九州の観光列車旅 58 (桜島と帰路) | Qの乗りつぶしニッポン

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日本国内のJR、私鉄の乗りつぶしを中心にぷらっと旅に出かけています。ここ数年は鉄路のない自治体へ路線バス等を利用して市区町村の塗りつぶしする機会が増えてきております。

「はやとの風」はJR日豊本線を鹿児島市街地へ向けて走る。

 

姶良(あいら)市の加治木地区(左)と帖佐地区(右)を隔てる別府川を渡る。姶良市となる合併前は加治木町と姶良町であった。加治木には「加治木まんじゅう」という地元の銘菓があり、蒸し立て熱々のまんじゅうが店頭で販売されていた。この別府川橋梁の袂の真横(この画像では左岸の線路裏手)にもそのお店があったのだが、どこに行ったのだろうか見つけることが出来なかった。ちょうど桜島が真正面に見える。よく見ると噴火してるな。

 

姶良市重富(しげとみ)地区を流れる思(おもい)川。姶良市はこれらの河川によって形成された平野部に位置し田畑の多いところでもあったが、現在は鹿児島市の隣の街という利点を活かし鹿児島市のベッドタウンという役割を持ち、狭隘だった国道に代わり広く直線的なバイパスやその周りに大型商業施設などが開業している。桜島はずっと見えている。

 

重富駅を過ぎると約10km程に渡って国道10号線と共に鹿児島湾沿いを走る。進行方法左手に鹿児島湾と雄大な桜島を眺めることが出来る。進行方向右手はずっと崖が続き、雨量が多い場合は国道も鉄道も通行止めとなる。途中の竜ヶ水駅辺りでは1993年8月豪雨では約30か所ほどで土石流が発生し道路や線路が寸断され孤立状態となり、指令本部からの指示待ちで停まっていた普通列車2編成3両にも土石流が襲い脱線転覆したが乗務員がいち早く危険を察知して近くにいた警察官と共に避難していたため被害はあまり大きくなかった(避難するのを拒んだ一部の乗客数名が亡くなっている)。

観光客にはあまり知られていないが、崖の上には寺山公園(標高約420m)、吉野公園(標高約230m)など鹿児島湾越しの桜島や晴れた日には霧島や加治木方面を眺めることが出来る展望台もある。

 

鹿児島駅付近の市営バス車庫。黄色が新塗装、真ん中の2台は旧塗装。

 

鹿児島駅前のロータリー。右手には新しくマンションが立ち並んでいるが、左の商店などは30年以上も変わった様子がない。

 

竪馬場踏切。先程の市営バスの両塗装車が見える。この踏切から500mほど北側(写真では反対側後方)に西郷隆盛や西南戦争の戦没者が祀られている南洲神社がある。

 

わかりにくいが、正面の交差点の先は市内を流れる甲突(こうつき)川に架かる平田橋。この辺りは鷹師(たかし)地区で、島津家に仕えた鷹師が住んでいた地域。「高い洲」があったから“高洲”が訛って「鷹師」という説もあるが、上記の1993年8月の豪雨水害では約2mほどの浸水もあったので後者ではないと思っている。この手前側(写真では反対側後方)は薬師(やくし)地区で薩摩藩の薬草苑があり、また薬師如来が祀られていたということから名付けられた地名。

因みに、ここから北西に約400mほどのところにある高校を2週間で退学し、1年浪人後にこの道路の後方突き当りにある高校に通ったのでこの辺りが大変懐かしい。

 

鹿児島中央駅すぐ近くの黒田踏切。右の「餃子の王将」はたまに通ったお店。全国展開している「餃子の王将」から独立した『鹿児島王将株式会社』が運営しているためメニューがちょっと違うらしく、それを知らずに高校の頃は食べてたなぁ。平たい麺の焼きそばとかまだあるのかな?

 

鹿児島中央駅に到着し11分後の新幹線に急いで乗り換える。おかげで到着時の写真がない。

 

どの辺りだろうかわからないが、夕日とシルエットがきれい。

 

前日日中にも通った出水辺り。

 

いい感じに日が沈んでいく。

 

新水俣駅の手前。目の前は水俣の市街地。

 

慌ただしい感じでこの旅が終わる。もっと地元でゆっくり満喫しても良いのだが、既に実家はないのでただただ周遊するだけとなってしまう。記録によると、2013年10月に訪れた後は2014年の7月、2014年12月、2015年9月、・・・となっているので、結構頻繁に九州に行っているもんなんだなと自分でもびっくりした。

 

<つづく>