妊娠したと書いたが、あの後すぐに生理が来てしまい、結局化学流産となった。

私が初めての妊娠で、親族も皆待ち望んでいてくれていたので、舞い上がってすぐに報告しまくったが、ほんの数日でみんなの”おめでとう”を無下にしてしまう形となった。

 

そんなこんなで、夫は私の妊娠&流産のタイミングでこちらに帰ってきてくれた。

会社から都合の良いように使いまわされることに飽き飽きしたらしい。

そこに私のことが重なって、私の体調の心配をしてくれた結果、近くに居たいと転職するということになった。

 

今年は本当に激動の年だった。

1月1日 夫と付き合う(出会って4ヶ月、4回会っただけ)

3月 入籍

4月 夫単身赴任開始

5月 同棲開始

6月 指輪完成

7月 妊娠&化学流産

8月 夫退職&帰還

9月 マンション購入&引っ越し

10月 私の両親が離婚

11月 夫転職先決まる&妊娠

12月 ひたすらつわりに耐えた

 

こんなに密度の高い1年があるだろうか。

夫に限っては、元嫁と23年の6月に結婚して同年9月に離婚している。

つまり、離婚と単身赴任も重なって、23年4月~同年9月までで5回引っ越ししている。

本人はもうこれ以上身分証明に住所が増えるのは阻止したいとのことである。

 

そして、今回転職した先は日本有数の大企業の本店で、業界内で言うとぶっちぎりNo1の会社である。

福利厚生がえげつない。こんな福利厚生が整った会社は見たことない。

なんせ子供一人につき、何度でも3ケタ万円の御祝い金が出る。

都心の本社自社ビルは設備も整っており、セキュリティーも万全、大阪駅から地下直結で徒歩5分である。

研修施設は超豪華で某星野リゾートを彷彿とさせる。

よくこんな立派な会社に転職できたものだと、テーブルの上に置かれた社員証を見て毎日思っている。

 

ところで、私はまた妊娠することができた。

7月の流産後、しばらくは妊娠しないかなぁと漠然と思っていたが、11月には妊娠が判明した。

つまり、夫の転職したタイミングでちょうど妊娠したのである。

これはめちゃめちゃよいタイミングで、就社直後は任されることが少なく帰宅時間が早いので、つわりの重い時期に会社帰りの病院や日々の晩御飯など助けてもらうことができた。

その上年収は50万円以上アップし、子育て支援の福利厚生はバッチリだ。

そんな立派な会社に転職することができた夫を誇りに思う。

 

マンションを9月に購入したが、夫が無職期間だったのでローンを組めず、私がローンを組んだ。(夫が「自分の価値がない…」などと拗ねて、すごくめんどくさかった)

夫は頭金を800万円程出した。

私は残業なし、完全週休二日制、お菓子食べ放題・ジュース飲み放題(勝手に買う)などとまぁまぁいい環境で働けて年収470万円ある。そのため3500万円のローンを組めた。

その後2ヶ月後に妊娠したので、その段階では団信に入れず&ローンを組めず、家を買うなら本当にベストなタイミングであった。

また、買うならここしかないと思ったくらいの好条件の物件をラスト1邸で購入することができた。

今後夫名義でローンを組むこともできる。私が退職する前に色々な選択肢を残すことができたし、人生にタイミングは大切だなと実感した。

なんせ、私の会社は産休・育休なんてものはなく、妊娠=退職なのである。

妊娠少し前には生命保険にも加入しており、タイミングを見計らってお腹に来てくれた我が子は本当にしたたかな私の子だなぁと思う。

 

23年は色々と出費がかさみ、今までで一番お金を使った。

しかし、結婚前私には1000万円の貯金もあったし、収入も安定していた。

夫も30代前半ではそこそこの収入があり、前妻との結婚離婚費用をほぼ一人で出しているにもかかわらず、資産でいうと2500万円は残っていた。

そのため何不自由なく家も買えて、こうやって生活できている。

夫、結婚をあきらめていたミドサーBBAと出会ってくれて、選んでくれてありがとうと言う気持ちが大きい。

まず、この年代でこんな人はもう残っていないと思う。

それも夫は私より2歳下なので、心底出会えてラッキーである。

怒りっぽいとか、気分屋とか、節約家とか、生活音がうるさいとか、まぁ目に余ることはあるが慣れるが勝ちだと思っている。

夫以上の人は多分いない。

夫も同じ気持ちだと言っていたので、似たもの夫婦かもしれない。

 

私は現在妊娠14週となった。

辛い辛いつわりに泣きながら耐え、なんとか安定期に片足を突っ込んでいる。

自分が妊娠していることがいまだに信じられないが、エコーを見たり、エンジェルサウンズで胎児の心音を聞くと、涙が出そうなくらい感動する。

我が子が愛おしくて愛おしくてたまらない。

 

性別については、夫婦とも第一子は女児を希望していた。

そして、出生前診断を受けて染色体異常があれば堕胎しようと話していた。

これは賛否両論であろうが、私たち夫婦の考えなので「よそはよそ、うちはうち」である。

 

10週目の頃NIPTを受け、無事に染色体異常は確認できなかった。

胎児の性別も分かった。希望通り女児であった。

私の兄夫婦は男児1人、夫姉夫婦は上男児2人・末女児1人であったので、うちも男児かと思いきや見事に女児であった。

義姉たちは共に女児を熱望していたので、少し誇らしくもあった。

つくづく私達夫婦は運が良い。

ちなみにお互いの両親や兄弟、私たち本人合計6人の予想は全員女の子であった。

生まれたらどちらでもかわいいであろうが、とりあえずの希望は叶った形である。

 

ところで、皆さんのマタニティマークの印象はどうだろうか。

妊娠前の私が持っていた印象は、「幸せそう。中出しされて、受精したんだ~。エッッッッロwww」であった。

非常にエロいマークだと思っていた。男子高校生並みの思考である。

妊娠してからも通勤をしているため、もちろんマタニティマークを毎日付けているが、今や私もそんな目で見られているのかと実感慨深い。

 

中出しセックスをして孕んだことは事実だし、その行動は最上級の愛の形であると思っている。

受け入れる方も、孕ませる方も、特別な事情がない限り普通の夫婦は相手のことを愛し愛され子作りをする。

そんなに愛してくれている夫がいるのだと胸を張ってマタニティマークを付けている。

ついでに幸せオーラをばらまきながらお腹に手を当てて歩いている。(お腹が張っていて辛いのもある)

 

私は本当に今幸せで、何かある度に左手薬指を見ては幸せをかみしめている。

2~3年前は、「結婚できるかなぁ」と漠然とした不安に駆られ、数年後の自分の姿を見てみたいと思っていたが、その時の私に「未来はめっちゃ幸せやから安心しな」と言いたい。

何度も言うが、自分が結婚して子供を妊娠していることが未だに信じられない。

しかし日に日に母になる自覚も出てきて、夫婦らしくもなってきた。

つくづく、人間とは環境に順応する生き物なのである。

 

今日は夫が泊まりで研修なのであるが、朝時計置きを見たら初めてお揃いで買った時計を着けて行っていたので、私も着けて仕事に向かった。

ちょくちょく近況報告の連絡をくれるところも愛おしい。

子供ができてから夫のことがさらに好きになった。

 

書きたいことを書けたから、今回はここで終了。

前回のブログからもう3ヶ月が経っている。

月日の流れは恐ろしい。

 

そして、私はこの度妊娠した。

 

私の今までの人生は何だったのだろうか、というくらい順調にライフイベントをこなしている今日。

元々子供は欲しくなかったしかわいいとも思わなかったので、夫の希望を叶えるために付き合いで妊活をしていたが、実際自分のお腹に子供がいると考えると、とてもかわいく思うし早く会いたいと思っている。

 

夫は律儀で、結婚するまでは避妊具で避妊をしてくれていたので、結婚してから妊活を始めた。

(避妊具なしで挿入をしたことがなかったということである。バツ1なのに。)

 

入籍日の5日後に生理が始まったので、その時のタイミングは無効。

その後5月半ばで排卵し、5月末まで生理がなかった(61日飛んだ)。

要するに、結婚してから2回目の排卵のタイミングで受精できたということだ。

 

それに加えて、夫は単身赴任をしており月2回程しか帰ってこないので、まさにタイミングが奇跡的である。

それもその週末は、金曜日に結婚指輪を取りに行き、夫たっての希望で改めてフレンチディナーでプロポーズをしてもらい、土曜日にフォトウェディングを撮った。とっても幸福な時のセックスで妊娠したのである。

 

こんな幸せな時に妊娠した子供が幸せにならないわけがない。

母としては障害なく五体満足で元気に生まれてきてほしい。ただそれだけ。

 

なんせ前回の月経が61日空いており、今回の周期が分からないので正確な月齢が分からないが、恐らく4週目~5週目の始めといったところであり、まだエコーにも映っていないので、これからが大切な時期だ。

 

子を授かったと判ったのは先週の金曜日、7日の七夕だった。

朝、なんとなく早く目が覚め、「最近早起きになったなぁ」なんて呑気に思いながらいつものように基礎体温を測った。

「あれ?そういえば身体があついし、長い間ちょっと高温っぽいなぁ。生理もきてないし。先週末から生理痛みたいな腹痛あるからもう来るとは思うけど、とりあえず一つだけ余ってる検査薬やってみるかぁ~」と思い、クローゼットの奥にしまっていた検査薬を手に取ってトイレに行った。

 

「どうせ検査した後すぐに生理来るんだけどねw」と思いながら、キャップをしてしばらく待っていると、じんわりと陽性の線が色付いていくではないか。

過去4回程検査をしているが陽性だったことはなく、本当に色出るんだととても感動したし驚いた。

 

独り言で「え?!まじか。え・・・?私妊娠してんの?!」とぶつぶつ言いながらキッチンをウロウロして、とりあえず写真を撮って母に連絡した。

そして、その日いける病院を探しできるだけ評価の高い病院の予約をした。

 

80日来なかったこともあるくらいの生理不順なので、こんなに簡単に妊娠できるとは思ってもみなかった。

 

その日の夕方に仕事を早退して病院に行き、尿検査をしてエコーを撮ってもらった。

「陽性が間違いだったらどうしよう。」と不安で仕方なかったが、無事に+で、妊娠はしていると言われた。

しかし、まだ反応が薄く、エコーには映らないので来週検査をすることになった。

医師は「赤ちゃんのお布団になるところはふかふかで、この辺りに赤ちゃんが見えてきますからね😊」と、すごく優しいい方をしてくれたが、すなわち「子宮内膜は充分な厚さを確保しており、無事に着床したらこの辺りに胎嚢が見えます。」ということであろう。

子宮の状態も卵巣の状態も問題はなく、あとは正常妊娠であればいいのだが。と言うことであった。

 

最終月経日から数えたら6週目に当たるらしいが、排卵がズレていると思うので、前述した通り、まだ4~5週目と言ったことろみたいだ。

どうやら今回は35日周期くらいで、パパが帰ってきたタイミングで正常に戻ったらしい。

 

プロポーズやフォトウェディングなど、幸福な気分に満たされ、この人の子供を産みたいと本気で思ったときに我が身体ながらグッドタイミングで排卵したのだ。

人体とは不思議なものである。

 

胎嚢が無事確認出来たら、次は心拍の確認、その次は12週の壁、とまだまだ気が抜けないが、今は子宮の拡縮の痛みや、電車で立っていたときに足首まで伝ってきた、経験をしたことがないようなとてつもない発汗でさえ、我が子の最初の我がままだと思うと愛おしく感じる。

幸いなことに悪阻はまだ全然ないので、今のうちに保存できる食料の買いだめなどしておきたいと思っている。

 

1年前は2年程ズルズル引きずった先の元カレと佐賀旅行に行っており、まさか1年後の私が違う人と結婚して子供を作っているなんて思いもしなかった。

 

ところで、妊娠したら3番目くらいに考えるのが夫にどう報告するか、である。

私の夫は単身赴任中なので、すぐに伝えたいとなるとLINEが電話しか方法がないのだが、ちょうどその日は電話をする約束をしていたので、その時に伝えようと思った。

 

通話を開始し、最初はたわいもない話をしていた。

しばらく経って「あ、そういえば入れておいて欲しいアプリがあるの。」と白々しく口にした。

LINEで妊娠管理アプリのパパ登録コードを送り、「今すぐ見てみてー」と言った。

夫は「なになに~?ちょっとまってねぇ」と言いながら、しばし無言になった。

 

夫「ふんふん…」

私「…ねぇ~?パパー💕」

夫「うーん。パパねぇ。…っ?!パパ??!?!?!えっ?!えっ???」

私「パパなんだから、しっかりしてねー💗」

夫「まじでっ??!??!?え?!?ほんとに!??!?!?!?」

 「やっべぇえぇぇ!!!俺、パパなの?!!?!まじかーーー!!うれしーーーーー!!!!」

 

と、よくもまぁここまでお手本のようなリアクションをできるなぁと感心したほどである。

私はニヤニヤして聞いていたが、夫は倒れるのではないかと思うくらい、感情がどえらいことになっていた。

 

この人なら子供を幸せにしてくれるだろうと、確信した。

翌日のLINEでもずっと体調を気遣ってくれて、「近くに居なくてごめんね。また飛ばされそうだし転職して帰ろうと思ってるから。心配すぎて一人にさせたくない。今すぐ帰りたい。愛する妻が妊娠したって言うのに、なんでこんなとこにいるんだろう。はぁ。もうやだぁ…。ぴえん。」と見事にヘラり出した。

 

そんな夫の言葉が愛おしくてたまらない。

こんなに私のことを愛してくれる人なんていないと思う。

出会えて、結婚できて、本当によかった。

 

母になれば夫がウザく感じる女性もいると聞くが、私は妊娠発覚から夫のことがさらに愛おしく感じている。

 

私も1年前はフラフラしていたが、彼も彼で元妻と別居を始めたころである。

お互い、1年でここまで住む世界が変わるなんて思ってもみなかった。

 

私を母にしてくれてありがとうと言いたい。

いや、まだ胎嚢も確認できておらず、生まれるという保証はないのだが。

 

でも、夫との子供なら絶対に大丈夫だという自信がある。

お腹の子としばらく二人でゆっくり過ごしていこうと思う。

 

このブログを書き始めた、大学生時代の私に、

「大学卒業後すぐに甲状腺がんが見つかって手術を受けることになるが、今年で10年再発していないので通院も終わった。恋愛関係で色々あるけど、何も心配いらない。そのままここまで来て欲しい。私はほんとーーーーーに今とっても幸せだ。」と声を大にして言いたい。

夫が言うには、私と出会ったのは去年の9月15日ということだった。

なぜ日付まで正確かと言うと、夫が私とのomiai内でのメッセージ画面を全てキャプチャーして保存していたからである。

 

付き合ってから、「なんでそこまで正確に覚えているのか」聞くと、「気持ち悪いと思わないでね…」と言い、30枚ほどのキャプ画面を見せてきた。

夫は「アプリを退会するとこれまでの質問や回答が分からなくなり、何度も同じ質問をしてしまうのは失礼だと思ったから、LINEに移行した人のキャプを撮ってる」と言っていた。

私は気になっている人から同じことを何度も聞かれても「私に興味を持ってくれているんだ」と思い、失礼とも思わないが、夫のことを律儀な人だと思った。

 

9月15日、その日から私たちはほぼ毎日、往復1通以上のLINEのやりとりをしている。

単身赴任故、それは結婚した今でも続いている。

 

さて、本題だが、夫はバツイチである。

前妻との間に子はない。

前妻とは1年半ほど交際し、色々あって結婚して3ヶ月で婚姻関係は破綻した。

元々前妻のことは付き合った当初から”やばいヤツ”とは思っていたらしいが、彼が結婚の為に転職をしており、両親にも啖呵を切って絶縁覚悟で婚約したので、婚約破棄だけは避けたかったとのことである。

 

私は前妻の写真すら見たことがないので、どんな人か知らない。

そのため、夫から聞いた情報だけで前妻の人格を否定することは不公平であることも重々承知している。

 

私の経験上、離婚した男性と女性を比較すると、女性よりも男性の方が元配偶者のことを卑下することが多い気がする。

元彼氏もバツイチで、その傾向があったが夫ももれなくその一人だ。

バツイチ男性がどれだけ元配偶者のことを悪く言おうが、結局結婚に踏み切ったのは自分の意思なので、よっぽど腕利きの詐欺に遭ったなどではない限り、結婚というものは”自業自得”という面が大きいのである。

 

それを考慮して上で夫の前妻の話を聞いていたが、

・両親に挨拶に来なかった。

・高価な婚約指輪をねだってきたのに、一度も指を通さずダイニングテーブルの上に放置していた。

・生活費を一切出さず、貯金の額も開示せず、同棲中の家賃や水道光熱費、食費に至るまでほぼ全て夫持ちであった。

・家事も一切せず、休日は推し活で家にいない。会話もない。結婚してからの夫婦生活はほんの数回であった。加えて、二人ともアラサーであるのに、自由でいたいからと子作りを拒否された。

この辺りの前妻の行動は上記を逸脱している。立派な有責配偶者である。

 

「いや、なんでこんな女と結婚したんだよ。」というのが正直な感想である。

前述の通り夫にも理由はいろいろあったかもしれない。

しかし、話を聞くところによると彼女は交際時点ですでにその片鱗を十分見せていた。

夫に面と向かって「それは、そんな人を選んだあなたの自業自得です。」とは言えないし、同情もするが、夫は楽観的だったのか、前妻を信じたかったのかもしれない。

ただ、外見がとても好みであったことは聞き及んでいる。

 「この人を逃したらモテない自分には次のチャンスが訪れないかもしれない。」そのような、半ば依存的な思考回路であったのかもしれない。

それにしても選ぶ人間違えすぎだと思うが。


3ヶ月で堪忍袋の緒が切れた彼は、前妻に自分の分の署名押印した離婚届を持たせ、家から追い出した。

そして約2ヶ月後私と出会った。

結局離婚が成立したのは私と出会った前日だったらしい。

入籍の再判明したが、私は7月と聞いていたのでもう少し早く離婚成立は9月だと言って欲しかった。

気持ちは変わらないが、心持ちは少し変わる。


つづく

唐突であるが、結婚した。

 

去年9月に出会い月1回のペースで会い、今年1月1日から付き合い、先月19日に結婚指輪を発注、同棲する家も見つけ、21日に入籍した。

そして、今月から夫は1年未満予定の単身赴任(出向)に行った。

 

スピード感がすごすぎて、重力に押しつぶされそうだった。

今は6月からの同棲(しばらく一人暮らし)にむけて実家で休息中である。

 

様々な理由で両家顔合わせは実現していないが、お互い相手の両親には会っているし、私は義両親にすごく好かれている。

夫の実家へお邪魔した2回目には私専用のミッフィーちゃんのマグカップが用意されていた。

私がミッフィーちゃんを好きなことを知った上で用意してくれたのである。

お義父さんは「ママがすごく楽しそうに選んでいたよ。気に入ってくれてよかったね、ママ!」という、ドラマのような台詞を言い、私が喜びながら夫に「あなたも知ってたの?」って聞くと、夫もお義母さんもすごく嬉しそうに笑っていた。

 

なんだこの幸せそうな家族は。

その幸福空間を共有できていることで、私は夫と結婚をしてよかったと心底思った。

 

また、お義父さんは「りんちゃんとなら早く入籍しなさい!出向で待たせるな!」とか、「りんちゃんの一人暮らしが心配だから、少し狭くなっても家賃が高くなっても、セキュリティーが完璧で治安のいいところへ住まわせてあげなさい!」と言ってくれていたらしい。正直言って、こんなにも気に入ってもらえると思っていなかった。

私の外見や、所作、作法、雰囲気や考えなどがドンピシャであったとのことだ。

この点については、このような人格に育ててくれた両親に深く感謝している。

 

閑話休題

 

さて、夫との出会いは当然のごとくマッチングアプリである。

具体的に言うとomiaiだ。

 

前回の記事の通り、私は承認欲求と性欲の化け物で、マッチングアプリ依存症女であった。

今回、夫と出会った際のマッチングアプリは何度目の登録であったかは当然覚えていない。

10年ほど前から彼氏のいないときは登録しているし、200人弱は実際に会っていると思う。

マッチングアプリは登録してから5日くらいまでは毎日何百件のいいねを貰えるし、一番調子が良かったときは3日程で1000件を超えていた。

そして毎日のように男と会っていた。

しかし、32歳ともなるとやはりいいねの数は減ってくる。

 

結婚願望があった私は、今回の登録でいい人がいなかったら結婚相談所へ駆け込もうと思っていた。

 

そこでマッチングして会おうとなったのが夫と、マッチングアプリ6年戦士さんであった。

マッチングアプリ6年戦士さんは、実に様々なマッチングアプリに登録しており、私はその存在を少なくとも6年前には認知していた。

実家の玄関先でスーツ姿で映っている、研究職の人である。

これを言うと「あのひとか~!」となる人が多数いると思う。

現に友達も知っていた。

 

私は昔アプローチをしたことがあったがマッチングしなかったので、それ以降は見つけてもいいねを送っていない。

そんな彼とマッチングしたきっかけは、ズバリ「写真が変わっていて、その人だと気付かなかった」ことである。

私からいいねをするとマッチングしたので、メッセージのやり取りが始まった。

 

その後LINEを交換し、フルネームが判明したのでインスタで検索してみたところ、例の玄関先での写真が出てきた。

「この人か!」とはなったものの、メッセージはごく普通のやり取りで、好印象な方であった。

 

そして、彼の希望で一度オンラインデート?をし、彼のお眼鏡に叶ったらしく、ご飯に誘われた。

梅田のアメリカンカフェでランチをしたが、出会ったときから彼の印象は良くなかった。

顔は写真とほぼ変わらなかったが、とにかく人を見下してくるし、自分はすごく立派な人であることを自慢してきた。

私はゲームが趣味であるが、マインクラフトにハマっていることを伝えると、あからさまに苦笑いをし「なにそれ?笑」と。

 

いやいや…

世界で一番売れたとギネス記録に認定されている、世界のMicrosoftが販売しているゲームです。

そんなことも知らないのかと。バカかと。

まぁそれを知っているかどうかは人に寄るので深追いはしなかったが、人の好きなものを聞くときに、そのような反応は良くないと思う。

彼はとにかく自分が一番で、自分以外の話には興味がないのである。

とりあえず今日はマイクラで何をしようかと考えながら彼の話を聞いていると、彼は自称モテるのに6年も彼女がいないという。

 

知っている。

 

貴方が6年前からマッチングアプリの常連になっていることは存じ上げている。

そして、その辺の男性より多くのいいねを貰っていることも知っている。

しかし、私はそれらを初耳の体で聞いていた。

彼女とは長く続かず、結局マッチングアプリに舞い戻ってしまうらしい。

 

知らんがな。

 

彼の話がつまらなかったのでとりあえず早めに引き上げて解散することにした。

確かおごってもらったとは思うが、もう覚えてもいない。

その時彼は赤ワインを持っていて、触れてほしそうだったので敢えて聞いたが、今から家に帰って鳥のナントカ焼きを作って赤ワインを飲むらしい。

 

知らんがな。

 

とりえず私はナシな人も全員にお礼をするので、お礼の社交辞令LIMEを送信したが、既読スルーされた。

一生フッたという優越感に浸っておけばいい。

おごってもらった側のありったけのお返しである。

 

6年もマッチングアプリをしていても結婚はおろか、彼女もできないのは自分に原因があるとは思わないのであろうか。

思わないのであろう。

「俺別に無理に彼女欲しくないし」って強がっていながら、マッチングアプリはやめられない。

典型的なマッチングアプリのカモ。つまり俗にいう踊り子である。

 

特に彼は顔も悪くなく、身長も低くはない。年収も700万程はありそうだったので、自分も人に求める理想が高いのであろう。

しかし、重要なのはやはり中身なのだ。

どれだけイケメンでも高身長高収入でも、一緒にいて楽しくなければ付き合う意味がない。

 

そこで出会ったのが今の夫である。

 

つづく

約12年ぶりの登場。

といっても、誰も見ていないのだろう。

 

昔の記事読んで、この頃は若かったなぁっと思い、とても懐かしく思うと同時に何とも言えない気持ちになった。

既に大学を卒業して早10年。

この10年の間に何があったかと言うと、本当に色々あった。

 

しかし、ただ一つ言えること、私はまだ独身で、子もいないということだ。

結婚したいと思っていなかったし、子供は今も欲しいとは思っていない。

 

このアカウントを思い出したきっかけも、他人の婚活ブログやいわゆるサレ妻ブログのアメンバー限定記事を閲覧する為だ。

なんとも不純なきっかけである。

 

そもそもメイドになったきっかけは、「ちやほやされたい」その一言に尽きる。

そして、その承認欲求は見事に私の人格形成の一部となり、現在は立派な承認欲求モンスターに成長した。

 

私の承認欲求はマッチングサイトで男を漁り、男をとっかえひっかえするという方向に傾いた。

20歳の頃、ちょうどひとつ前の記事を書いている頃に初体験を経験し、快速急行並みのスピードで経験人数は40人に至った。

ここ5年に限って言うと、ご新規さんは10人程度と考えると、一般的に考えてとても早く40人を達成したと自負している。

 

正式に付き合った人数はおそらく5人で、6ヶ月、11ヶ月、6ヶ月、11ヶ月、5ヶ月である。

 

最近の人に限っていれば、付き合う前から体の関係があり、別れてからも旅行やお出かけもするし半同棲状態の、言わば何の変哲もないカップルのような関係が2年弱続いていたので、人に答えるには3年と言うべきであろう。

しかし、私はその間にマッチングサイトやら結婚相談所に登録をしていたので、彼には申し訳ないが、一度別れた時点で私たちの実質的な関係は終わっていたのだ。

 

私が実家にいたくないとの理由で、彼の部屋に都合よく上がり込み、彼も精神的、身体的な寂しさを私で紛らわしていた。

つまりはwin-winの関係だった。

 

しかし、その関係は今月初めに終わりを迎えた。

私に彼氏ができたのである。

 

つづく