夫と出会って、つきあうようになって
彼は、どこへにでも私を連れていってくれた。
県外出身なのに県内の観光地は
私より詳しかった。
いく先々で、飲食店に入ることもあったが
弁当を持参して、野原で食べることもあった。
その弁当を作るのはもっぱら彼だった。

夫はいまでいう料理男子の走りである。
病気がちのお母さんのために
小学2年生の時から
大きな買い物籠をぶら下げて
お店にも行ったという。
だから彼の料理歴は長く
その腕前はハンパでない。

ある時、私は右手を骨折し入院した。
病院食では味気ないだろうと
毎日弁当持参してくれた。
色とりどりの料理に
看護師さんも羨ましがった。

私が社員旅行で朝から出かけると
朝食がないだろうと弁当を作ってくれた。
バスの中でそれを食べようとすると
回りの男子社員がつまみ食いを始めた。
気がつけば弁当は空っぽになっていた。
それでも私は彼が褒められているようで
嬉しかった。

そんな彼は結婚してからも
料理を担当してくれた。
もちろん彼は主夫ではない。
ちゃんと会社勤めをしている。

こうして私が病気になったが
夫が何を食べているか
心配する必要がない。
それでもひとりだと作る気になれなくて
コンビニによく走るという。

料理だけでなく
夫は私を自由にさせてくれた。
私は結婚しても、精力的に仕事をし
それを応援してくれた。
旅行も多く行った。
もっぱら夫抜きの友達旅行だった。

夫はたくさんの人と集うのが嫌いで
家でちんまりするのが好きだった。
私だけ謳歌するのは悪いので
好きなことをしたらと言うと
時々畑仕事をし、
夏は草刈り、冬は雪かきをするのが好きだと
進んで行っていた。

私は夫が畑づくりをするのを
見るのが好きだった。
しかし、病院生活が長くなった私をみて
できた野菜も多すぎて
捨てることが多くなって
作らなくなった。

私は好きな仕事をして
好き放題に生きてきた。
それは理解のある夫がいたから
できたことだ。

それに対して夫は
何の欲求もせず、静かに暮らしてきた。

私は夫に何の恩返しもしないまま
病気になった。

どうしたら恩返しができるだろうか。


夫は私と結婚する前に
高血圧症で倒れた。
その時の最高血圧が210もあった。
よくぞ生きていたと言われた。
以来、降圧剤がかかせない。

35年後、再び容態が悪くなり
入院した。
腎不全だった。
すぐに人工透析が始まった。
その後は近くの病院で
週3回の透析をしている。
透析で血がきれいになるが
体への負担も大きい。
透析後はぐったりする。
夫は、透析後血圧が最高値が60まで下がり
家に着くなり倒れたことがある。
病院に聞いたら、足を上げて
様子をみてくださいと言われた。
しばらくして血圧も上がったので
寝室に連れていった。

そんな夫なのに
私はいまは何もしてあげられず
返って負担ばかりを強いている。

いまの私は夫の手助けなしでは
生きられない。

私が死んで、夫がひとりになった時
誰が夫を助けてくれるのだろうか。
今日は朝から、あまり調子がよくありません。
腫瘍の周りが痛く、胃がムカムカします。
目眩もします。

先生に聞くと
放射線治療の効果が出ているのだと思います。
当てているところが、頭に近いので
目眩をおこし、胃もたれに似た
症状を起こしている、と。

あぁ😞

この病院は
以前近くに住んでいたこともあって
ガンが発症する前からお世話になっています。
振り返るとこの15年間の半分以上を
ここで過ごしたことになります。
皮肉にも第2の我が家のように
なってしまいました。
そのせいか、病院でも
おなじみさんになってしまい
若い看護師さんには
下の名前にちゃんをつけて
呼んだりしています。

主治医の先生は優しく
いろんなことをていねいに
説明してくださいます。
看護師さんは、若い人は一生懸命だし
ベテランは気がきき、安心できます。
掃除の人は、千差万別です。
ていねいにしてくれる人もあれば
さっと一拭きするだけの
アバウトな人もいます。
偏見ではないけど
アバウトな人は外国人の人が多い。
お国柄なのでしょうか。
人手不足の波がここにもやってきています。
もちろん、日本人の人の中にも
大雑把な人がいますが。
掃除の仕方は性格や日常生活が
反映しますね。

給食は、病院食としてはいい方だと思います。
とりわけわがままな私は要求が多い。
ある時から、白米が食べられなくなって
それからは全食の主食は
おにぎりにしてもらっています。
全食、麺類にしている人もいるとか。
基本主食はおにぎりなものの
カレーライスや親子丼、牛丼などは
ごはんにしてもらい
うどん、そば、スパゲティ、ちらし寿司は
そのままにしてもらっています。
加えて、納豆はそばにあるだけでダメで
全く食べられません。
ほうれんそうも蓚酸の臭いが鼻につきダメで
ニラの臭いも受け付けません。

そんな要求の多いせいか
忙しい看護師さんは、
時々入力間違いをおこし
出てきたメニューにガッカリしました。
それでもどうにかしてあげようと
管理栄養士さんが病室に訪れ
私が責任をもって、
メニューをチェックしましょうと言われ
それからは、私の要望通りのメニューが
出てくるようになりました。

ほんとうにわがままな私です。
でもそれに応えようとしてくださる
栄養士さんに頭が下がります。
感謝、感謝です。

またリハビリの先生も素晴らしいです。
左足がリンパ浮腫のため
異常に太く、
左右のバランスが取りにくく
リハビリの先生に毎日病室に来てもらい
施術をしてもらっています。
先生は、歩く姿などをチェックし
その状態に応じたストレッチを行い
その後、マッサージをしてもらいます。
そのマッサージが素晴らしい‼️
あくまで優しく撫でるのですが
なんというかツボにはまって
気持ちがいいのです。

私の学んだトレガーアプローチは
相手のリズムを受け取り
体の声に耳を澄ませながら
アプローチしていくワークで
これほど奥深いワークはないと思っていますが
いまの私にはさせてもらうことも
受けることもできません。

ワークそのものは違うけど
人様に触ってもらうのは
やはり気持ちのいいものです。
単調で快適な日の少ない私には
このリハビリの時間は
至福の一時です。

このように
いろんなことを叶えてくれる病院は
他にはないのではないかと思います。

しかし、
住み慣れた(!)この病院も
放射線治療が終われば
出ていかなくてはなりません。
今日も、病院内のサポートセンターの人が
それからのことを相談、説明、計画を
話にきました。

緩和病院は手厚いサポートを
提供するなんて唄っていますが
あまり信じられません。

長年住み慣れた家を去るようで
とても不安です。

そんなことを言っても
だんだん月日が過ぎていきます。
やっぱり不安だな。

こう言いながら
冒頭に書いた体調不良が
少し和らいできました。

私はほんとに
書くことが好きなんですね。