体感として納得していない部分 | 竜の尾っぽの子廻屋

竜の尾っぽの子廻屋

尾道暮らし。お寺の掃除請負、ゲームイベント開催、メッセンジャーな個人事業主。
ネガティブな人間がスローペースででも変化するさまを実況しつつ、好きなものについて書いてます。

二次創作【Pixiv】http://pixiv.me/habyy

ブログ投稿から一週間たったからなんか書かんの?

 

というアメブロさんからの機械的な催促にのって

常日頃どうにもこうにも分からんところがあるという事を書いてみる

 

 

自分のダメなところを見せたら

意外と受け入れられてホッとする

楽になる

 

というやつである

 

ホッとしたことがない

と言えば嘘になる

 

 

そういう時は

自分のダメな部分をさらす事に対する抵抗がそもそも少なくなっている時である

 

その場の雰囲気、ノリ

さらしたことで嫌われてもいい相手

 

そんな状況の時は

そっかー

いいんだー( ´∀`)

となる

 

 

 

 

真剣な状況、私に余裕がない状況

嫌われたくない相手

 

そういう時に

抑えきれずに自分のダメな部分を見せてしまった時

 

たとえ相手に「全然平気だよ」と言われても

 

「そんなわけあるか」と

私がダメになってしまう

相手と関わることが苦痛になってしまう

その人を見ると自分のダメな部分を眼前に叩きつけられたように苦痛を感じるようになってしまう

 

 

理由としては

 

私がダメだと思っている部分を肯定されたところで

私が私にダメなもんはダメと決めている、信じて疑わない、固執した状態なので

誰に何を言われても入ってこない

 

そしてそういった混乱状態が人を困らせる、怒らせるという認識もあるので

やってはいけない、やったら悪い結果になると

頭の中でどんどん悪い状況が繰り広げられ

結果としてそうなっていく

 

というところだろう

理屈で考えるとね

 

引き寄せとかどうせとか拗ね

 

だから対処としては

 

その時に感じる感覚

みじめさ

みっともなさ

恥ずかしさ

情けなさ

無力さ

いたたまれなさ

を感じきる必要があるんだろうなぁ

 

そういった感情は本当に辛いし

無意識に逃げようとするし

 

自分一人がすごいダメな奴で

他の人達は全員いい人ばかり

迷惑ばかりかけてる

これからも迷惑かけて許されたとして

ダメな自分が生きる事を許されたとして

惨めなダメな人間のまま存在し続けなければならない

役に立てない、価値のない存在

ダメであることが価値になる存在?

それは他の人に馬鹿にされるためだけに存在しろという事?

 

と、他の人を自分を踏み台にする悪いヤツに仕立て上げようとする

 

人間には上下関係が存在すると思っているし

自分が下の人間であるとも思ってる

 

後者である事は間違いないだろうけれど

後者=出来ない人間という感覚もがっつりある

 

 

拗ねもどうせという思考も他の人の迷惑になる

だから迷惑をかけない為には拗ねてもどうせの思考ももってはいけない

 

 

というのが、実は心の中にある

 

 

んー…

考えてたら息が詰まるし、肩に力が入ってきた


自分責め云十年、スキあらば自分責めと言われるドM

何をどう笑えばいいやらわっかんないなー

 

 

疲れたので今日はここまでー