「19歳の三番打者」「恐怖の7番」といえば・・・
クラウンライター・西武 → 阪神 立花 義家 さん です!
柳川商業高校時代に、甲子園へ出場。
地元期待の選手として、クラウンライターライオンズ(現:西武)へ入団。当時は、「張本2世」として期待されます。
そして、2年目の1978年 根本 陸夫監督に抜擢され、レギュラーに定着。この時に、「19歳の3番打者」と称されます。
1980年 チーム最高打率3割1分を記録。
当時の西武は、阪神から移籍をしてきた、田淵幸一選手、主砲の土井正博選手など好打者がいたため、7番から打順が上がらず、
「恐怖の7番打者」
と呼ばれました。
1978年から1983年まで、連続100試合以上出場。
1983年の日本シリーズでは全7戦に先発出場。27打数6安打2打点を記録しました。
1985年には、中日から田尾 安志選手の移籍、金森 栄治選手の台頭があり、外野の定位置が奪われます。試合数は34試合と急減少。
代打での出番が増え、勝負強い打撃を披露。黄金期を支えました。
1986年に、背番号を「33」から「34」に変更。
立花さんの漫画のイラストは、頬に、○が必ずありました。ほっぺが赤いんですよね。
1991年に、阪神タイガースへ金銭トレード。59試合に出場し、出塁率2割8分を残したものの、その年限りで退団。
1993年に台湾プロ野球チーム 俊国ベアーズで71試合に出場し、引退。
1998年からはコーチとして、ダイエーホークス(1998-2001)→オリックスブルーウェイブ(2002-03)→西武ライオンズ(2004-07)→福岡ソフトバンクホークス(2009-12)
2013年から現在に至るまで、千葉ロッテマリーンズで活躍。
強打の打撃をサポートしています。