これまで夫のことを褒めちぎってきた。
もちろん彼は、褒めるばかりの人ではない。

自他とも認める落ち着きのない人である。

私は体調が悪くなって
何度も病院に急いだ。
夫は私を車椅子に乗せ
診療室に向かい
ぐったりしている私は
処置室のベッドで横になり
医師の診察を待った。

しばらくして、そばにいた夫は
いつの間にか、いなくなっていた。
それはいつものことだった。

階下に降り、待合室にいたり
ずっとの奥のホールのソファに座り
テレビを観ていたりする。
ややもすると、病院内のコンビニで
弁当を買い、ホールで黙々と
食べていることもある。

私のベッドにやってきた看護師さんは
「ご主人は?」と聞く。
私は「どこかに行ったようです」
と、答えるしかなかった。
「困りましたね。
これから先生からのお話があります」
私はあわててケータイで夫を呼び出す。
彼はどこにいたのか、スッと現れた。
看護師さんは
「奥さんのそばにいてもらわないと困ります」
と、夫を叱責した。
夫は何度叱責されても
その習癖は治る気配がない。
いまで言うナントカという
病気なのかもしれない。

落ち着きのなさは寝床の中でもおきる。
私たち夫婦はベッドが嫌いで
2階の和室で、布団を並べて寝ていた。

トイレの近かった夫は、出口近くで寝ていた。
彼の寝相の悪さは、ハンパではない。
私の近くにやって来たかと思えば
転がって、襖近くの畳の上で寝息をたてる。
そうかと思えば、翌朝足が枕に乗っている。
そんなことからシーツの中央は
生地が薄くなって、破れる寸前である。
襖も同様だ。
襖の紙は何度破れたかわからない。

そんな自分の姿をみて夫は
「寝ている間に無意識に日中の運動不足を解消しているのかもしれない」
と、反省するどころか、自賛する始末である。
そう言えば、昔入院していた時
ベッドから何度も落ち
回りを柵で固められたことがあった。
看護師さんもこんな人は初めてだと言って
呆れた。

挙動不審とも言えるこの落ち着きなさは
いまも変わらない。

ただ、あんなにトイレが近かった夫は
腎不全になり、透析をするようになってから
夜、トイレに行くこともなくなった。

いまでは
襖破りの夜のキックボクサーの姿が
懐かしい。
昨日の夜から胃がもたれて
しょうがありませんでした。
もしや肝臓近くのリンパ腫が大きくなって
そんな症状がでたのでは?と心配が募ります。
何か口に入れて和らげようと思ったのですが
和らぐの束の間
すぐに気持ちが悪くなります。
先生は、リンパ腫だけの問題ではなく
お腹にガスがたまったり
放射線を当てることで、
そのような症状が出る 人もあるということで
先程、大きなレントゲン機が
病室に入ってきて、撮影されました。
段々、いろんな症状が出てきます。

主人は、手術したばかりで
体調も万全ではないのに、
緩和病院について、よく調べるなり
奔走してくれています。

私はこれからどうなるのか
正直心配だし、怖い。

みなさん
陰ながらでも見守ってくださいね。
私は結婚する前から
ライター業に勤しんでいた。
結婚してからも
その仕事は続け
時には、すべてのオファーを断らず
精力的にこなした。

ワープロ(当時は専用機が主流であった)の
画面ににらめっこし
キーボードを打ちまくっていた。
ディスクや床の回りには
資料や印刷した原稿が
散乱していた。

そこに夫が入ってきた。
「自分が植えたグリーンが枯れてしまっているのにも気づかず、いい文章なんて書けるはずがない」と言い切った。
私は、その言葉にドキッとした。
見渡せば、並んでいた鉢植えが
みんな枯れていた。

私が書く記事は、快適な生活提案もあった。
こんなありさまで
快適な生活の提案なんて
書けるはずがなかった。

しばらくしてから仕事は
少しセーブすることにした。
部屋を片付け、掃除をし
風呂に入り、洗濯をした。
それからはさっぱりした気分で
仕事に向かうことができた。

夫は多くを語らないが
時にはピシッとはっきり言う。

とかく暴走する私に
ブレーキをかける役目を担ってくれる。

これまでのブログで
自分の夫なのに
褒めちぎってきた。

読者はさぞ退屈だろう。
だけど事実だからしょうがない。
短気で人づきあいが嫌いなことを除いては。