オープンキャンパスには大学の性格が出る
オープンキャンパスについては、その立地条件や周辺環境によって自大学をどのように位置付けているかの差異が出る。
例えば「僻地(周辺に他大学が実質的に存在しないという意味)」にある大学は、自分の大学を最大限見てもらおうと趣向を凝らして時間をかけたオープンキャンパスを実施する。
今のところ「僻地」の大学で最も楽しかったのは、間違いなく東京農大のオホーツクキャンパス(網走のど田舎)。
正直、行くまで馬鹿にしていたことは否定しない。
東京農大といっても、露骨に偏差値は低いし、何せ網走である。
道民は「東京と札幌以外は、おらが街が世界の中心」という生き物である。札幌出身の私が網走をどう思っているかなど、推して知る可しである。
ところが、行ってみると全然違ったわけですよ。
大学としてのコンセプトははっきりとしているし、地域との連携もしっかりとしていて、地域に根差しながら学生を鍛えて一人前にして社会に出すという明確なコンセプトを持って指導をしている。
そりゃ、偏差値考えれば信じられないところに就職できるわという感じで。
わざわざ網走くんだりまで関東や関西から学生来るのも納得という感じ。
効率よく見て欲しい
逆に近隣に有力大学があると、あえてオープンキャンパスをぶつけてくるケースもある。
今回の京都遠征がそう。
8月6・7日に
同志社、立命館、関西学院、関西大、龍谷、甲南、京都産業大
と関西有力大学が実に7つもぶつけてきた。
そりゃ、この日程で遠征するよねという話になる。
関西大と同志社が定員枠から漏れてしまい予約ができなかったのだが、残り5つを回るというのが基本コンセプトで、同志社はなんとかゴネてキャンパスだけでも見てみようという方針で予定を立てた。
で、こちらは明らかに最低限見てもらって、他所と比較してねというコンセプトでオープンキャンパスを作っている。
正直に言えば、効率よく回れる代わりに、大学のウリが必ずしも明確になるとは言い難い。
東京農大のオホーツクキャンパスのように、どうしてもここで学びたいと思わせるだけの熱量がない。
まぁ、一通り見れたので、今後の進路相談の時にある程度大学の特徴などをカタログスペックではないレベルで話はできるようになったのでそれはそれで収穫なのだけれども、東京農大とか信州大学とか高崎経済大学のように、この大学の良さを熱く語れるほどのものがない。
そういう意味では、物足りないなというのは否定をしない。
そんなわけで、実は孤高に日程を外していた近畿大学のオープンキャンパスにはものすごく興味がある。日程をあえて外すあたりに、「うちだけ見に来い」という強い意志を感じるのである。来年はぜひ、近畿大学を見てみたい。
羹に懲りて膾を吹く
今回のオープンキャンパスで思ったのは、無駄に厳しい入場制限。
正直、定員締め切りで入ったはずの教室がガラガラで、入場制限する意味あるんですかというレベル。
某大学に至っては、分単位で
締め切りました→入場できます→締め切りました→入場できます
と朝令暮改どころではない騒ぎ。
正直、こんな無駄な入場制限でオープンキャンパスに参加できなかった高校生は可哀想だと思った次第。
ついでに言うと、入口の受付はたいていものすごく混んでいていわゆる「密」なのに、それはOKなわけだから入場制限も実質的には世間様に向けての建前でしかないのは明らか。
いいかげん、くだらない「コロナ対策」はやめたらどうなのかと。
やるなら本気でやるべきだし、体裁だけならば高校生のチャンスを奪ってまでやる意味があるのかと。
さて、次回はオープンキャンパスで、できればしてきた方がいいことを書いてこのシリーズを終えようと思う。
時間の都合などで今回は全てをできたわけではないのだけれども、各大学の差異はこういうところに出るのだという話と、自分がどういう受験をするのかによってオープンキャンパスへの参加スタンスが変わるという話をしておきたいと思う。