映画と自転車と私。 -7ページ目

映画と自転車と私。

京都で飄々としながら、映画(99%)や自転車旅行(1%)のことを綴ります。

【4+】
究極の愛のお話でした

果たして自分は愛する人のためにその人が自分とは違う誰かと結ばれるよう、決定的な判断をすることができるのだろうか

難しい・・・

きっと無理だろうな

一生後悔してしまうことはできない

一番かっこいいのはフランス人の警察署長さんでした

どんな立場にいようともフランス人である、という誇りを忘れてはいない署長さん

1942年と今から70年前の映画ですが、ドイツがとてもひどい国に思えてしまう
【3+】
監督に説教したいほどのできの悪さ・・・。

①小説原作・アニメともに三神先生=怜子さん、というのがこの話の大目玉であったはず。
それをしょっぱなに何のひねりもなく明かしてしまうのはいかがなものか。
いくら実写化では小説やアニメ(アニメではいささか苦しいところがあったが努力していた)のように、同一人物をまるで違う二人の人間のように見せるのが困難であるといっても、なんの努力も見られないのはがっかりした

②死者を殺すのは死者自身ではなく、主人公の役目。
怜子さんに母親の面影を重ねてしまう主人公が、死んだ母親への思いを断ち切るためにも自分の手で死者を殺すことに意味が有ったのでは。
加藤あいが可愛いからといって、あんなぬるいラストでは観客は満足しない。

③ただの中学生に成り下がり、神秘性の失われた見崎鳴。
物語では一貫して、見崎鳴が他人とはなれ合わないどこか不思議な存在としてあるからこそのAnotherなのではないか。
主人公と見崎鳴がなれ合いすぎて、二人の世界でキャッキャうふふしすぎである。
どこのラノベかと思った。
他の同級生と人間関係を作って行く様も安っぽい。

この映画を一言で表すと、
「劇団からいい子役を集めた高校の文化祭映画」

ただ、加藤あいと橋本愛のWあいコンビは大画面で見るに値する美しさであった。

【追記】
一つ気になることが。
怜子さんの部屋にずっと飾っていた、主人公?が合宿先の湖にひとり佇む絵(これはのちに合宿先で同じショットが再現されていた)。

注意して見ていたけれど、これがなにを意味するのかが結局分からなかった。
【4+】

「アベンジャーズ」のポスターでロバウト・ダウニーJr演じるアイアンマンがあれほど全面に出てくるだけある。

彼がアベンジャーズの台風の目であり、頭脳なのだ。

もし彼がいなかったらアベンジャーズはなんの内紛も起こらずに、もっとお行儀のよいヒーロー軍団としてうまく機能していたのかもしれない。

だがそうは問屋はおろさない

アイアンマン×ソー(肉体派)、アイアンマン×キャプテン(絶対正義)、アイアンマン×ハルク変身前(理性の固まり)の関係性がなかなか面白かった。

個々の映画で完結しているので違う世界観、信条同士がぶつかってたけどそれがうまいこと作用して面白くなってた。

言うなればアイアンマンはアウトローな海賊弾の船長と言ったところか。

個性の強い部下たちを四苦八苦しながらも上手く統率していた。

「どうにもならない欠点がある」

これがみんな(映画の中の登場人物・観客)に愛される彼のカリスマ性なのだろう。

来年のG.W.には「アイアンマン3」が公開されるようでとても楽しみ。