友達がズームを始めるとメールで言っていた。
私もしたいけど、wifiのない病室では
ギガが足りない‼️
先月も知らないうちに3ステップまで
行っていて、ビックリした。
最後は2ギガが残っていたけど
今月にそれが引き継がれないので
もったいないなあ。

そういう中でも
ブログだけはせっせと更新している。
自分でもなぜだかわからない。

やっぱり体が指を走らせているのかな?
私たち夫婦は冗談を言い合い
遊ぶのが好きだった。

夫が
「妻は夫の言うことに従い
歩く時は黙って三歩下がって歩きなさい」
と言えば
私は
「はは、はい」と答え、三つ指をついて
深くお辞儀をするのです。
まさに半沢直樹の2倍返しです。

そしてそこに夫のアドリブが入り
「それじゃ、豚の指ではないか」と
言うのです。

また、夫が「その腹はなんだ!」と
突き出た私のお腹を指させば
お腹をつかみ、振るわせ
「こんな気持ちいい場所はない」
と反論する。恥も外聞もあったもんじゃない。

テレビで肥満の人が映って入れば
「あんたが出ている」と呼び出し、指さす。
それが何度も繰り返される。
私は決して痩せている方ではないが
い加減腹が立ったので
「いい加減にしてよ❗️これでもまだ美を追及さる年頃なんですからね」と責めると
「美を追及する年頃?」と言って、腹を抱えて笑う。

私は誕生日の9/17近くになると
夫に「明日は何の日?今日は何の日?」と
うるさくつきまとう。
誕生日のプレゼントなど期待していないし
いまさらって感じて貰いたい気持ちもない。
言うだけである。
すると、夫は面倒くさそうに
「はい、はい。敬老の日だろう」ととぼける。
それなのに、前のブログでも書いたが
一度だけ、バラの花束をくれたことがあった。
驚いたし、どう言って、
花屋さんで買ったのかと思うと
思わず笑ってしまう。
でも正直嬉しかった。

夫は若い頃、髪はフサフサで
処理に困るくらいだったのに
いまでは薄くなってしまい
頭のてっぺんが禿げてきている。
私は「頭のてっぺん、禿げてるよ」と言うと
「うるさい‼️」と言って怒り
鏡の前で、一生懸命
育毛剤を振りかけている。

私たちは、ベタベタが嫌いだし
食事が済めば、夫は2階の寝室へ行って
寝転んで、テレビを観る。
私は、リビングで食事後の時間を楽しむ。
特別なことがない限り
顔を見合せ、会話を楽しむなんて
ことはない。
仮面夫婦である(笑)

ある日、たまたまテレビで
思い出の懐かしのメロディと称した歌番組が
入っていた。フォークソング特集だった。
私たち夫婦にはフォークソングは
青春時代を思い起こす歌でもあった。
私は、アリスやかぐや姫、井上陽水の歌が
好きだった。
夫は、吉田拓郎の大ファンで
レコード(いまはもうないかな)も
沢山揃えていた。
いまの若い人は
どの歌手も知らないだろうな。
そんな歌番組が入っていて
気がつけば、二人で合唱していた。
合唱になっていたのに気づいて
2人で顔を見合せ、吹いた。

いま思えば、懐かしく楽しい思い出ばかりだ。

夫は、私が一時体重が43キロまで落ちた時
もう太っているなんて言わなくなった。

抗がん剤の副作用で髪が抜けても
ハゲの仕返しはしなかった。

いま、こんな時こそ
もう一度冗談を言い合い
「それ全然面白くない」とか
「ちよっと引く」
「それ、ウケる」
なんて言って、笑い飛ばしたいものです。






前回入院していた時
私は内視鏡によるステント交換の際
綠内菌という常在菌が見つかった。
健康な人に感染してもなんともないが
病室の周りにはで抗がん剤の投与で
免疫力が落ちている人が多い。
そういう人が感染すると
重篤な症状がでてくることもある。
医師や看護師などを通して
感染するとも限らない。
と言うことで私は個室に入り
入ってくる人みんなに感染防止対策を
施こされた。
いまはそれが解除になったが。
念のために。
話は戻して。
掃除の人もその例外ではなく
そんな病室専門に掃除する人がやってきた。
その人は女性できちんと隅々まで
掃除をされる人でした。
いつも来られるので
なんとなく話すようになった。
その方は歳は私より10歳ほど若かったが
妙にウマがあっていろんなことを
話し、語ってもくれた。
掃除の仕事は長く
高層ビルの窓拭きをやったこともあると言う。風の強い日はゴンドラが激しく揺れ
死ぬかと思った。
と当時の恐さを思い出すかのよう
に語ってくれた。
掃除と言ってもいろんなことをして
きたんだと感心した。
彼女とは電話番号とメールアドレスを
交換して、いまでも時々連絡を取っている。

いま入院している病院の掃除のシステムは
水回り、床の掃除、
土日祭日だけ水回りを掃除する人、
土日祭日だけ部屋のごみを収集にくる人など
それぞれに役割分担がなされている。

先日の土曜日、水回り担当の人がきた。
初めて見る顔だった。
私より年を重ねた感じの人に
見受けられたけど
背筋がピーンしていて姿勢がよかった。
洗面台を洗っていて
私はそれを見るともなく眺めていた。
そうすると、その人は突然話をし出した。
「奥さんね。私はこの仕事をする前は、
店をやってたんです」と。
やれやれ。
初めて会ったのに
人生期の半世紀を延々と
語られるのではないか
と思った。
まー、ともかく聞きましょうと
耳を傾けた。
オジサンは流暢に話し始めた。
「店は長いことやっていて
結構繁盛してたんです。
ところがカミさんが死んで
私も年だから店は閉じたんです。
家でぼーとしていても
しかたがないから
ここで働くことにしたんです。
働いていないと体が鈍る。
元気なうちは働かなくちゃ」
と威勢がいい。
きっと、この話はいたるところで
繰り広げているに違いない。
だが、私より年上の人が
一生懸命働いているのに
私は病気とはいえ
働きもせずベッドに寝ている。
時々、恥ずかしくなる。
そんなことを言うと
オジサンは
「何言ってるんですか。
いまは病気を治すことが仕事。
病は気からと言うし
病気に負けたらいけませんよ。
私は76歳だけど、まだまだ元気だし
母親は106歳まで生きて
最後は大往生しましたよ」と語って
励ましてくれた。

いろんな話を聞かせてくれるのは
掃除の人ばかりでない。
夜勤をこなしながら。
子育てをしている看護師さんもも多く
コロナ対策で休校になった時は
ご主人、親など周りの人の助けがないと
乗り切れるものではなかったと言う。

若い看護師さんに
「なんで看護師になったの?」と尋ねると
「母親が看護師だったから」
「小さい時から看護師になるものと
決めていた」
「病気をした時、看護師さんが
手厚く看護してくれて
将来看護師になろうと思った」
と動機はさまざまだが
看護師になることを早くから決めていて
しっかりしてるなあと思った。
看護師さんも悩み多き女性である。
私は個室にいたせいか
彼女たちから恋愛、結婚
時には離婚について
相談された。
私には、そういうことを
言いやすい雰囲気かあるのだろうか。
ただ年を重ねてきただけなのに。
でも相談されたからにはむげに扱えず
自分の経験や考えをフル回転させて
一緒に考えた。

看護師の下に看護助手という職種がある。
その名の通り、看護師を補佐し
補助する仕事である。
看護師の仕事も多岐に渡るが
彼女たちの仕事も雑多で忙しい。
患者を検査室や外来診察室まで
車椅子で届け、迎えに行ったり
体の動けない人のために
顔を拭くためのおしぼり
歯磨きの用意もしなくてはならない。
その他、看護師の指示のもと
シーツ交換を手伝ったりして
私の知らないところでも
いろんな仕事をしている。

私のように、たくさん歩けない患者には
部屋までお茶を配ってくれる。
看護助手のひとりに
いつも楽しそうにしている人がいる。
「いつも楽しそうにしているけど
何がそんなに楽しいの?」と
意地悪オバサンは聞いてみた。
すると
「いま看護師を目指して、
看護学校に行っているんです。
周りは十代の人ばかりで
それが楽しくてしょうがないんです」
と、目を輝かす。
見たところ、そう若くない。
40代はじめといったところか。
「結婚をしているの?」と聞くと
「しています」
「旦那さんはそれを認めているの?」
「はい。理解してくれています。
子供がいないこともあるけど
甘えさせてもらっています。
私、ここの他に土日に
救急病院でも働いているんですよ。
学費くらいは自分で稼がなくちゃ」
と、イキイキ話す。
「体を壊さないでね」
とエールを送ったが
凄いなあ‼️と驚くばかりである。

このように病院には多種多様な職種があり
まだ私の知らないところでも
たくさんの人々が働いている。
私はそんな人たちのおかげて
安心して入院生活が送られている。

彼らの支えとパワーをもらって生きている。
と実感する。

一生懸命生きないとバチがあたりますね。