落ちこぼれると労力が必要
よくある話なんですけど、
・ついていけなくなったら手を打てばいいかと。
・まだ、この程度なら大丈夫だから。
こうやって問題の先送りをして、いよいよ首が回らなくなってからうちに来られる方がいらっしゃいます。
これ、本当に悪手です。
まだ、問題が大きくなる前に手を打っておけば、最低限のフォローで済んだりしたものが、問題が致命的な状況になってから来られると、ものすごい労力と時間と費用が必要になります。
はっきり言ってまだなんとかなっていたうちにフォローを入れれば最低限の費用と労力と時間で済んだのに、先送りした結果その数倍必要になるというケースは実に多いのです。
それでもどうにか挽回できればまだいいのですが、高校生でこの状態だと赤点対策と追試対策にお金と時間を全て投じて高校生活が終わるという結果になることも少なくないんです。
お願いだから手遅れになる前に来て欲しいというのは、うちとしての切実なお願いなんです。
点数が取れること以上に理解できることを
そして、特に高校入試で多い現象なんですけれども、わかっていないのに点数が取れているというパターンが問題なんです。
なまじ模試などで点数が取れているので、理解できていると思っていると実は点数取れているだけで全く理解をしていなかった、というケースは少なからずあるんです。その上、確信犯でそういう指導をする指導者もいるのも事実です。
もう、このパターンは高校に入学後は絶望的です。
そういう方がうちに助けを求めに来られても、正直手がつけられない状態なんです。本人の実力のはるか上の高校に在籍しているので、授業もわからないしテストは全く解けない。
私が身の丈にあった高校に進学しろと口をすっぱくして言うのは、こういう生徒を何人も見てきたからです。
うちは、まずは理解ができることを重要視します。極論を言えば、仮にどうしても入試に間に合わなかったとしても、きちんと理解をできる力があればそこから捲土重来を図れるわけです。ところが無理をして背伸びをし、点数の帳尻だけを合わせた結果、合格したとしてもそれは単なるぬか喜びなわけです。その無理をした結果、どん底に落ちるのが一番悪いと思うからです。
国語を一人で勉強するのは困難
そして国語のご相談を最近受けたので、これもこの際書いておこうと思います。
はっきり言いますが、国語ができない子がいくら一人で問題を解いたとしても、ほとんどの場合意味がないと思います。
国語ができなくて困っている子は、そもそも本文の日本語が読めていないんです。
もちろん解法のテクニック的なものである程度改善できる場合はあっても、根本的な改善にはつながらないでしょう。
結局、一緒に本文の日本語を読みながら、日本語の文章をどう読んでどう理解をするのか、ということを根気強く教えていく以外には解決の道はないわけです。
私が高校入試の国語を常に意図的にぶっつけ本番で授業をするのは、文章をどう読んで、どう思考をして、どう先を予測して、問題を解いていくのかというプロセスを示すためです。答えを知っている状態で文章を読むのと、全くの白紙で読むのとでは説明が当然変わります。もちろん、予測を間違えていることもあります。でも、それが試験本番のプロセスなわけですから、予測を間違えていたのならばどうやって軌道修正するかもまた重要なわけです。
一人でこれができるのならば、国語で苦労していませんよね。
正直、英語の方が一人でできると思います。
英語は文法勉強して単語覚えれば、正直、内容的には大したことを聞かれていませんので、英語が何を言っているのかさえ分かれば、国語よりははるかに簡単だと思います。あくまで、言っていることがわかれば、という条件付きですが。
高校入試の時に国語の良質な授業を受けていると、高校で苦労することは少ないのかなと思います。うちで国立大文系に合格した子達は、やはりそれなりに国語が教わる前からできていましたので。
成績が不味くて苦労をする子の大半は、そもそも国語(日本語)ができていないんです。
高校入試は国語を鍛える絶好の場です。国語を疎かにしていると、高校に入った後に後悔しますよ。