プロ野球カードとサイン -4ページ目

プロ野球カードとサイン

プロ野球カードとサインでは、BBM・カルビー・タカラといった、NPBを取り扱うトレーディングカードを中心に選手の経歴を紹介。

アメンバー限定記事は主に球場でサインを貰う(インパーソン)際に更新しています。

80年代〜90年代のOB選手を中心です。

自身の経験を今の職業に活かしているこの方をご紹介。

 

広島 苫米地 鉄人 さんです。

 

1999年 山梨学院付属高校時代は、3年夏に4回戦敗退。高校時代から140kmを越えるストレートが持ち味で、その年ドラフト6位で広島東洋カープへ入団します。

 

翌年のキャンプから首脳陣からも高評価で、そのまま開幕ベンチ入りを果たします。

 

アッパーテックのカードが懐かしい!ストレートとスライダーで、中継ぎとして23試合に登板。2勝を挙げます。

 

鮮烈なデビューを果たすものの、そこからはケガとの闘い。

 

2001年は内転筋故障で登板ゼロ

2003年は右親指手術

2005年は右ひじ故障

 

と、2002年の登板を最後に、1軍から遠ざかります・・・。

 

 

2004年には、制球力を高めるために、サイド―スローにも挑戦しました。

 

2006年は、1軍キャンプへ参加し、中継ぎとして登板するものの、1軍登板はなし。

 

2軍戦での登板は増えたものの、この年のオフに戦力外通告を受けます。

 

正直、悔いはある。もっと自分の体を知っていれば、結果は違ったのではないか」と取材コメントで当時の気持ちを残しています。

 

その気持ちが転機となり、2007年に鍼灸を学ぶため専門学校へ進学。2009年に国家資格を取得しました。

 

そして!

 

2011年に古巣、広島カープのトレーナーとして復帰し、現在も活躍されています。

 

チームに帯同するトレーナーは、患者さんと共に行動するようなもの。

 

日々の経過や変化を感じ取れることで、コミュニケーションが生まれる。選手をプロデュースできることがやりがいになると話されています。

 

これからも、選手を支えていってください!!

現在も日本球界のために活躍している、この選手



阪神 グレッグ・ハンセル さんです。


現在は、横浜DeNAベイスターズの駐米スカウトとして活躍する、ハンセルさん。


1989年 ジョン・F・ケネディ高校からドラフト10巡目で、MLBへ。


1995年には、ロサンゼルス・ドジャースでメジャーへ昇格。20試合に登板、翌年にはミソネタ・ツインズで、50試合に登板する選手までに成長しました。


そして、2000年!



阪神タイガースへ入団します。


ちなみに、この年タイガースはユニフォームを、マイナーチェンジ。そのため、BBM社のカードは恒例のユニフォーム姿更新版のカードを発行しました。


ハンセル投手のカードは、アップデート版でも新ユニフォーム。


この理由は、ユニフォームはキャンプインからチェンジしていたため、ハンセルさんが縦縞帽子のタイガースユニホームを着た写真はなかったからです。


入団1年目から早速20試合登板。7勝を記録します。



入団2年目もシーズン通して活躍し、27試合に登板。


打線の援護がなく、5勝13敗で、チーム最多敗戦を記録してしまいました。


この暗黙時代、采配を奮ったのが、野村 克也監督。


その野村監督の語録で、残っているのが、


「近鉄のいてまえ打線がバックなら、ハンセルは20勝」


ですw


磯部・中村紀・タフィローズなど、強打をそろえた近鉄バファローズ打線。2001年にリーグ優勝を成し遂げます。


野村監督らしい、自虐の語録でした。


その後、ハンセルさんは怪我もあり、戦力外に。日本球界継続を希望していたものの、他球団入団は叶いませんでした。


そして、2006年。野村監督が、東北楽天イーグルスで自身3度目の監督就任。それと共に、ハンセルさんは駐米スカウトを担当することとなりました。再びNPB球界へ。


現在は、広島で活躍したルイス・ロペスさんと共に、DeNAで活躍しています。


日本プロ野球に対して、努力と熱意が感じられるハンセルさん。


今後も動向に注目しています。

指導者としての道を極める



広島オリックス 玉木朋孝 さんです!


今季キャンプも、猛練習を行っている広島カープの1軍守備走塁コーチを務める玉木さん。


そんな玉木さんは、東京の修徳高校出身。3年次には、夏の甲子園出場へ貢献。


そして、1993年にドラフト3位で、広島東洋カープへ入団しました。


しかし!


1軍の試合には中々出場できず、プロ6年目の1999年にようやく昇格。20試合に出場。


1999年、2000年で32試合出場。プロ初安打を含め、6本の安打を放つものの、自由契約に。


2001年から



オリックスブルーウェイブに入団しました。移籍2年目には、自己最多の49試合に出場し、打率3割を記録。


試合終盤の代走や、内野守備固めとして活躍!


守備固めエピソードとして有名なのは、


玉木さんは、「ブルーウェイブ最後のウィニングボールを受け取った選手」 なんです。


2004年9月27日vs近鉄 9番サードでスタメン出場し、試合終盤にファーストへ。


星野おさむ選手のセカンドゴロの送球を受け取ったのが玉木さんでした。



そして2005年に分配ドラフトで、オリックスバファローズへ。


1試合出場したのみで、その年限りで現役を引退します。



その後は、古巣広島カープへ戻り、スコアラーとして活躍。2011年に、2軍の守備・走塁コーチへ就任します。


2015年に1軍配属へ。そこから現在に至るまでカープを支え続けています。


選手として苦労した過去が、現在に活きている玉木さん。


今後の指導に注目です!