父は病床で母のことを気にかけていました。
文字盤を押しながら
「おかあちゃんは、どうしている」
「むりさすな、だいじにせえ」
「わかいときに、むりさせた」
また、親戚のみんなのことも気にしていました。
「さいたまのみんなはどうしている」
「よのはどうしている」
いちいち適当に答えて、安心させました。
自分がもう長くないことは分かっていました。
それでも落ち着いて、何の迷いもない様子で、何もわがままを言いませんでした。
人のことを気にかけてばかりいました。
看護師さん達にも入れ歯の無い笑顔でにこやかに接して、ありがとうの意味の握手をしていました。
氷を食べたいと言うので、コンビニまで買いに走り、口に含ませると、「うまい」と喜んでくれました。
子供のころ、ワクワクしながら行ったであろう田舎の夏祭りを思い出して「こおりいちごをたべた。うまかった」と言いました。
少しでも思い出に近づける様にとコンビニへかき氷を買いに走りました。
「うまい」と言ってカップの半分も食べてくれました。
シゲカンが「もうそろそろ仕事に帰るは。また明日来るからな」
と言ったら父は
「ありがとう」
と文字盤を指さしました。
今まで父から「ありがとう」と言う言葉を聞いたことがなかったように思います。
そして、シゲカンからも父に「ありがとう」と言った記憶もなかったように思います。
病室を出る時振り返るともう父は天井を見ていました。
父の世界に入ってしまっていたのかな。
翌日はバタバタしていて見舞いに行けず、夜は夜で木曜ウォーキングがあって遅くなり、行っても寝ていたら仕方ないからと行きませんでした。
金曜日の午後、氷いちごをコンビニで買って急いで病室に到着。
珍しくドアが閉まっている。
ドアを開けて中に入る。
父が寝ている。
床頭台にゼリー状の昼食が手つかずで置いてある。
酸素吸入の音がシューーーと聞こえる。
ナースコールをする。
看護師さんが来てくれて、聴診器を当ててくれる。
「心臓が動いていないようです・・・・
可愛そうに・・・」
と、振り向いた看護師さんの顔はゆがみ目に涙が浮かんでいました。
人の死ということに常に遭遇しているホスピス病棟の看護師さんが、涙を流してくれる。
認知症になりながらも看護師さん達に気を遣い、みんなに気を遣い、みんなに好かれた父の最後の日々は輝いていたのだろうか。
父は眠るようにこの世を去りました。
父らしい最後でした。
父が生前お世話になった皆様にお礼を申し上げます。
ありがとうございました。