昨年の暮も紅白歌合戦を観なかった。もうどれほど観てないのか?
だいたい大晦日はベートーヴェンの交響曲を聴きながら〔親鸞聖人の生涯〕とか〔松尾芭蕉の奥の細道〕とかを読み、自分の猥褻で煩悩に満ちた1年を反省するのだ。
〔合唱・喜びの歌〕
喜びよ/美しい霊感よ/死後の楽園の娘よ/私達は/情熱に陶酔し/足を踏み入れる/天のあなたの聖域へ/すべての人々は兄弟となる
第一回の紅白歌合戦は昭和26年、赤坂小梅や東海林太郎が出てた。画面は勿論白黒だ。勿論僕は知らないけど。
僕にはテレビ空白期間があり、大学に入学してから結婚するまでの約10年はまったくテレビを観ていない
好きな野球もラジオで聴くか球場へ行くかだ。その10年でよく行った球場は甲子園球場、日生球場、神宮球場だ。
当時はどの球場も現在と雰囲気が違う。家族連れは少ないし、女子同士は皆無である。
酔ったオジさん達が放送禁止用語で野次を飛ばしていた。定番の野次は「下のバット振る練習ばかりやるから打たれへんのや!」僕はこちらの雰囲気が好きなのだが。
現在は野球場に限らず何処も清潔で明るく平等で楽しい場所になって行く。
だが逆から観たら何処も平板で深みがなく誰も責任を取らないって事だ。
僕は競馬場にファミリーで出掛ける理由が分からん。競馬場はどう取りつくろうが本質的に博打場だ。競輪や競艇やパチンコ店に子供を連れて行くのか?
結婚して2〜3年は元日に妻が和服を着たから好き者の夫は時代劇をやりたがる。
●姫!拙、拙者にお情けを!
●無礼者!下級武士の分際でわらわの身体が抱けると思ったか!
●こうなれば力ずくで!
●あれ〜狼藉者が!文春にスクープされまする!
抗う姫の着物の裾を捲れば目を射抜くような乳白色の太腿が、なんて夫婦でやってもまったく面白くない
これは罪悪感と云うスパイスがないからだ。他人の嫁とやってみな。ビンビンだぞ。
それに妻は子供を産むと女から母親に変わる。
現在の紅白歌合戦を観ても殆どの歌手やグループ、その曲がわからないと思う。みんな同じにしか見えない。
最近の流行りと云うからYOASOBIのアイドルを聴いたら脳の血管に流れるのが血液でなくオレンジジュースに思え気分が悪くなった。
これは楽曲と呼ぶより擬音の集合体ではなかろうか。最も僕等がビートルズに夢中だった頃、大人達はBeatlesの音楽を雑音と呼んだが。
僕は今年もネットの深海にイエローサブマリンで潜り、古いシカゴ・ブルースやホンキィ・トンクやカントリー&ウエスタンや小品だが素敵なピアノ曲など埋れた名盤を探しに行く。