2014年10月の旅 7 (三条通りから寺町通り、御池通りへ) | Qの乗りつぶしニッポン

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日本国内のJR、私鉄の乗りつぶしを中心にぷらっと旅に出かけています。ここ数年は鉄路のない自治体へ路線バス等を利用して市区町村の塗りつぶしする機会が増えてきております。

三条大橋を東から西へ渡る。

 

橋の袂には十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の主人公、弥次郎兵衛と喜多八が立っている。この本の1節は読んだことはあるが、全部をまだ読んだことがない。

 

彼らの足元には、撫でて旅の安全を祈念する「撫で石」がある。

 

三条大橋傍のスタバ。

 

三条大橋から続く三条通りと木屋町通りの交差点そばを流れる高瀬川。川といっても、江戸時代初期に造られた運河である。浅い河川などで運搬に使用されていた高瀬舟はこの川から名付けられたのではなく、逆にこの運河でも底の浅い高瀬舟が頻繁に使用されていたことから高瀬川と呼ばれるようになっただけである。

 


高瀬川から40mほど西に進むと、尊王攘夷派の長州・土佐藩士が泊まっていた旅籠「池田屋」を新選組が襲撃した池田屋事件の跡地がある。現在は居酒屋「はなの舞」。

 

進々堂でまた朝ごはん食べようかと思ったが、流石に3食目は無理だった。河原町通りを越えてそのまま三条通りを進む。

 

途中、新京極の方に曲がろうかとも思ったが、特に用事もないので曲がらず。

 

三条通りから寺町通りを北の方に上がる。京の食材、漬物を扱う「とり市老舗」。店頭は松茸だらけ。香りは良いのかもしれないが、やはり私は味“しめじ”、いや、冬菇かな。

 

道路にはみ出すような形の公衆便所(京都市寺町姉小路東公衆便所)。何か意図があるんだろうな。

 

文房具屋の「鳩居堂」。こちらが創業地(京都鳩居堂)で、店前が路線価日本一として有名な東京・銀座の「鳩居堂」は東京鳩居堂の本店。

 

寺町通りで有名なのはここ、本能寺。明智光秀が謀反を起こし、織田信長を殺害した「本能寺の変」があったのはここ・・・・・と言いたいところだが実は今ある本能寺は豊臣秀吉によって移されたもので、「本能寺の変」があった本当の本能寺はここから約1.5km南西で、現在は「京都市公設民営本能老人デイサービスセンター」、「京都市立堀川高校本能学舎」が建っている。

 

御池通りに入る。角に創業200年の老舗旅館、柊家。

 

壁には鳥居のマーク。

 

催す男性が多いのか、お犬様が多いのか。

 

日本最初の小学校である「柳池校」の記念碑。1869(明治2)年に上京第二十七番組小学校が開校し、これが近代日本最初の小学校となる。“番組”というのは京都での住民自治組織のことで、27番目に出来た小学校という意味ではなく、当時京都(上京、下京)の街を細かな区域(町組)に分けて数字を割り振ったところから来ている。1873(明治6)年には現在の石碑の場所に移転し、以後柳池小学校と名称を変え、1947(昭和22)年に新学制により柳池中学校となる。2003年に京都市立柳池中学校と京都市立城巽中学校を統合し、京都市立京都御池中学校(元城巽中学校跡)となっている。

 

現在の京都市立京都御池中学校はレストランやパン屋などの店舗、デイサービスセンター、保育所を備えた複合施設として2006年に建てられており、御所南小学校、高倉小学校との小中一貫校としても有名である。因みに、それまでの御池中学校があった場所(元城巽中学校跡)には京都市立京都堀川音楽高等学校が新設移転している。

 

<つづく>