欲望としての肉体 | 錦鯉春助の冒険

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日常の恐ろしき風景

 人間の行き着いた進化とはどんな状態だろうか?と最近は良く考えてしまう


 人間の最初の進化は海から陸へ上がった時だ。まだ人間は存在しないし魚類か両生類か爬虫類かも判別出来ず《生物》と呼ぶしかない。陸にあがっも明確な足があったのでない


 その次の進化は決定的進化だ。垂直二足歩行である


 垂直二足歩行は手や指の進化なのだ。例えばリンゴの樹の下にリンゴの実が沢山落ちていたとする


 像やキリンやライオンはその場で食べるしかない。しかし手を使える人間は運ぶ事が出来やゆる。運搬は保存の概念を作る


 人間の10本の指の動きを機械はできない。つまり脳は二足歩行が可能になり複雑に指を使うようになると飛躍的に発達した


 また180cmの人間が腹這いになると高視界は0だ。逆に直立すると高視界は約180cmである


 つまり視界野が0から180まで自在に広がり脳は刺激される


 脳の発達とは脳がどれだけ刺激を受けたかだ


 老人になると脳に受ける刺激が少なくなり、だから脳の機能が落ちてしまう。機能が落ちた証拠が言語力の低下だ


 逆に考えると脳の発達で人間が獲得したのは言語と手で物を作ることだ


 人間の進化が止まってから镸い時間が経つ。千年前とは医学や科学の発達は雲泥の差ではないかとの意見もある


 しかし千年前とは進歩の違いであり進化は千年前と変わらない


 人間は飛行機で空を飛べる。船で海を走れる。潜水艦で水中を移動出来る。しかしそれらは進歩であり進化ではない


 僕は人間の最終的進化は肉体から魂の解脱ではないかと思う。


 それは《死》と同じではないかとの声が聞こえるが死者は語らないから分からない


 季節の変り目になると神経を痛めている僕の肉体は激しく痛む。この肉体から抜け出したいと願望する


 身体障害者や病気や怪我で寝たきりの人も肉体から抜け出したいと思うだろう


 だが普通、肉体は欲望そのモノなのだ。肉体を維持するためには食欲や睡眠欲が不可欠だし、そもそも肉体が存在しないと性欲も存在しない


 だから愛がないとセックスできないとほざく女独特の論理は破綻しているのだ


 愛も眼に映る相手の肉体によって発生するに過ぎない


 私達が死によってしか肉体を捨てられないのは欲望を捨てられないからだ


 僕は死んだら天国へ行き(行けるだろうか?)真っ先に夏目雅子と一発やりたいのに肉体がなかったら天国はつまんねーな