晴れてプロ野球⚾️にトレーニング&コンディショニングスタッフとして、入団した私は、ファームに所属し、先輩のトレーニングコーチ、コンディショニングコーチとともにファーム之選手のウェイトトレーニング、ピッチャーのトレーニング、ランニング、故障者のリハビリを担当することになりました
当時はまだ、コンディショニングコーチや専門に勉強してきたトレーニングコーチは、プロ野球界には、ほとんどおらず、陸上界からや、プロ野球選手が、そのままトレーニングコーチとして、選手の指導に当たっている事がほとんどでした。
トレーナーと言われる方は、各球団に6〜10名程いたのではないでしょうか。
しかしながら、コンディショニングを指導したり、リハビリテーションや、アスレチックリハビリテーションを指導できる人は、プロ野球界全体をみても、数名だけでした


そんな時代という事もあり、私が入団したチームは、プロ野球界の先駆けとなっていきました



まず最初の仕事は、チームのトレーナーさん達と仲良くする事でした

新しいコンディショニングという肩書きを持った人物を簡単に受け入れてくれる状況ではありません。


今思うと自分達の仕事の領域に踏み込まれるという印象を受けていたのではないでしょうか


入団当時は、コンディショニング担当コーチとトレーナーとは、確執があったように思います



しかしながら、お互いそこは、世間話などしながら、徐々にお互いの事をわかりあって、話しあいながら、お互いの仕事を理解し協力して、チームの為に選手の為にしていかなければなりませんでした。
毎日、毎日、時間があったら、トレーナー室に通って、しょ〜もない世間話しをしにいったもんです。
徐々にお互い氷が溶けていき、いい雰囲気のチームとなっていきました




さて次の難関は、技術コーチです

その当時は、まだ、トレーニングやコンディショのなどの概念がほとんど確率されておらず、しっかりした理論の元、選手として、指導を受けてその後コーチになった人はおらず、私達の仕事を理解してくださる方は、ほとんどいませんでした。
時間があったら、ウエイトなんかせんと、バット振っとけ!






ボール投げとけ!






ノックしとけ!







走っとけ!








という感じ



選手はいつも、技術練習でへとへと

ウエイト場に来る最後の選手は、18時前。






特守、特打をしてからくるので、立っているだけでした精一杯。



また、その時は、寮の食事が18時30分まで。
寮長兼食事がかりの人が、訳がわからず、練習で遅れても18時30分になったら、食事をかたずける。
ギリギリになって食事に行くと、ブチ切れなれる

から、私も選手に、しっかりトレーニングをさせることもできず、ストレッチだかさせて、すぐに風呂に行き寮にかえらせるのでした。


ご飯もちゃんとたべされられないのは、選手にとって、最悪でしたから
そんな毎日を数年過ごしましたが、私と先輩のコンディショニングコーチは、選手との信頼関係を徐々に作り上げていき、少しずつではありますが、他の技術コーチにも理解していただけるようになっていったのです



今でこそ、当たり前のように、各球団には、素晴らしいトレーニング施設が準備され、お互いチーム同士で、施設を共有し、また、オフには、情報交換の場所が確立するようになりました。
キャンプ中、シーズン中でも、当たり前のようにウエイトトレーニング、コンディションニングの時間が設定されています。
そう、何事もなかったかのように



その当時は、キャンプ中、シーズン中のウエイトトレーニングの時間の確保など戦いの場でありました。
最後の最後に技術コーチ達が球場を去った後に残った時間でやってる感じ。
選手もヘロヘロ。









しかし、その当時も、投手に関しては、比較的、時間と体力がまだ残っていたのです。




1軍も2軍も、トレーニング、コンディションニングを経験することで、素晴らしい結果を残して行くことになったのです。






そしてそれが、少しずつ、野手のコーチ達にも理解されてきて、私達の担当する、領域にも、時間と体力が残されるようになったのです

















今日は、ここまで




日本プロ野球界でのトレーニング、コンディションニングという概念の幕開けから、現在までの状況を経験できたことは、本当に自分にとって、大切なそして貴重な時間でした。
なかなかこんな経験、できませんから。
本当に私と同じ時間を過ごしてくださった全ての人経験に感謝です









Lineもやってます!
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