志村けんの凄さ | 錦鯉春助の冒険

錦鯉春助の冒険

日常の恐ろしき風景

 フーテンの寅さんは何本か映画を観たがまったく面白くない。


 何故だ?

 考えた末にひとつの結論に行き着いた。


 僕は寅さん映画を喜劇映画として捉えていたが間違っていたのだ。喜劇映画のつもりで観るから喜劇は起こらない。


 フーテンの寅さんは葛飾柴又を中心にしたホームドラマだ。だから笑いとは無縁なのだ。


 丁度、テレビ用と劇場用の吉本新喜劇の違いに似ている。


 テレビ用はどんなにギャグを散りばめてもホームドラマだ。最後は人情劇で終わるから。


 だが劇場版はイオネスコ風の狂気を孕んだ笑いとなる。元々笑いは次の三要素から成り立つ。


❶エロチズム。➋暴力。❸権力への反抗。


 ずっと昔の正月にNHKでエノケンの〈ちゃきり金太〉を観て唸った。


 これは当時の喜劇王、エノケンこと榎本健一主演、山本嘉次郎監督で1937年に作られた喜劇映画だ。


 当時の笑いはアメリカの無声映画の影響を受けていた。無声映画は台詞がないからストーリーは行為のみだ。


 エノケンは全編動きっ放しだ。恐ろしいスタミナだ。喜劇とはスタミナなのだ。


 僕は喜劇の原形を無声映画のスラップスティックだと思っている。非日常で狂気で暴力的で不条理な世界だ。


 だから喜劇人は歳を取ると常識的な普通の俳優になりたがる。その代表が森繁久彌だ。フランキー堺も竹中直人もいかりや長介も伊東四朗も


 志村けんは僕の知り得る限り役者を望まなかった。彼は幾つなっても喜劇役者だった。


 2時間サスペンスの主役もやらずNHKのテレビ小説の名脇役も望まなかった。


 晩年の馬鹿殿シリーズは成功したとは云えないがテレビシリーズだから仕方がない。テレビ画面の中は常識しか住めない。


 その馬鹿殿でも志村けんでなければ出せぬ喜劇の味を発揮していた。


 志村けんはコロナの流行る初期に罹患してアッサリ死んだ。


 毎晩浴びるほど飲み体力も抵抗力も失っていたのだろう。志村けんらしい。