読書日記 生きるかなしみ | 東大阪市 弥刀 大蓮 美容室R-cubic  パーマ 手入れの楽なカット

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それでも、生きていく。
生きていることはかなしい、人間は無力だ。
そのことから目をそらさず、真摯に生きている先人たちの記録。

人は誰でも心の底に、さまざまなかなしみを抱きながら生きている。病や老いだけでなく、ほんの小さなことや、時には愛するがためのかなしさもある。今、大切なことは「生きるかなしさ」に目を向け、人間のはかなさ、無力を知ることではないだろうか。「生きるかなしみ」と真摯に直面し、人生の幅と厚みを増した先人達の諸相を読む。
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〈いま多くの日本人が何より目を向けるべきは人間の「生きるかなしさ」であると思っている。人間のはかなさ、無力を知ることだという気がしている〉
〈名医に執刀して貰って数年死期がのびたのをおとしめることは出来ないが、いずれ死はやって来てしまう。
 大切なのは可能性に次々と挑戦することではなく、心の持ちようなのではあるまいか? 可能性があってもあるところで断念して心の平安を手にすることなのではないだろうか?〉
「断念するということ」(山田太一著)より


【目次】
断念するということ(山田太一)
或る朝の(吉野弘)
覚悟を決める/最後の修業(佐藤愛子)
めがねの悲しみ(円地文子)
私のアンドレ(時実新子)
兄のトランク(宮澤清六)
二度と人間に生まれたくない(宇野信夫)
太宰治――贖罪の完成(五味康祐)
山の人生(柳田国男)
『秘められた日記』から(アンドレ・ジッド 新庄嘉章訳)
『断腸亭日乗』から(永井荷風)
ふたつの悲しみ(杉山龍丸)
望郷と海(石原吉郎)
大目に見られて(ラングストン・ヒューズ 木島始訳)
失われた私の朝鮮を求めて(高史明)
親子の絆についての断想(水上勉)

 

あと一歩でノルマを達成できるのに
がんばらない人間は、ただのなまけもの。

臓器移植で子供を救えるかもしれないときに
そこまでしたくない、穏やかに死なせてやりたいと願う親は冷酷。

パリまで行って、ノートルダムもルーブルも見ないなんて、信じられない。

そう決めつける社会に、わたしたちは生きている。
みんなが認めるコースへの切符を手にしながら、
乗ろうとしない人間は「不自然」「異常」…。

しかし、と著者は問う。

この世界にも他人にも自分にも、みんな期待しすぎてないか?

ノルマの先には、またノルマが待ち受ける。
治療は賭けで、子どもは臓器移植で苦しんだあげく早死にするかもしれない。
ノートルダムやルーブルに興味があるわけじゃなく、ただ「行った」と言いたいだけでは?

それを重ねても、常に心が飢え、ざわめくだけで平安は得られない。

人間にできることなんてたかが知れている。
衆知を集めてもたいしたことはない。
大事業をなし遂げたつもりでも、
そのはかなさに気づくのに、それほどの歳月は要さない。

そこを見ないようにする楽天性は一種の神経症で、
人間の暗部から逃げ回っているだけのことだ。
目をそむければ
暗いことは消えてなくなるだろう、と願うことを楽天的とはいえない。

「生きるかなしみ」を、しっかり見よう。
本来の楽天性とは、人間のはかなさ、無力さにも目が行き届き、
その上でなお、肯定的に生きることと考える。

大切なのは可能性に次々と挑戦することではなく
むしろ可能性をあるところで断念して
心の平安を手にすることなのではないだろうか?

 

65歳の私は 無論、貧しさは知らない

今の日本は 豊かにはなったが それゆえに絆 (水上勉言うところの魂の紐)が

緩くなったのではないか?

何やらハラスメント 偏った報道 金権まみれの政治 偏った人権倫理

つまらない教育制度(原則がない)

現在に山田太一が生きていたら

どんな本や脚本を書くだろうか?

 

生きることの意味を考えざるをえない 短編集

虚実の自由を敗戦国の日本人に与えたアメリカの家畜政策で

骨抜きにされた日本人には 死ぬことも許されないのかもしれない

心の平安を求めたいと思えば 断念するしかないのか

親中と親米の間で どちらにも搾取される日本

AIはこう答える

「どちらか ましな方を選んでください」