生産性のない量だけこなすことを求めるアホな宿題に、ようやく見切りをつけてくれた子がいる。
あたしゃ半年前から学校の宿題の出し方に呆れかえっていたので、落第さえしなければいいのだから(うちは原則推薦入試を認めていない-大学は実力で入るものである)通知票は1さえつかなければいいと言ってきたのだ。
で、一言。
「赤(チャート)をきっちりやるからな。」
そう。学校の宿題よりも量は少ないけれども、本質的な負荷ははるかに高いものをやらせたかったのだ。
勉強は時間でも量でもない。中身なのだ。
本当は、こういう量だけ強制して自分のやり方以外一切認めようとしない馬鹿教員こそ免許更新制で落とすべきなのだが、こういう馬鹿教員は免許更新制にはまず引っかからないだろう。官僚的な教師とはそういうものである。
まぁ、民主党が免許更新制を廃止するとのことなので、非官僚的な教師が生き残れるようになりそうなので何よりである。
どんな組織にも駄目な人間がいるのだから、それをなくそうとするよりも、その他の人間たちがそれをカバーできるような環境を整えるべきだと主張する内田樹を、私は基本的に正しいと思っている(尤も内田樹の主張なのか、誰かの話の受け売りなのかはよくわからんが・・・・・・・・・・・何せ内田樹は、出典をきちんと示さずにいろいろ書くから・・・・・・・)。