エリカが泣いてる」って言った(エリカっていうのは、お母さんの名前)。

 

「洗濯機の影に隠れて泣いてる。エリカ、めったに泣かない人なのに」

 

 違うよ、お父さん。お母さんはずっと我慢してただけだよ。ずっと泣きたかったんだよ。きっと今までも、洗濯機の影に隠れて泣いてたんだよ。

 

 ほんとはそう言いたかったけど、私は「そ、そっか。おか、お母さんも、悲しいんだろうね」とだけ言った。

 

 それから私は、おばあちゃんとお母さんが泣きながら握手してるのを見た。おばあちゃんは心からっていうふうに見えたけど、お母さんはイヤイヤやってるっていうふうにも見えた。私まで泣きたくなった。

 

 私、お姉ちゃん、お兄ちゃん、メグ、ジョージ、おばあちゃん、おじいちゃんは、お父さんの運転する車に乗って、空港まで向かった。でも、お母さんは車に乗らなかった。空はすっごく晴れてたわねえ。

 

 車の中で、お姉ちゃんとメグとジョージとおばあちゃんは、楽しそうに最後のおしゃべりをしてた。でも私はそれに加わる気になれなかった。お兄ちゃんも、お父さんも、おじいちゃんも、何も言わなかった。

 

 案外、誰も泣かずにあっさりおじいちゃんとおばあちゃんを空港に降ろして、お父さんはまた車を運転し始めた。私たち子供が窓から身を乗り出して空港を見たら、もうおじいちゃんとおばあちゃんが小さくなってた。私たちは、手をめいっぱい振った。

 

 帰りの車の中で、メグとジョージはいつの間にか寝ちゃってた。二人の寝顔を見ながらぼうっとしてると、前の運転席からお父さんが声をかけてきた。

 

「みんな、ごめんな」

 

 私はびっくりしたけど、「うー、う、う、ううん」って言った。お姉ちゃんとお兄ちゃんも、首を振った。

 

「俺、母さんと父さんに、結局なんにもしてやれなかったんだよなあ」お父さんはしゃべり続けたけど、今度も私たちに言ってるのか、それともひとりごとなのか、よく分かんなかった。「なんでコロナなんか流行っちゃうかなあ。いや、コロナが流行る前も、仕事ばっかりしてたなあ。もっと、母さんと父さんを色んなところに連れていってあげたかったなあ…」

 

 最後の言葉は、ほとんど涙に濡れてた。はじめて泣いてるお父さんを見たから、私たちはびっくりして顔を見合わせた。で、私の目にも涙が浮かんで、見上げた白い雲がぐにゃっと曲がった。

 

 おじいちゃんとおばあちゃんのいない家に着いてから、私たちは、お母さんに「ただいま」って言った。出てきたお母さんは、いつもの笑顔で「お帰り」って言ってくれた。

 

 その日の夜、部屋に閉じこもって音楽を聴いてたら、リビングの方から、なにやら怒鳴り声が聞こえてきた。私はとっさに音楽と息を止めて、しばらく怒鳴り声を聞いてたけど、それはお母さんの声だってすぐ分かった。私は部屋を出て、リビングをのぞいた。

 

 そしたら、お父さんと向かい合って座ったお母さんが、お父さんに激しく怒りをぶつけてた。お母さんの隣に座ってるジョージは、いままで見たことないお母さんにびっくりして、大泣きしてた。お姉ちゃんとメグは、メグの部屋の布団の中ですすり泣いてた。お兄ちゃんはその布団の前で立ちすくんで、顔をこわばらせてた。

 

「あんたはさあ、なんでいっつも勝手にひとりで決めるの!?」お母さんの声。

 

「ごめん」

 

「なんで家族の大事なことを勝手に決めてさ、勝手に人を連れてきたりするの!?」

 

「ごめん」

 

 そしたらお母さんが「うるさい」って言って、大泣きしてるジョージをつまみ上げて、ベランダに追い出した。私は思わずお母さんに駆け寄ったけど、お母さんはべランダのドアをしっかり閉めて、おまけに鍵までかけちゃった。お母さんはお父さんのいるリビングに戻っていった。私は鍵を開けようとしたけど、お母さんに「ナオミ、開けないで! この話が終わったら入れてあげるから!」って言われて諦めた。

 

 私はお母さんがジョージを入れてくれるまで、そこから一歩も動かなかった。

 

 で、やっとお母さんがベランダのドアを開けた。私は、泣いて中に入ってくるジョージを抱きしめた。

 

 お母さんはごはんも食べずに、お風呂にも入らずに、先に寝ちゃった。私とお姉ちゃんとお兄ちゃんとメグとジョージが、リビングに座ってぼうっとしてたら、そこにお父さんがやってきた。

 

「みんな、ごめんね」

 

 お父さんは涙声で言って、私たちの頭をなでた。そしてお父さんは私たちを抱きしめて、まるで子供みたいに大声を上げて泣き出した。お姉ちゃんとメグとジョージは、泣いてお父さんを許した。お兄ちゃんも、目に涙を溜めてうなずいてた。私は、涙をこらえてお父さんを許した…表面上は。

 

 落ち着いてからみんなでキッチンに行ったら、ラップのかかったごはんと味噌汁とサラダが、全員分ちゃんと置かれてた。お母さんはどんなに怒ってても、ちゃんと家族のごはんを用意してくれる、いいお母さんなのよ。私たちはお母さんに感謝しながら、黙ってごはんを食べた。

 

 この日はほんとに家族全員ボロボロだったし、なによりお姉ちゃんが可哀想だった。お姉ちゃんは中学三年生で、受験生だったから。

 

 それにしても、お母さんがお父さんにあれほど怒ったところを私たちが見たのは、後にも先にもあのときだけだったかもしれない。次の日から、いつものようにまた優しくなって、家族に普通に接してくれるようになった。で、この日を境にお父さんはすっかり大人しくなって、勝手なことをすることもなくなった。

 

 そんなこんなで私たちの家はやっと落ち着いて、七人暮らしになった。

 

 そして、中学校を卒業して、私は遠くの高校に行った。アンナもジャックもバズもマイケルもリアムもピーターもいない。知ってる人は誰もいないの。

 

 私はこのころ、マジメに勉強して普通に結婚して家庭を持つか、勉強をせずに才能だけで特別な世界に突き進んでいくか、どっちかの生き方をしたかった。毎日カバンに入れられているアン・ブックスとさくらももこのエッセイが、私の迷いを物語っていた。

 

 しかし私はどちらにもなれずに受験生になった。マジメに勉強するほどの集中力と忍耐力はないが、多くの人間が集う小説やエッセイのコンクールで頂点に立てるような才能もなかった。私は女バージョンのホールデン・コールフィールドであった。どっちつかずの崖っぷちでフラフラ歩き、落ちていく私をつかまえてほしいと願っていた。

 

 それから、マジメにやるにはあまりにハンデが多すぎて、不マジメになるにはあまりに良い環境を与えられすぎている気がしていた。

 

 例えば、まともに何時間も座れないし、立っていても足のイボが悲鳴を上げるのでつらい。なんとか座っていても尻が痛く、後ろではなく前に体重をかけるとカンジダ菌が繁殖している股が猛烈にかゆくなる。まったく授業に集中できやしない。それに加えて、あの「ずっと座っているとたまにお腹が猛烈にかゆくなる病」も持っているため、もう必要最低限しか座らないようにしている。どうしたって、神様か誰かが私に勉強をさせないように仕向けたとしか思えない。

 

 しかし、良い環境はきっちりそろっているのだ。学校には広い自習室が付いているし、自分から動けばかなりしっかり勉強を教えてもらえる。家でもお父さんにまあまあ良い塾に通わせてもらい、高い授業料を払ってもらっている。塾の授業のレベルはかなり高く、難関大入試の小論文を書いたりする。ところが私の忘れ癖がどうしても直らないせいで、いつも事前に課題の小論文を読んでくるのを忘れてしまう(それほど困らないときもあるが、まあまあ困るときもある)。たまに授業後の課題提出も忘れてしまう。こんなに良い環境を与えられているのに充分活かしきれなくて、(特に父には)本当に申し訳ないなあと思っているのだが、それでも活かせないのだ。

 

 こんなふうに書いていると、なんだかあらゆる人間が可哀想に思えてしまう。神様に「座るな」と言われているも同然の私、こんな不良学生を持った担任の先生、バカな私に小論文の書き方をていねいに教えてくれる塾の先生。そしてなにより、働いて働いて、莫大な時間と金をかけて、娘と娘の教育のために尽くしてきたにも関わらず、その娘が怠け者でなんでもすぐに忘れるアホな夢想家に育ってしまったお父さんが、一番可哀想だ。

 

 このころには私はもう、自分の存在と人生がイヤになっていた。これからもこのイヤな長い長い人生を歩んでいくのかと思うと、私は気が遠くなるようだった。いや、人生を歩むのがイヤというよりは、「私」なんかと一生一緒に歩むのがイヤなのだ。自由を求めるくせして、いつも何かに執着している自分が。外の世界で生きていきたいくせして、ずっと引きこもっていたい自分が。ひとりでいたいくせして、孤独が嫌いな自分が。変化を嫌うくせして、変わりたいなどと思っている自分が。

 

 私はこのまま生きてたいのか、それとも終わりにしたいのか。まず考えるべきはこの問いだ。よく考えても分からなかった。そこで窓を見て考えた。今この瞬間、この窓を開けてとび下りろ、と言われたら、私は果たしてできるのか。すぐに「できない」と結論づけた。それならきっと、私は死にたくないのだろう。生きたいのかは分からないけど、死にたくないなら生きるのみ。

 

 それじゃあなんとか生きるとしても、どうすりゃ生きられるだろう? どんな生き方があるだろう? 分からない。みんながサッサと決めること、私はいつまでぐずぐず悩む? 自分の優柔不断さと、笑えるほどの意思の弱さと、心の弱さに打ちのめされた。私はいったいどうすれば、〇〇になれるのやら…ん、待てよ。〇〇って、なんだ…?

 

 考えようとした瞬間に、面倒くさくなってやめた。たぶん〇〇なんか、どこに行ってもどこまで行っても、見つからない。

 

 そこで、私は気がついた。

 

 私の願いは一つだけ、それは「楽しいことをする」こと。私はワクワクしたいのだ。

 

 願いはたったそれだけなのに、道はいつも分かれてる。そのたび私は迷い苦しむ。どんな道を選ぶのか。どこに行きたいかっていうよりは、どこならいつでもワクワクできるかって考えてたのよね。

 

 たぶんどの道を選んでも、必ず後悔するものなのだ。「あっちの方が良かったな」と、必ず一度は考える。それはたぶん、どんな道を選んでも、ワクワクできるということなのだ。そうでなければ、そんなに後悔するはずがない。

 

 それなら後悔するよりも、過去の自分が選んだ道を、ワクワクしながら進めばいい。歩いてる道を選んだことと、別の道を選ばなかったこと、二つを同時に後悔したら、疲れて足が止まってしまう。後悔なんて、別の道を選ばなかったことだけにしておいて、歩いてる道にワクワクできれば、ウンと楽しく歩けるはずだ。なんならスキップするはずだ。