今回は、精神的に不安定な少女ナオミが主人公の日記体小説『ナオミ』の第2章です。
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二千二十三年四月五日
今日、親友の杏奈(アンナ)に会ってきた。小学校も中学校も一緒で、高校は別々のところに通ってるんだけど、しょっちゅうアンナの家の近くの公園で待ち合わせて会う。お互いの家に行ったことは、全然ないけど。二、三回、アンナがうちに来たことあるぐらい。アンナのお母さんは、よその人が入ってくるのが嫌みたい。
午後に家で英語の勉強をしてたら、近くに置いてたスマホが鳴った。見てみると、アンナからメッセージがきてた。
メッセージには、「もうすぐ着くよー」って書いてあった。私はしばらく、「もうすぐ着く? 何のことだ?」って考えてたけど、しばらくしたら分かった。そういえば三週間ぐらい前、今日アンナが私の家に来るって約束してたことを思い出した。遠くに遊びにいったときに買ったお土産を、私に渡したいって言ってたんだった。私はインターフォンの前でアンナを待った。
そしたら、「ピンポーン」って音が鳴ったから、私はすぐ「はーい」って答えて、バタバタ玄関に降りていった。その後ろを、ポールがついてきた。
扉を開けたとたん、私の心は深い喜びに包まれた! そこには大好きなアンナが立ってた。
「久しぶりー」アンナは、元気に言って手を振った。
私も「久しぶり」って返したら、さっそくアンナが袋を渡してくれた。
「はい、お土産」
「ありがとー」私が喜んで袋を受け取ると、
「これからリサ(私とアンナの中学校時代の友達)のとこにも、お土産を渡しに行くんだ」ってアンナは言った。
「あっ、そう。じゃあ、私も一緒にリサのとこに行くよ。」
「ほんと?」アンナは嬉しそうな顔をしたけど、それからちょっと心配そうな顔をした。「でも、家族はいいって言ってるの?」
「今、家族はみんな出かけてるんだけど、たぶんいいと思うよ。両親はスーパーに行ってて、お兄ちゃんは友達とサッカーしに出かけてて、メグはバレエ教室に行ってて、ジョージは友達の家に遊びに行ってる」
それから、私は家の前でアンナに待っててもらって、お土産の袋をキッチンに置き、自転車の鍵を取った。ポールを抱き上げてキスすると、「じゃあね。ちょっと行ってくるからね」って言って、急いで家の外に出た。
裏庭から自転車を持ってくると、アンナはもう自転車にまたがって私を待ってた。
「ごめん、待たせて。行こう」私が声を張ると、
「よし、行こう!」アンナも元気に答えた。
こうして私たちは、吹く風に気持ちよく自転車を滑らせて、リサの家に向かった。雲は白く高く、青い空を泳いでて、なにもかもが完璧な天気だった。
リサの家は、南公園のすぐ近くにある。私たち三人は、中学生だった頃によくあの公園で遊んだ。鬼ごっこをしたり、何十分もおしゃべりしたり、ほんとに楽しかったなあ。
さて、アンナがリサの家のインターフォンを押すと、少ししてリサが出てきた。
アンナがリサにお土産を渡して、私たち三人はちょっとの間、思い出話に花を咲かせた。だけどリサはこれから塾があるらしくって、私とアンナは残念に思いながらリサと別れた。
やるべきことはもう済んじゃったけど、私もアンナもまだお互いと別れたくないってことは、お互いの顔を見れば分かった。
「さて、これからどうする?」アンナの問いかけに、
「私、まだ帰りたくない!」私は間髪を容れず答えた。
「私も!」アンナもうなずいた。
「ねえねえ、せっかくこんなに近いんだしさ、南公園に行こうよ!」
私のこの提案に、アンナはもちろん大賛成! こうして私たちは自転車を押して、すぐ近くの南公園に入っていった。
私たちは、ブランコの横に自転車を停めた。昔からこの公園に来ると、私たちは必ずブランコに座っておしゃべりする。人気(ひとけ)のない公園ってわけじゃないけど、ブランコは人気(にんき)のない遊具だから、たいていの場合は私たちが占領できる。
「最近、どう?」アンナは私に聞いた。
「どう? どうなんだろうねえ。特に何もないよ」
「私も」
私たちは、思わず笑っちゃった。最近どうだと聞かれても、たいていはこの会話になるのよね。
ちょっと黙ったあと、今度は私がアンナに言った。
「あ、そうそう。最近どうだって言われたけど、一つ思い出したよ」
「なに?」
「私ね、最近、人を殺したり物を壊したりすることに、すごく興味があるんだよね」
アンナは大声で笑って、しばらく「お前さあ」って言ってたけど、やがてうなずいた。
「いや、でも、分かるよ。私も、そういうバイオレンスなやつ好きだもんね」
「でしょ?」
アンナは小学生の頃から、暴力とか血しぶきが飛び交う、いわゆる「十五禁」の映画とか戦争映画が好きだったのよね。
「え、でも、なんでそんなのに興味持ったの? ナオミ、そういうの好きだったっけ」
「まあ、もとから残酷な作品とかにはちょっと興味あったよ」
「あ、そうなんだ」
「うん。うーん、でもね、私の「好き」とアンナの「好き」は、ちょっと違うような気がするんだよね。そういう作品に対しての「好き」のかたちがね」
「ほう」
「アンナは、割と血を見ることそのものが面白いって感じだけどさ、私はね––––うーん、なんて言ったらいいかな––––なんというか、すごくいやらしいと思うんだよね、人が死んだりするのって」
アンナはわざと眉を寄せて、「はあ?」って言いながら私を見上げた。
「どういうこと? お前、変態?」
「うん、そうなんだと思う」私は笑いながら認めた。「特に美しい人とか物が壊れていくのってさ、なんというか、こう––––ロマンがあると思うんだよね、ものすごく。ほら、でっかい氷を思いっきり割って粉々になったらさ、なんか気持ちいいと思わない? めちゃくちゃ綺麗だしさ」
「はあ、まあ、そりゃ確かにね」
「それと同じだと思うんだよね」
「なるほど」アンナは考え深げに言った。「ちょっと分かったかもしれない。まあだけど、私はそういう目では、殺人を見れないなあ」
「そうかあ」
それから、しばらく二人で一緒に他愛もない話をした。それがどこからか真面目な話になっていって、やがて勉強や学校の話題になった。これが、小学生の頃の私たちとは変わったところ。
「ナオミは最近、勉強の方はどう?」最初にそう言い出したのは、アンナの方だった。
「正直あんまりしてない。さすがに去年よりはやってるけど、全然やる気出ない」
「まじか」
「やばいよね」
「うーん」
アンナはちょっと考えて、
「まあ、勉強には人それぞれペースがあるけどさ。さすがに来年の受験のときは、高校受験のときよりかは、だいぶ頑張らないとやばいかもね。大学受験、高校受験とだいぶ違うらしいし。うちも大学生の兄がいるけど、受験めちゃくちゃ大変そうだったよ」
アンナの言葉に、私は気が重くなった。
「そうだよねえ。私のお姉ちゃんも、去年は毎日のように朝早く塾に行って、夜遅く帰ってきてたもんなあ」
アンナは息を吸い込むと、自分と私を元気づけるみたいに、「頑張ろうねえ」って言った。私は「うん」ってうなずいた。
それからちょっとして、「受験といえば、」って、またアンナが切り出した。
「うちの学校に、受験勉強が嫌って言って、退学した人いるわ」
私はびっくりして、「えっ」って言った。
「そんな人いるの?」
「私も、最初びっくりしたんだよね。大学に行きたくないなら、受験勉強しなければいいだけの話なのにさ」
「ほんとだね」
「なんか、周りの…ピリピリした? 受験モードに耐えられなかったんだって」
「ああ…」私はうなずいた。「ああ…でも、そういえば、うちの学校にもいたわ」
「そうなの?」
「うん。本人が言ってたわけじゃないけど、そいつ、勉強する意味とか生きる意味とかが分かんなくなって、精神科に通ってたからさ。たぶんアンナがさっき言ってた人みたいに、受験に耐えられなくて辞めたんだと思う」
「へえ…。やっぱり、受験って精神やられるよねえ」
「そうだよねえ」
「なんか、うちの兄が言ってたんだけど、受験に受かる人の条件って、強いメンタルを持ってることらしいよ」
アンナの言葉に、私は納得して「あー」ってうなずいた。
「しかし、私の学校の奴といい、ナオミの学校の奴といい、よく辞められるよね。私だったら、いくら受験が嫌といっても、そんな勇気ないけどね。ここで逃げたら一生逃げ続けるんじゃないかとか、学校を辞めたらクラスの奴らに何か言われるんじゃないかとか、気になって」
「確かに」私はうなずいた。「でも、あの、アンナの学校の人がどうかは知らないけど、うちの学校の奴は、けっこう直前まで悩んでたよ」
「ああ、そうなんだ」アンナはうなずいた。
「うん。今アンナが言ってたのと同じようなことで、悩んでたよ」
「そっかあ。じゃあ、辞める勇気があるわけじゃないのかあ」
「でも、まあ確かに、嫌なことから逃げたいって気持ちは、めちゃくちゃ分かるんだよね。もちろん、あとで人に何か言われるんじゃないかとも思うけど、それよりもまず、この苦しい状況から逃げ出したいって思う。さっき言ってた人たちも、そのあとのことがどうとか、そこまで考えられないんじゃないかなあ」
アンナが納得して、「ああ、なるほど」ってうなずいた。
「そういえば、アンナの学校の辞めた人って、どういう人だったの?」私はアンナに聞いた。
「どういう人?」
「うん。面識はあったかとか、普段どんな感じだったかとか」
「うーん。あんまり話したことないから、分かんないんだよねえ。ただ、面識はあったよ。一年生のとき同じクラスだった男子なんだけど、けっこう頭はよかった。分かんないとこがあったら、みんなその子に聞きに行ってたよ。私も何回か聞いたことある」
「えっ、頭よかったの?」私は、意外に思って言った。
「そうなんだよねえ。なんか普通さ、勉強が嫌で辞めたとか言ったら、馬鹿だったのかなあとか思うじゃん? でもねえ、そういうわけじゃなかったんだよね。だから、たぶん疲れちゃったんだと思う」
私は、「あー」ってうなずいた。
「ナオミの学校の辞めた奴は?」アンナが私に聞いた。
「うーん。どう言ったらいいんだろうなあ、あいつ」私は、そいつのことを思い浮かべながら言った。「普段はちゃらけてたけど、急に暗くなったり、なんかよく分かんない奴だったな。だからね、たぶんそういうところも含めて、精神的に不安定な奴だったんだと思う」
「うん」
「勉強は…あいつ、どうだったんだろうな。定期考査でもそれなりの点とってたし、そこまで苦手ではなかったと思う。ただ勉強する意味が分かんないから、やらなくなっていったけど。でもアンナの学校の奴みたいに、真面目な感じではなかったんだよねえ。もう、あのねえ…あのねえ…ホールデン・コールフィールドみたいな感じだった」
「ホールデン・コールフィールド? あ、ライ麦畑の?」
「うん。成績不振じゃないホールデンって感じ」
「あー、なるほど。じゃあ、その人は不良に近い感じか」
「まあ、そんな感じ」私はうなずいた。
それからちょっとして、私は「不良といえば、」って切り出した。
「アンナ、不良に対してどんな印象を持ってる?」
「印象? どうだろうなあ」アンナは考えながら言った。「中途半端な奴は嫌いだけど、あまりにも不良の道みたいなのに振り切ってたら、私は好きだな」
「私も、私も」私はぶんぶんうなずいた。「中途半端な奴が、一番ださいんだよね」
「そうそう」アンナもうなずいた。
それから自然と話題が変わっていって、印象に残ってる本の話になった。私は『たけくらべ』のことを話した。
「私はね、前に読んだ本があるんだけど…題名を忘れてしまった」
アンナの言葉に私は笑って、「なんだよー」って言った。
「うーん、なんだったかなあ…」アンナは思い出すときの癖で、自分の頭を軽く叩きながら下を見た。「確かね、主人公の名前はチャーリーだった。なんか、そのチャーリーっていう男の子が、サムっていう女の子と、あともうひとり––––誰だったかなあ––––もうひとりの男の子と出会って、変わっていくって話。そのもうひとりの男の子が、サムの義理のお兄ちゃんなんだよ」
私はすぐ、「ウォールフラワーじゃん」って言った。なにしろ、大好きな小説だからさ。一番に言いたかったのよ。
「あー、それだ!」アンナは笑顔で私を見た。「ウォールフラワーだ。すごい!」
私は、すっごく嬉しかった。
それから、また自然に話題が移っていって、今の話がいくつめの話題か分からなくなった頃、アンナが私に言った。
「ていうかナオミ、時間大丈夫?」
言われて気づいた私は、「あっ」って言って立ち上がった。ポールを家に置き去りにしてたこと、忘れてたの!
「ごめん、もう行かなきゃ! 教えてくれてありがとう!」
私は言って、アンナとの別れを惜しむ間もなく、あわただしく公園を出て行った。途中、急ぎすぎて自転車を派手に倒しちゃって、アンナが「何やってんだよ」って言いながら起こしてくれた。
「じゃあねー!」
「またねー!」
「うん、また今度!」
「また連絡する!」
アンナと一緒にわあわあ言ったあと、急いで家に帰った。家に着いたら、急いでポールにごはんをあげて、急いでポールのトイレシーツを取り替えた。
「ごめんね、ポール」
私は、ごはんをムシャムシャ食べてるポールに謝った。いつものごはんの時間を、三十分も過ぎちゃってた。
それからちょっとして、みんなが続々と家に帰ってきた。
私はみんなに、「お帰り」って言った。みんなは元気よく、「ただいま」って言った。ポールが、喜んでメグにとびついた。幸せそうに笑うみんなを見ながら、「友達と過ごすのもいいけど、家族がいるのもいい」と思った。