4/21に入院し
5回目の抗がん剤治療を予定でしたが
血球値が上がらす
このままでは、治療が困難と言うことで
とりあえず治療を中断することに
なりました。

そんなことで、今日退院するになりました。
連休明けに再び血液検査を行い
結果がよければ、再び入院して
治療を継続します。
上がらなければ、治療は中止となります。

後は、定期的な検査を続け
経過観察を行うことになります。
その間に、再発すれば
どうなるか、どうするか
ということになりますが
わかっているのは
治療がだんだん困難になってきていると
言うことです。

ガンを発症して13年。
その間に10回再発しました。
死線も何度もさ迷いました。
臨死体験もしました。
いまよりずっとつらい目にも遭いました。

ですから、ちょっとしたことでは
動じなくなりました。
もちろん、達観したわけではありません。
そんな格好いいものではありません。
これからも不安になったり
恐怖感でパニック症状も
起きるかも知れません。

それでも、それらのすべてを受け止めて
いまある自分の生と対峙し
生きていきたいと思っています。

小田原の友人が、ある本を紹介してくれて
その本を読んで
なんとなく心が軽くなりました。

この本の著者は臨死体験者ですが
彼女は何も臨死体験に
こだわっているわけではなく
宗教や特定の食品やサプリメントを
提唱しているわけでもありません。

彼女が言っているのは
どんな状態であれ
いまの自分を受け止め
自分の体と心を信じることを
唱えています。
私はその考えに共感し
心が軽くなりました。

頂いた命に感謝し
大切にしたいと思います。

下記の本が共感した本です。


友達からメールが届いた。

その中に、新聞のコラムに
「じつは、水のような文章が書きたい」
と、吉行淳之介の言葉が挿入されていた
と、友達が伝えてくれた。

この吉行淳之介のフレーズ自体
ステキだし
水のような文章とは、どんなものだろうと
好奇心にかられた。

水のような文章。
よくわからないものの
なんとなく、余計な形容詞や修飾語を
取り除いた、スッキリした文章ではないかと。
しかも、取り除いたにもかかわらず
美しい❗

そんな感じの文章ではないかと
私は勝手に解釈している。

私も一応、文章書きの端くれ。
美しい日本の言葉を愛している。

いつの日か
水のような文章が書けるようになりたい。
久しぶりの更新です。

4/11~4/17まで
一時帰宅してました。
家に帰っての1週間は
あっという間に過ぎた。

炊事以外の食器洗い、洗濯、掃除などの
家事をそれなりにこなした。
夫には言えなかったが
それだけでかなり疲れた。
2階に上がるのも大層で
息切れがした。
前の時より体力が落ちているのを
感じた。

自分でも情けないなあと思ったが
度重ねた抗がん剤治療で
血液がなかなか造れなくなっている
ためである。

前回の再入院と同様
なだれ込むようにベッドに着いた。
次の日の血液検査で
ヘモグロビン値が低く
輸血となった。
ついでに免疫グロブリン(血漿)静注が
4本から8本に増えていた。
足のむくみもさらに進み
歩くことも辛くなってきた。

それでも私は恵まれていると思う。
同室のふたりは、歩くことができす
トイレに行くのに
いちいち看護師を呼んでいるし
入浴には介助か必要だ。
それに比べると
私はひとりでトイレも行けるし
ひとりでの入浴もできる。

比べるものではないが
それだけでも私は恵まれていると思う。

血球値が低く
しばらく抗がん剤治療はお預けとなった。
強がりに聞こえるかも知れないが
これまでいろんな修羅場を
経験しているので
このくらいのことで
めげたりしない。

私は私の体に敬意を払い
生きる力があることを信じている。

話は変わるけど
一時帰宅の一週間は 
実に充実していた。

料理上手な夫は
中ふんわり外パリパリの
美味しいお好み焼きを作ってくれた。
市販のルーなど使わず
自分で玉ねぎわを根気強く炒め
スパイスをブレンドした
本格的なカレーも食べさせてくれた。
食べたかった丸亀のうどん
はま寿司にも出かけた。

そして、夫のサプライズで
花見も堪能できた。

夫の気遣いに感謝、感謝である。

夫のためにも
一所懸命生きなくちゃね。