こんにちは、あすなろまどかです。

  

 

 今回の記事は、8月10日に投稿した記事『小林清志さんが天に召されて①』の続きとなります。

 ①はこちらです↓

 

 今回は、私が以前書いた記事や日記からの引用が多くあります。

 

 

 

 ①で、私はこう書きました。

 

「思い返すと、7月30日、神は小林さんの死を私に伝えていました。もしも、神というものがいるとするならば。」

 

 

 

 小林さんが亡くなる直前(7月の終わりから、8月のはじめくらいまでの数日間)、私は突如ルパンにハマりました。

 

 そのことは、これらの記事を読んでいただければ、おわかりいただけると思います。↓

 

なぜ、今ルパン三世なのか?

 

やっぱり

 

 

 

 もともと小学生のときからルパンが好きで、今までも何度か再熱していました。しかし、今度のハマりようは尋常ではありませんでした。

 

 特に、7月30日…そう、小林さんが天に召された日…の私は、まさしく異常でした。

 

 その日の私は、こんな日記を書いたのです。

 

 

 

 私は自分の部屋にいた。私は泣いた。

 

 ルパン三世にハマっていたのは小学生のときのことで、高校生のいまは、ディズニー映画やらクイーンやら、まったく違う映画だの音楽だのにハマっていた。それは自分が1番よくわかっている。

 

 山田さんを恋い慕うように好きだったのも、もう過去のこと。ルパンのDVDや漫画は、ほこりをかぶって棚に置かれている。

 

 それなのに、その日、私は泣いた。

 

 ルパンを好きだった日々が懐かしくなったのか知らないが、意味が分からなかった。何も悲しくないのに、高校生が何をぼろぼろ泣いている?

 

 そのとき、私は山田さんを感じた。

 

 まるで雷にでも打たれたように、全身が粟立ち、毛が逆立つような感覚がした。鳥肌が身体中に広がり、胸が熱くなった。

 

 そして、間違いなく、『誰か』に見られている、もしくは『誰か』がそばにいると感じた。その『誰か』は、山田さんだと思った。なんの理由も根拠もないけれど、山田康雄さんが私のすぐ近くにいる、と感じた。

 

 それから、しばらく動けなくなった。動けなくなったというより、動いちゃいけない気がした。いま動いたら、もう二度と山田さんに会えなくなる、と思った。

 

 少しすると、私は「山田さんはもういない」と思った。しかし、不思議なほど悲しくなかった。そのあとは泣きもしなかった。ただ、夢から覚めたばかりの朝のように、驚いてじっとしていた。

 

 もしかしたら、本当に夢だったのかもしれない。

 でも、それにしては嫌にリアルというか、夢で片付けてしまうには重すぎるような時間だった。

 

 別に山田さんの姿が見えたわけでも、声が聞こえたわけでもないけれど、確かに山田さんがどこかから気まぐれでやってきて、子供のいたずらのように私を驚かせてきたような気がする。

 

 私はとにかく、嬉しい。なんのひねりもなく、嬉しい。もし山田さんが来てくれたなら、嬉しい。

 

(私の日記帳からの引用。わかりやすいよう、一部 加筆・修正しました)

 

 

 

 日記というよりは、バラバラになった心を繫ぎ止めるための、殴り書きです。

 

 

 

 そして、この日に山田さん(だと思っていた)を感じた理由が、明らかになったのです。

 

 要するに、私のそばに来てくれた魂は、山田さんではなく小林さんだったのです。

 

 小林さんが亡くなった日と、私がこの不思議な経験をした日が同じということや、

 

 「嫌にリアルというか、夢で片付けてしまうには重すぎるような時間だった」という一文から滲み出る、やけに現実味を帯びた雰囲気などから考えて、間違いないと思います。

 

 神さまか天使かが、最後に少しだけ、私を小林さんに会わせてくれたのだと思います。

 

 

 

 また、そのときの私は、「不思議なほど悲しくなかった。そのあとは泣きもしなかった」と書いています。これは、今の私の、小林さんの死の受け止め方を考えれば、つじつまが合います。

 

 小林さんの訃報を知ったばかりの私は、驚いて冷静さを失っていたので、①で「(小林さんの死を)受け入れるのに、時間がかかりそうです」と書きました。

 

 しかし1日経つと、すんなり小林さんの死を受け入れられたのです。「小林さんはもういない」という、本来なら目を背けたくなるはずの現実を、受け止められています。

 

 

 

 ルパン三世の大ファンである私は、小林さんが次元役を「降りた」とき、1週間ほどその悲しみを引きずり、精神的に少しおかしくなっていました。

 

 そのときの様子は、これらの記事を読んでいただければ、おわかりいただけると思います。↓

 

あすなろの木 第七話 ルパンが死んだ日(前編)

 

あすなろの木 第八話 ルパンが死んだ日(後編)

 

 (「あすなろの木」とは、私が当ブログ内で不定期連載していたエッセイのタイトルです。)

 

 

 

 次元役である小林さんが次元を辞めただけでも、これだけ嘆き悲しんでいたのに、その小林さんが亡くなったときは、立ち直るのが早い。

 

 おかしいだろ、と思う方もいるかもしれません。事実、私もおかしいと思ったのです。

 

 しかし、それは外面だけを見ていたからでした。内面のもっと深いところ、深層心理のようなものに、その答えはあったのです。

 

 それは、私が、「キャラクターと、キャラクターに命を吹き込む俳優との関係を、どう捉えているのか」が鍵となります。

 

 

 

 今までの文章やブログ、日記を読み返す限り、おそらく私は、キャラクターと俳優を別々に捉えられないのです。


 今回のことで言えば、小林さんが次元を辞めたそのときに、私の中では、小林さんは亡くなっていたのです。ルパンのまま亡くなった山田さんとは状況が違います。


 山田さんはルパンであるまま天に召されました。なので私は、テレビの中のルパンと、現実で亡くなった山田さんとの区別がつかず、頭がこんがらがって苦しんだのでしょう。



 私は、山田さんの死をリアルタイムでは知りませんが、それだけ私はルパンが大好きだったのです。


 小学生の頃は、何も考えずにルパンを楽しめていたので、ルパンの声や山田さんの演技がテレビの中で生きていて、それが私の心にもそのまま繋がっていました。



 ところが、私は少し成長して、「俳優・山田康雄の死」を現実的なものとして捉え始めました。そのとき、今までなんの障害もなく、私の心にスムーズに流れてきていた「ルパン」が途切れてしまったのです。その途切れ、そして捉え方のせいで、私は悩み苦しみ、今までその障害に苦しんできたのでしょう。





 今回の小林さんの死は、私にとって、次元の死ではありません。そして私が愛していたのは、「次元だった」小林清志さんです。

 それが全てだと思います。







 長くなってしまい、すみません。以上が、小林清志さんの訃報を知ってから、私が考えた全てのことです。


 小林さんのことだけではなく、私が今まで書いてきた記事、考えてきたことなども紹介させていただきました。そうしないと、私が小林さんの死についてどう思っているか、どう感じているかが、しっかり伝えられないからです。


 …って、「しっかり」伝えるってなんだよ。そもそも誰に伝えるんだよ、こんな長ったらしい文章。


 と、自分で自分にツッコんだところで、今回の記事を終えたいと思います。




 うまくまとめられていない上に長いですが、ここまで読んでくださった方、もしいれば、本当にありがとうございました!