雨ですね・・・・。
僕がこのブログを書く日は、何故か雨の日が多い気がします。
単なる偶然でしょうけど。
今日は、永遠の課題とも言える、重いテーマを取り上げます。
↑まずはウィキペディアをご覧ください。
単なる家庭内暴力とは明確に線引きされています。
僕の家庭にも、暴力はありました。
それは、父から母へのものでした。
僕の友達は、それとは逆で、結婚後に妻からDVを受けるようになったんだそうです。
また、後輩がかつて片想いしていた相手が、後輩とは別の男性と早くに結婚し、故郷で再会した時に、夫からDVを受けていると知って、その後輩はいたく憤っていました。
身近にも暴力の話は尽きません。
今回の僕が話したい事は、DVの話題ではなく、男性から女性への暴力について、です。
温厚なはずの男性が、女性に暴力を振るう場合の多くが、コミュニケーションに原因があるようです。
パートナーたる男性に対して理解しようとせず、自分の感覚・世界の中だけで一方的に話を展開し、相手を責め、なじる。
凝り固まった脳構造と、歪んだ自己愛によって、言葉の暴力を浴びせます。
こうした女性は、物事を理論的・道理的に捉える事ができませんから、何をどう言おうと無駄だと周囲に思われ、事実その通りの行動をします。
ハッキリ言って、周囲の人間は、こうした人を頭おかしいって感じます。
最終的にパートナー男性は暴力に訴えるしかなくなります。
それか、見捨てるか。
見捨てる前の最後のコミュニケーション手段が暴力しかない、そういう悲しい人間関係を招くのでした。
どうあれこういう人は、そのような経験があっても、「暴力って最低」と相手のせいにして逃げ、なんら反省が無いので、同じ事を繰り返すのでした。
理屈も何もない、暴力による支配が大好きな男性も居ます。
単なる危険人物です。
前述の女性と同様、頭おかしい部類としか言えません。
この類に捕まると、どうなるかは想像に難くないと思います。
こういう人間が居るのも事実です。
ジャイアン同様で、「1日1回はのび太を殴らないと気が済まない」の世界です。
成人してからこの気性が治るかどうかは不明です。
あまり芳しい話は聞きません。
ここに来て、この文章を読んでいる人は、知性と理性のある人だと思います。
この例には当てはまらないでしょう。
世の中には、どうしようもない奴が居るというのは確かです。
「諦めが肝心」という言葉もあります。
人生の貴重な時間を、こうした人間のために費やすのはもったいないのではないでしょうか?