子供に教える「方法」と「テキスト」の差 | エガオヲミセテよ@「弱者のための個別指導」寺子屋ふじかわ

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弱者のための個別指導:寺子屋ふじかわ&宮城仙台杜の都のプロ家庭教師☆藤川先生。
仙台市若林区河原町で「個別指導塾」を寺子屋をやっているプロ家庭教師の藤川が、日々の徒然を書くためのblog。
長町中、五橋中や台原中、みどり台中などから来ていただいています。

ここ数日、私が尊敬する超優秀な友人と「喧嘩」している。


事の発端は、その友人から「中學生用のテキストをつくらなければならないのだけれども、その構成(=指導法他)について吟味して欲しい」という依頼だった。


あたしはてっきり、「中学生用に噛んで砕いて、可能な限り平易に書かれた文章で、更に言えば、多少学術的に間違っていたとしても、点を取るためならば致し方ない」という趣旨のゲラが送られてくるとばかり思っていた。


ところが送られてきたゲラには「以上のような趣旨で、中学生にわかりやすく書くという方針なんですがいかがですか?」という但し書きがあったのだが、あたしはそれ完璧に読み飛ばしていた。


それを読んでいないあたしが、「何考えてんだ?」と呆れたのは言うまでもない。


なにぶん、この超優秀な友人は、何を思ったのか教育界に論文投稿する気でこれを書いていたらしい。


いや、それならば、あの構成はものすごく良く理解できる。


でもね、あたしは「中学生のテキスト」としか聞いていないのだ。


しかも、但し書きを読み飛ばしていた。


仮に、但し書きを読んでいたとしても、呆れていたとは思う。


「いったい何がしたいの?」って。


学術論文なら、はじめっからそう言え。


どんなに指導法の中身として優秀としても、中学生にテキストとして使わせるのが妥当かどうかという判断基準で読んでいる人間が、あれを見せられて駄目出しするのは当然なのだから。


「学術論文じゃ無いんだぞ、この馬鹿が。」が最初の感想である。そりゃ、「学術論文」を「中學生用のテキスト」だと信じて読んでいるのだから、こういう感想を抱かない方がどうかしている。


そんなわけで、久しぶりに、お互い本気モードで喧嘩しかかった。


なまじ、少なくともこちらは「超優秀」と思っているので、自分がイメージしていたものと乖離したものが届いてきて、困惑と怒りがないまぜになった感情が疲れと酒の勢いで爆発したのは言うまでもない。


というわけで、注意書きを読まず、先走ったことは平に謝る。


でも、「学術論文」だとは私の記憶する限り、一言も聞いていないことを付記しておく。


仮に、注意書きを読んでも「何をする気」と、内容以前の問を発した自信がある。


私が、「大の学会嫌い」だということをお忘れ無く。




追記


誤読したかなぁ。


ちょっと北方面で深刻なもめ事を抱えているから、かりかりしていて言葉を深読みできなくなっているんだよなぁ。


誤読していたなら、謝る。


ただ、認識の相違が原因でもめた後に、紛らわしい言葉はつかわないで欲しい。