誰にも悩みを打ち明けられないまま、わたしは退職した。


でも、これからの人生に対する絶望感とか、空虚感はなく、そこにあったのは純粋に解放感だった。

その日の夜は不思議なくらい良く眠れたのを今でも覚えている。

本当に、今までこんなに眠ることが辛かったのに・・・

次の日は、誰にも見せられないような顔がそこにあったけれど・・・


明くる日、真っ先に両親に電話をした。


わたし 「退職届、受け取ってもらえたよ。」

母 「そう。お疲れ様。今日まで頑張ったからいいじゃない。」

父 「バカだな、お前は。」


父親の言葉は予想通りだった。

早く帰ってきなさい、と言ってくれて電話をきった。


しばらくは何もしたくなかった。

と、いうよりも何もする気がおきなかった。

通院以外は何もしないで過ごす日が何日続いただろうか。


いい加減、荷造りしないと・・・

そう思い立って、部屋の荷物を片付け始めた。


教本も返さなきゃ。

制服、クリーニング出さなきゃな・・・

会社に行くの、嫌だな・・・


本棚にたまった書類を片付けていると、採用通知書が出てきた。

受け取ったときは、どんな気持ちだったのか。

その気持ちすら忘れてしまった。

もうひとつ、手紙が出てきた。

母親からの手紙だった。


 


わたしは思い立ったら、すぐに行動に移さなくては気が済まない。

これと決めたら、後先考えずに行動し、よく失敗しています。

でも、こんな自分ですがわたしは最近、ようやく自分を受け入れられるようになった気がします。


他人はわたしを、「何も考えていない」「計画性が無い」「思いつきだけの行動」ととらえるでしょう。

そう思われて当たり前だと思います。


確かに、退職を決断したのも、半分は勢いです。

でも、何が何でも辞めたかった。

GHとしてやっていく自信なんか、とっくの昔に消えていた。

心の中でいつも、どうして思いどうりに生きられないのかと、自分を責め続け、終わることの無い葛藤に苦しみ、でもその葛藤にいい加減終止符を打ちたかった。

もしかしたら、その危険信号を体が発していたのかもしれない。



わたしは、一枚の便箋にペンをとり、退職届を書いた。

貰った診断書と一緒に、所長のもとに走った。


実はこれ、三度目の正直だった。

1回目は、係長に「今辞めるのはまだ早い。もう少し考えてからきなさい」

と、門前払い状態。

2回目は所長の耳に入ったものの、「班の責任者に相談してからきなさい」

と、またも聞き入れてもらえなかった。



誰かに相談できるようなことなら最初から相談している。

それで解決するなら。


でも・・・・そうじゃなくて、人に言えないから悩んでるんじゃないか。

毎日そうつぶやきながら、憂鬱を抱え、出社した。


結局、そう長くは続かず、欠勤が目立つようになった。

もうこれ以上は、と思ったのか、所長もようやくわたしの気持ちを受け入れてくれた。


大粒の涙をこぼしながら、必死に自分の気持ちを訴えた。

期待していたのにがっかりだ、との言葉も返ってきた。

結局、誰にも相談していないことは所長が一番知っていた。

どうやら、わたしの唯一尊敬する大先輩も一緒にわたしが相談に来ることを待っていてくれたらしい。

うれしかった。

手を差し伸べられている気がした。

先輩に相談できなくて、申し訳なかった。

だけど、尊敬するからこそ、言えなかった。

期待してくれているってわかっていたから、よけいに。


もう、滝のように頬を伝う涙は止まらなかった。



書類にサインをし、例外的に即日退職にしてもらった。

後悔はしていません。



「頑張る」ことと、「耐える」こと。


この言葉はまったく意味が違う。


どちらかというと、「頑張る」はプラス的な要素がある反面、「耐える」はマイナス的な要素を含んでいると思う。

わたしの考えが正しいか正しくないかは別として、わたしはそう捉えています。


わたしが退職を決意したのは、「今の自分には頑張ることより、耐えることしかできなくなったから」

本当に、どうしてここまで追い詰められたのか、わかりません。

もしかしたら、自分で自分を追い詰めてしまい、身動きが取れなくなったのでしょう。

冷静に考えてみるとそんな気がします。


OJTを卒業し、単独業務に入って2ヶ月が経ったころに、わたし一人の力ではどうにもならない苦悩が襲い掛かってきた。


夜は眠れなくなり、次の朝は5:40出勤の3時起きだというのに、何度も布団の中で寝返りを打つようになった。

寝不足が続いた。

そのうち、常に頭部の左側が痛いと感じるようになった。

次は食事を取った後、すぐに胃の痛みを感じるようになり、お腹を下す毎日になった。


仕事に行きながら、通院するようになった。

飲み薬だけでは症状が治まらず、点滴を打つようになった。

そのうち、1週間に1回だった点滴が3日に1回と、回数が増えていった。

体重はあっという間に5キロ落ちた。

さらに、業務以外では誰とも話をしたくないと、感じるようになった。



病院をいくつか渡り、最後は空港の診療所の先生から、ある病院を紹介された。

女医さんで個人開業医にしてはかなり設備が整っていた。

先生は泣きながら症状を訴えるわたしの話を聞いてくれた。


「水が合わないんじゃないですか?」

先生はそういった。

常々感じていたことを指摘された。

「もしかしたらうつ病かもしれません」


わたしはその言葉を案外、素直に受け入れられた。

「誰でも、「うつ病」になります。ただ、気づくか気づかないかの違いです」

先生はそうおっしゃっていました。

わたしの場合は先生に教えていただき、気づきました。


そうしてわたしは処方箋と診断書を受け取り、病院を後にしました。

もうわたしのとるべき道はひとつしかないと気づいたのです。