という英文をこともあろうに
「ドーヴァー、ジブラルタル、マラッカの、どれが一番狭い直線ですか?」
と訳してくれた。
(°口°;) !!
「ドーヴァー、ジブラルタル、マラッカと並んで、何なのかわからんのか!?」
と尋ねたところ、
「わかりません」
と明快な答え。
ヽ(゜▽、゜)ノ
「今すぐ地図帳ひけ(怒)。世間様の常識として、その程度知らんでどうする(怒)!!」
「海峡なんてやってない・・・・」
「やってるやってないではなく、常識の問題だ!!」
日本人を白痴化させようとしたとしか思えない、愚民化政策の権化ゆとり教育。
地理の内容をどれだけ減らせばいいのだというレベルでスッカスカにした結果が、このザマである。
ナンバーの子達でこのレベルなのだから、他は推して知るべし。
今日は、英語をやっていたのか地理をやっていたのかわからない。
紅海と黒海の区別がつかない。
タンザニアのキリマンジャロがわからないのはまだ許すが、エヴェレストがわからない。
カスピ海がどこにあるのか知らない。
日本最大の流域面積を誇る川がわからない(これはゆとりでも高校入試の知識だ!!)
ハワイとニュージーランドは近くにあるらしい。
これと同じことが、もうすぐ英語で起こる。
英語の授業を英語でやって意味があるのは、トップレベルの子供だけ。それはゆとり教育も同じ。大多数の子供にとっては、害悪にしかならない。おそらくネイティヴの小学生レベルの会話が出来る子が増える代わりに、全く英文が読めない日本人がそれ以上に増える。
契約書の英文が読めなくて、どうやってビジネスをさせるつもりなのか。文科省には説明義務があると思う。
私は(所謂日教組的)悪平等主義に断固反対の人間であるので、それぞれの能力に応じた教育を受ける機会を提供することの方が重要であると信じている。そして、それは複線でかつ相互に乗り入れ可能なように制度が構築されなくてはならない。
つまり小学校程度の時には早熟な子と晩成な子の差は顕著であるわけだから、例えば中学受験で駄目だった子が、高校受験や大学受験で挽回できるようにする必要がある。逆に中学校受験でうまくいってもその後鳴かず飛ばずの子達は、分相応のところへ行けるようにするべきなのである。その方が落ちこぼれの惨めな思いをしないで済むし、再起を図りやすい。悔しければ、大学受験で挽回すれば良い。
うちは、その競争で一度負けた子達、あるいは競争に疲れた子達が自信を取り戻し、再起を図る場所なのだと思っている。
だからあくまで弱者の論理で、弱者が戦う術を教えている。
正直、このレベルでナンバーに受かるような入試制度は、根本的に改められるべきであると私は思っている。
本当に、常識がなさ過ぎる。
結局、受験産業が「受験しか」教えていないからなのだろうが。
土龍が自身の先輩であるマリアについてこう評していたことを、最後に記しておく。
「マリアは『塾の先生』としてはとてもいいと思うけど、寺子屋の先生としては幅が足りない。」
マリアが筆頭家老になるためには、「勉強」以外のことを教えられるようにならなくてはならないとは、私も思う。「勉強しか」教えられない人間は、うちでは基本的には出世が出来ない。裏を返せば、それだけマリアは凄腕なのである。だからこそ、いい加減幅を持って欲しいと思っている。
寺子屋は勉強や点の取り方だけ教えていては駄目なのである。
あくまで、子供達が生きていく力を身につけさせないと。
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