「CAになりたい」という思いに理由が必要ですか?


エントリーシートや面接では、必ずといっていいほど志望動機を聞かれる。


「なぜCAなのか」。「なぜうちなのか」。


正直、そんなの、どうでもいいじゃないですか。

なりたいと思ったから、なりたい。それでいいじゃないですか。

こんな子供みたいな受け答えしかできなかったわたし。

今でも本当はうまく答えられない。

自分で言ってみて、どうしてもこじつけのように聞こえてしまう。

でも、なりたい。


理由なんてどこにもない。


ただ、CAという職業の存在を知り、まぶしく感じたあの瞬間から、わたしの物語はわけもなく始まってしまっただけ。

そんな気がする。


時々、後悔することすらある。

なんでCAになりたいと思ってしまったのか、と。


CAという職業を目指し始めてしまったがゆえに、CAにならないと意味が無い。

そう思うようになってしまった。


今はとても苦しい。

CAを目指すことが。

でも、あきらめたくない。





 とても興味深いニュースが飛び込んできました。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070313-00000041-san-soci


ANA1603便、(伊丹―高知)高知空港にて緊急胴体着陸。

着陸の際に前輪が出ず、何度も手動で試みたが、結局旋回して燃料を投棄し、後輪で着地。

最後は胴体を滑走路にこすり付けて炎と煙とともに停止。

幸いにも、乗客・乗員にけが人はなかったようです。

このニュースを見て思うこと、それは「安全」という品質を守り続けるために、何をしなくてはいけないのか。

辞めた今でも、毎日のように考えさせられる。

そしてこれからもわたしの課題になるだろう。





 わたしは夢だったCAになるために、開港2年目の某空港にANAのGHとして就職した。

でもこの選択は妥協じゃない。夢のためなら踏み台にしてもかまわないと思っていた。

でもそこでわたしを待っていたのは、こわーい先輩方と辛いOJT、そして試練の数々。。。


入社初日から座学教習開始。

次の日、支給されたばかりの制服に袖を通した。

貰ったときは本当にうれしかった。

着ているだけで緊張したのを今でもよく覚えている。

インストラクターの一人に「制服を着てみてどうですか?」と聞かれて、「恥ずかしいです」って正直に答えたら、「そんなの誰も見てないから大丈夫よ」なんて冗談も飛ばされた。

でもそんなうれしさの中に、なんとなく嫌な予感がよぎっていた。



その予感はこのことだったのか?

訓練中は何度泣いたかわからない。

座学教習の時から、分厚い教本を何冊も渡され、毎日毎日どれだけ覚えてきたかテストをされ、とにかく必死で頭に詰め込んだ。

そんなの、イントロに過ぎなかった。

OJTに入ってからが本当の地獄だった。


でも今、冷静に振り返ってみれば、辛かったのはわたしだけじゃない。

誰もが通る試練の道だったのだ。

わたしは幸い、同期にだけは本当に恵まれた。

この会社に入って、唯一得た財産だと思う。

OJTを乗り切れたのは同期がいたから。

だからこそ、辞めるときは本当にそれだけが残念だった。

同期を失うことが・・・・


あの時のわたしは、きっと逃げ出すことだけを考えていた。

もう少し、客観的に自分を見つめることができていれば、こんな道を歩まずにすんだのかな。

 今まで自分のブログを立ち上げようなんて、これっぽっちも思ってなかったけど、今の自分につくづく嫌気がさして、「なんでもいーからとにかくはじめよう」と思って、いきついたのがここのブログ。


他人から見たらただの独り言にしか思えないかもしれないけど、とりあえずここでは飾らない、ありのままの自分をつづっていこうと思う。


このブログの始まりは偶然。

そして終わりはわたしの夢が叶うとき。

今日はその1ページ目。


思えばあれは何年前かな。。。

小学校4年生のときに初めて飛行機に乗った。父親と、弟と三人でスキー旅行。秋田行き、JAL。

その時、優しくてきれいなお姉さんが笑顔でキャンディーをくれた。

父親に、「あのきれいなお姉さんは誰?」と聞くわたし。

「スチュワーデスさんだよ。」

「へぇ、あんなきれいなお姉さんがいるんだ。。。」

ただそれだけしか思わなかった。


でも翌年、こんどはANAで北海道に行った。

その時初めて思った。「あ、わたし、この飛行機のあのお姉さんになりたい。」

自分でも理由はよくわからないけど、よほどあの青い翼が気に入ったんだろうな。。。


振り返ればわたしがCAを目指し始めて10年が経ち、大学4年の夏、ついに憧れの青い翼に手が届くはずだった。

でも。。。。。

結果は不合格。

努力が足りなかった。


そうしてそれまでCA以外の道を考えていなかったわたしは、路頭に迷うが、滑り込みで内定をもらったGHの仕事に就く。ここで絶対経験をつんで、1年後に絶対CAになろうと心に決めて。

でもやっぱりそんなに甘くはなかった。