正直に言えば、あまり高校生にきついことは言いたくない。
言われる前に、自分で気が付いて欲しい。
ただ、最近の高校生は、いろいろな意味で甘い子が多い。
口を開けて待っていれば、大学という名のエサが転がり込んでくるわけではない。
エサが欲しければ、自分でエサをとる努力をしなくてはならない。
どうやればエサを取れるか、そしてそのエサをとるためにはどうすればいいかは、教えてあげているわけなのだから。
そして、そのエサとしてどれを選ぶのか、それは自分で決めなくてはならない。
自分でエサをとるために、巣立ちが出来ないのならば、待っているのは浪人という名の餓死である。
口を開けていればエサが転がり込んでくるのがいいのであれば、三年間教師にゴマをすって分不相応の大学に推薦入試で入ればいいのである。その後どうなろうと藤川の知ったところではないし、そんな根性の生徒を教えようとも思わないけれども。
正直、仙台市内のいくつかの高校は、このエサをくれるのをタダ待つヒナを一生懸命作っているのは事実。
エサをただ待っている生徒の量産の仕方は簡単。生徒の思考が止まるほど、有無を言わせず宿題を出せばいい。何も考えなくとも、嫌でも勉強をしなくてはならない。つまり、誰かが全ての計画を組み立て、やってくれる。
その思考から脱却できない限りは、学校が想定している枠以上のことは出来ないし、その枠から落ちこぼれた人間は這い上がれない。
そういう教育が正しいと信じている保護者の方は、考え方を変えた方が良い。
どこまでも、勉強は自分でやらなければ意味がないのである。