美人でスタイル抜群で頭も切れるブロガーさんにコメントしていたらルーズソックスの事が出たから話題にしてみる。
ルーズソックスの全盛期は1993年から1998年の5年間で、その後はあっと云う間に消えた。
元より1980年代から女子大生のスカートが短くなり1990年代に入るとJKのスカートは革命的に短くなる。女子高生はパンスト禁止の生脚だ。
ルーズソックスの原形はアメリカの山登りソックスのブーツソックス
と云われる。
それにミニスカートと生脚がルーズソックスを生んだ要因とも思われるふしもある。
幾ら17歳や18歳でも真冬にミニスカートと生脚では寒い。だからソックスの膝下の部分をダブらせ空気を入れて暖かくした。
つまりルーズソックスは保温目的の靴下だった。だから発祥地は仙台か北関東と云われる。
ルーズソックスの色は無数にあるが絶対に白じゃなくてはならない。看護婦の制服がスカート形の白衣であらねばならぬように。
だが殆どの病院は機能的なパンツ式白衣だ。スカート式はその手の店に行くしかない。
白衣を着た看護婦が「患者さんの太いお注射打って!」と言ってくれる店に。
僕はこの手の店には殆ど行った経験がないが大学時代にバイト先の先輩に赤羽の店に連れて貰った。
赤い間接照明の中にセーラ服の女達が居た。物事には限度がある。それを破ってはめっちゃくちゃだ。
セーラ服の女達は僕の母親世代ではなく祖母世代であった。普通の照明なら、ひらかたパークのお化け屋敷より怖い。
1993年当時は僕は現役JKと付き合う歳ではなかった。仮に付き合きあったとしても金で買ったと思われる。
だからベッドでルーズソックスを穿いてくれそうな女をイメージしたが合わない。
ルーズソックスにはチェック柄のミニスカートがペアなのだ。つまり現役JKに限る。
これが二十歳代が履くとエロチズムではなくグロテスクになる。僅か数歳の違いでそうなる。
だから僕の人生の夢の1つであるルーズソックスの女とやるは儚い夢と消えた。