ロッテ→阪神→ヤクルト 成本 年秀さん | プロ野球カードとサイン

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80年代〜90年代のOB選手を中心です。

リリーフの研究家といえば・・・



ロッテ → 阪神 → ヤクルト 成本 年秀 さんです!


実家が甲子園に近く、子供の頃は阪神ファン。


西宮東高校に進学したものの、ここの野球部は12名。投手に転向したのはこの時でした。


3年夏の大会はベスト16で敗退したものの、球速がMAX138kmと注目されるようになります。


大学は、京都産業大学へ進学。3年には優勝決定戦で胴上げ投手となりました。


卒業後は大阪ガスへ入社。その後、1992年 ドラフト2位で千葉ロッテマリーンズへ入団します。



1年目から37試合に登板。


2年目には、不調の河本 育之投手に代り、ストッパーの役割を担い、19セーブを挙げます。翌年は河本投手とのWストッパーへ。



1996年には、30セーブを挙げ、最優秀救援投手賞を受賞。


翌年からヒジの怪我で、登板数が減り、2000年に戦力外通告を受けます。


そして、テストを受け、



子供の頃、ファンでもあった、阪神タイガースへ入団。


オープン戦で結果を残し、そのままストッパーへ。


5年ぶりにオールスターへ出場するなど、活躍。 20セーブを挙げ、カムバック賞を受賞しました。


翌年は若返りの方針もあり、1軍出場なし。


そして、



2003年 ヤクルトスワローズへ入団し、32試合に登板。


翌年自由契約となり、引退します。


引退後は、2006-07年ヤクルト、2008-12年ロッテ、古巣 大阪ガスを挟み、2015年からヤクルトで再びコーチをされています。


リリーフ登板においてのメンタルについてを現役時代から興味を持ち、多くの心理学の書籍を読んでらっしゃる成本さん。


現在は戸田球場でお姿を拝見することができます。