風流夢譚 | 錦鯉春助の冒険

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日常の恐ろしき風景

 深沢七郎は大正3年から昭和62年まで生きた。


 彼の本職はギタリストであり、日劇ミュージックホールでギターを弾いていた。


 1956年、42歳の時に中央公論社の新人賞に応募した〔楢山節考〕が絶賛された。


 新人には辛口だった正宗白鳥、武田泰淳、伊藤整だけではなく三島由紀夫は


「生原稿を読んだ後に冷水を浴びたような衝撃だった」と褒めた。


 楢山節考はその後、何度も映画化され英訳され海外でも出版された。だがこのブログに取り上げるのは楢山節考の方でなく風流夢譚だ。


 風流夢譚は1960年に深沢七郎が中央公論社から出した短編小説である。


 この小説はシュールリアリズムの形式を取り夢の中の出来事として書かれた。


 左欲(左翼ではない)が革命を起こし美○智○子妃殿下の首を切り落とす描写がある。


 1960年と云う時代を考慮に入れて欲しい。戦後15年だ。もうアメリカを初め占領軍はいない。絶対悪とされた右翼思想も復活し始めた。


 この年に日比谷公会堂で演説していた社会党書記長の浅沼稲次郎が17歳の右翼少年・山口二矢に刺殺された。その山口二矢も裁判前に拘置所で首吊り自殺した。


 風流夢譚は皇室の侮辱と、右翼が騒ぎ始めた。中央公論の社長宅に右翼が押し入り社長は留守だったが家政婦さんが刺殺された。


 慌てた中央公論社は社長を首にすると「あんなくだらない作品を掲載したのをお詫びします」と謝罪文を乗せた。


 やっぱりマスコミの本性が姿を現して自己防衛に廻る。僅か戦後15年で戦前回帰するからね。


 1950年代までは大新聞も社説で昭和天皇や天皇制の疑問を書いていた。


 ところが風流夢譚事件からまったく皇室には触れなくなった。タブー化である。


 天皇の戦争責任も語らないし、女性天皇論も姿を消した。


 何故ここまで長々書いたのは正月に〔シンゴジラ〕(2016年版)を観たからだ。


 小さい頃からゴジラ映画は何本か観てるしキングコングは全作品観てるはずだ。


 しかしこの歳になると怪獣映画は疲れるから観なかった。


 だか暇な正月にシンゴジラを観たら中々のモノだった。只の怪獣映画ではなかった。


 元々、キングコングとは違いゴジラは核保有国の核実験から生まれたので政治的と云えば政治的なのだ。


 ゴジラは不条理の象徴に過ぎす日本の統治機構、民主主義の限界、自衛隊の実力、日米安全保障条約の矛盾が描かれ興味深い。但し皇室はすっぽり抜けるのだ。


 ゴジラが暴れているのは港区だから国会議事堂も破壊される。だが皇居はスル―である。日本は共和国かと勘違いするほどだ。


 タブー化すると澱む。我々はジャニーズ問題で体験したではないか。


 風流夢譚は発禁ではない。だが出版すると関係者の家族が狙われるからとうとう紙の出版はなかった。現在は電子出版で読める。