6月のつぶやき | 野に咲くすみれ(r-m-m-mama-2)のブログ

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 6月が私の人生で大きな意味を持つようになったのは結婚してからです。6月に結婚し、6月に母になりました。6月にその娘を失いました。その日からこの30日で35年になります。

 

 小児がんだった娘ですが、腫瘍を取るための手術の失敗による死は、私にとっては病死ではなく、事故死であり、殺人でした。そう思ってしまうのは、白い巨塔さながらの大学病院への失望と、思いやりのない主治医の不誠実さへの怒りがあるからだと思います。手術以外でも悔しいこと、許せないこと、いくつもありました。

 

 最近、うちの犬と同じ犬種の愛犬をなくされたブロ友さんが、こう書かれていました。

 「お力にならず申し訳ない、残念です。と言う時は、ベストを尽くしたってことなんだと、ふと思った。」って。

 娘が手術で亡くなった時、確かに主治医はそういうことは言いませんでした。「力が足らず申し訳なかった」とか、「精一杯やりましたが力及ばず申し訳なかった」とか、そういうことは一切言わず、「難しい手術だから」と、ただ、保身ともいえる自己弁護を繰り返しているだけでした。誠実な言葉は全くありませんでした。腫瘍の剥離に失敗し失血死させるくらいなら、なぜ途中で止めるという判断をしなかったのか。怒った私の兄が、「10人の医師が同じ手術をして10人とも死ぬんですか」と詰め寄ると、さすがに言葉がでませんでした。

 

 自分の腕ではできないのに、メンツだったのか、もしくは自分の腕を過信しすぎて、途中でやめるという判断ができなかったのか。主治医の態度に、頑張ってもらったから仕方なかったとは全く思えませんでした。癌で命をなくすことと、手術で死ぬことの違いが、「死」に麻痺していて、彼にはわからなくなっていたのかもしれません。

 

 不誠実な主治医は、娘の手術死にショックを受けている同じ病室の子供たちの保護者に「あの子は十二指腸にも転移していたから、もう助からなかった」と言っていたのを後で知りました。転移していたなんて、家族には伝えていませんでした。そんな大事なことを保身のためにペラペラしゃべる信じられない小児外科の教授でした。もしかしたら、どうせ癌で死ぬ子だから練習台にしてもいいと思ったのかも知れないとさえ感じました。

 転移のことは病理解剖でわかったはずなので、本当はそこまでは思っていなかったと頭ではわかっていても、心はそうは思えませんでした。

 

 あの時は冷静にいろんなことを考える余裕もなかったので、誰が娘の病理解剖を提案したのか、今になって考えます。私はまた娘が傷つけられるのがいやで拒否しましたが、夫が、「せめて同じ病気の誰かの役に立つなら」と同意しました。でも、あのころ、病理解剖の結果を教えてもらえるとは知りませんでした。夫が癌になり、いろんな方のブログを読んで初めて知りました。なのに、私たちに伝えていないことをしゃべっていたのです。

 病理解剖の結果を詳しく聞きたかったと、それも後悔しています。 

 

 義父から、「病院選びも寿命のうち」と言われ、その言葉にも苦しめられました。そう言った義父自身も、その病院を勧めたことを深く深く後悔していて、自分自身に言った言葉ではありました。

 でも、地方では病院は選べません。35年前に小児がんを治療できるところが家から1時間程度で通える範囲にあった、それは本当なら、ものすごく幸運なことだったんです。選択肢は無いに等しかったのです。

 

 娘の入院中に知り合った、胆道閉鎖症で入院していた女の子のお母さんは、家の近くには病院がないから、実家の近くのここに入院させて、祖父母に面倒を見てもらっていると言われていました。自分は月に1回しか面会には来れないけれど、地元は病院が近くになくて、実家ならこの病院に近いので祖父母に面倒を見てもらえるから、この選択しかなかったと。その方はお仕事もされていて、ほかにも二人小さい子供さんがいらっしゃたんです。病気の子供の治療と家族の生活との両立は、決して天秤にはかけられない、避けては通れない大きな大きな課題です。それは子供に限らず病気の家族がいたら、今も変わらない課題ではないかと思います。

 

 娘が手術の失敗で亡くなって2週間後に日本初の生体肝移植が成功し、ものすごい衝撃を受けました。日本には今、そんな技術を持つ医師もいるのかと。その先生に手術をしてほしかったです。自分は最低だとは思っても、成功に嫉妬させ覚えました。そして、医療の地域格差、技術格差、それもまた切実に感じ本当に悔しくてたまりませんんでした。 
 

 日進月歩する医学界の中では、昔むかしの話でしかないのかもしれません。事実、娘と夫は同じ肝臓の手術を受けましたが、その安全性は天と地ほど違っていました。

 

 昔むかしの、ある地方の、ある大学病院の、ある癌患者の母の6月のつぶやきです。