現在も日本球界のために活躍している、この選手
阪神 グレッグ・ハンセル さんです。
現在は、横浜DeNAベイスターズの駐米スカウトとして活躍する、ハンセルさん。
1989年 ジョン・F・ケネディ高校からドラフト10巡目で、MLBへ。
1995年には、ロサンゼルス・ドジャースでメジャーへ昇格。20試合に登板、翌年にはミソネタ・ツインズで、50試合に登板する選手までに成長しました。
そして、2000年!
阪神タイガースへ入団します。
ちなみに、この年タイガースはユニフォームを、マイナーチェンジ。そのため、BBM社のカードは恒例のユニフォーム姿更新版のカードを発行しました。
ハンセル投手のカードは、アップデート版でも新ユニフォーム。
この理由は、ユニフォームはキャンプインからチェンジしていたため、ハンセルさんが縦縞帽子のタイガースユニホームを着た写真はなかったからです。
入団1年目から早速20試合登板。7勝を記録します。
入団2年目もシーズン通して活躍し、27試合に登板。
打線の援護がなく、5勝13敗で、チーム最多敗戦を記録してしまいました。
この暗黙時代、采配を奮ったのが、野村 克也監督。
その野村監督の語録で、残っているのが、
「近鉄のいてまえ打線がバックなら、ハンセルは20勝」
ですw
磯部・中村紀・タフィローズなど、強打をそろえた近鉄バファローズ打線。2001年にリーグ優勝を成し遂げます。
野村監督らしい、自虐の語録でした。
その後、ハンセルさんは怪我もあり、戦力外に。日本球界継続を希望していたものの、他球団入団は叶いませんでした。
そして、2006年。野村監督が、東北楽天イーグルスで自身3度目の監督就任。それと共に、ハンセルさんは駐米スカウトを担当することとなりました。再びNPB球界へ。
現在は、広島で活躍したルイス・ロペスさんと共に、DeNAで活躍しています。
日本プロ野球に対して、努力と熱意が感じられるハンセルさん。
今後も動向に注目しています。