エッセイ「あすなろの木」第八話です。第七話の続きです。

 第七話↓


第八話 ルパンが死んだ日(後編)

 少し時が経ち、2021年11月13日。
 小林清志さんを「失った」悲しみも少し癒え、上手くつくれなかった笑顔が、少しだけつくれるようになっていた。
 とはいえ、心の中はいまだ孤独だった。


 13日のその日、私は少し落ち込んでいた。
 子供みたいな理由だが、怖い夢を見たのだ。
 それも1つではない。1度の眠りで、私は6つもの夢を見た。

 ・大好きな先生に怒られる夢
 ・妹の目玉が外れてしまう夢
 ・夜、知らない場所で迷子になる夢
 ・クラスメイトにいじめられる夢
 ・友人に首を絞められる夢
 ・好きな人が射殺される夢

 しかも、覚めても記憶が消えない。まるで実際に体験したかのように、いくつもの恐ろしい光景が、頭にこびりついている。
 これらのと、小林さんのことも相まって、私はかなり疲れていた。

 そんな不安が、顔ににじみ出ていたのかもしれない。お母さんが、何度も心配そうに私の方を見てきた。

 そして、学校の制服に着替えているとき(私の学校は、土曜日も授業があるのだ。)、お母さんが私に優しく声をかけた。

「まどか。今日の夜、一緒になんか観よっか。ルパンでも、ガキ使でも、しゃべくりでもなんでもいいよ」

 私はお母さんの笑顔に、何だか救われた。一気に心のカーテンが開かれ、朝日が差し込んできたようだった。
 私は「うん」と約束を交わすと、家を出た。

 自転車を漕ぎながら、私は「こんなの久しぶり…!」と少し感動していた。


 私がまだ小さくて、忙しくなかった頃、お母さんとよくテレビを観ていた。
 休日は夜更かしをして、紅茶を飲みながら、ルパンやらディズニーやらバカ殿やら、2人で楽しんで観ていた。その頃はまだルパンを好きではなかったが、「ルパンってかっこいいなあ」とは常々思っていた。

 そして私は、お母さんと観るテレビをもう決めていた。


 家に帰り、課題を済ませ、夜になった。

母「そう言えば、もう何みるか決めたの?」
私「うん。これだよ」

 私は、棚から「ルパン三世 ルパンVS複製人間」と書かれたケースを取り出した。私が世界で1番好きな映画だ。

 父も妹も眠りにつき、2人だけの時間が始まった。私は胸を躍らせながら、ビデオ・デッキにDVDを滑り込ませた。それはかすかな音とともに呑み込まれてゆき、そして幸せが私を包み込む。武者振るいがした。

 ルパンの絞首刑がなされ、銭形が確認しに行くと、そこにいたのはルパン本人。ルパンはクールに銭形の元から飛び去り、銭形の撃ったピストルの弾が、ルパンの「ン」を形造る。

 そして、あの世界1ワクワクするイントロとともに、大野雄二さんの情熱が耳に飛び込んできた!(私は嬉しすぎて笑ってしまい、お母さんに笑われた。)

 「声の出演」のところで、私はいつものごとく、ちょっぴりさびしい気持ちになる。

 ルパン三世 山田康雄
 峰不二子  増山江威子
 次元大介  小林清志
 石川五ヱ門 井上真樹夫
 銭形警部  納谷悟朗

 私は「小林清志」の字を見つめて、それから目を伏せた。

 それからルパンVS複製人間を観つづけて、思ったことがある。

 マモーの言うことは間違っており、美しいものは永遠を約束されていないからこそ、美しいのではないか、と。

 マモーは、美しいものや自分自身を永遠のものにするため、クローンを造り続けた。しかし作中で、クローン製造を続けたことにより、彼の粗悪品も生み出されてしまった。その姿はとても、美しいとは言えない。

 そこで私は、気が付いたのだ。「小林さんが次元を演じる」ということは、永遠でないから素晴らしいことなのだと。

 小林さんの命も、永遠は約束されていない。マモーの存在しないこの現実世界で、小林さんがずっと次元を続けるということはありえない。
 
 だからこそ、私はこんなにも小林さんが好きで、彼の声が好きで、それ故につらい思いをしたのではないか…と。彼が美しすぎる故、私は悲しみのどん底に沈んだのだ…だから、私の中で「ルパン三世」が死んだのだ。

 山田さんに焦がれたときもそうだ。永遠とは呼べぬ、すでに亡くなってしまった彼の美しい命を、私が「ルパン三世」という手段を使って画面の奥に発見してしまったため、あれだけつらい思いをし、あれだけ泣き明かしたのではないか?

 自分なりの答えを見つけると、私は何だか、スッキリとした軽い気持ちになった。

 そんな私の心の中を、「ルパンVS複製人間」は爽快に駆け抜けていった。


私「面白かったね」
母「ね〜。ストーリーが壮大だよね」
 観終えると、私とお母さんは、その感想を30分にも渡って語り合った。

 それから、この映画の予告編や設定資料、パンフレットなどを2人で見まくり読みまくり、ようやく「さあ、寝よう」となった。

 時計を見ると、なんとそれは夜中の1時半を指していた。実に、3時間半も「ルパン三世」の世界にドップリと浸かっていたのだ。


 「ルパンが死んだ日」は、11月7日だと言ったが、もしかすると本当の意味で死んだのは、この日(11月13日)だったのかもしれない。

 その日、私の中でルパンが死に、そして「新しく生まれたルパン三世(小林さんが存在しないルパン三世の世界)」を受け入れられるようになった。小林さんじゃなくたって、声が大塚さんだって、次元は次元、世界1のガンマンなんだ。そして小林さんも、きっとそうなることを望んでいるんだ。ルパン三世によって落ち込んだ私の心は、ルパン三世によって救われたのであった。

 ありがとう、お母さん。ありがとう、ルパン。私はこれからも、この命が尽きるまでルパン・ファンを続ける。誰の声が何度変わったって、彼らについていき、彼らの活躍を目に焼き付けて楽しもう。

 そんなふうに思えた、「ルパンが死んだ日」だった。

(おしまい)