7月9日に胃がん肝臓がん摘出手術をした母は今度の金曜日26日に転院する予定になった。
緊急事態を脱した、ということなのだろう。
転院のために、荷物をまとめてほしいとお願いされて今日、面会に行った。
転院なので、引っ越しなどと違い、大した荷物もなく誰がやってもできることだと思うが
いつものごとく
「 父ではだめだから、役に立たないから来てくれ」とお願いされた。
父でも変わらないと思うし、できると思うがとにかく、父の行動の全てにケチをつけたがるので私が行ったほうがトラブルが少ないと思い仕事の合間に高速を飛ばして行ってみた。
緊急事態を脱しているはずがだ病院につくと入口の所で震える声で母から電話があった。
「いま病院に着いたのですぐに向かう」と告げると
「 わかった」と絞るような声で答えて電話が切れた。
緊急事態は脱しているはず。
でも、病室ではベッドに寝ることもできないほど頻繁にトイレに駆け込む母がいた。
母が昔からの訴える苦痛は
多くは不眠と便が出ないと腰のグラグラだ。
胃がんになっても
脳梗塞になっても
緑内障になっても
不思議とそれらに関する苦痛を述べることはあまりない。
気にする部分が私とか違うとしか言いようがない。
「 うんちがしたいけど、出ない」
そう言いながら5分おきくらいにトイレに行く。
足腰の弱くなった母には2m先のトイレに行くのと大変なのでどうにか手伝ってくれ、と言うことだった。
今後は、これか。
たしかに、病院で大腸の形が変形していて便がたまってしまい出なくなっているという診断をもらったことがある。
胃がんを発見する前に大腸がんの疑いの方が強く検査をしていたからその時にわかった。
今度は、それだ。
「お腹が痛いのか」と聞くと
「痛くない」という。
ただ、
「おしりが、おしりが」と繰り返して震える。
ずっと昔からこんな感じで、私にはわからないし、どうすることもできないことが多い。
看護師さんに言うように、
とか先生に相談しなよ、とかしか言えない。
ただ、今回も便が出ないせいで、昨日も全く寝られていないらしい。
なんで、こんなに不調まみれなのだろう。
病院からの帰りに実家に寄った。
炎天下のなかガリガリの父親が草刈りをしていた。
高台の上にある家から下の方の田んぼの父に手を振ると気がついて自宅に戻ってきた。
「こんな暑い中草刈りなんて危険だからやめなよ」
と言っても全く言うことを聞かない人だ。
「たくさん水分飲んでよ」とお願いするしかない。
今日の母の様子を、父に伝えた。
父はおもむろに母の大腸の検査をして形が変形していていることを見つけてくれた病院に電話し事情を話し、大腸のレントゲンを転院する病院に送ってそこで、大腸の検査をさらに進めてもらうようお願いしていた。
今の病院でそのまま診てもらってもいいと思うが2日後に転院の予定になっていることとと今の病院は、あくまでも緊急事態の病状のための入院、ということで転院先の病院で、状態が整い次第、大腸の治療もしてもらえるように手筈を整えた。
父の判断と行動力で手筈を整えた。
でも、病室の母は、父はボケていて何もできない役立たずだ、と永遠に繰り返す。
弟が来ても、父の前でも父の悪口をひたすら言い続ける。
それでも、父は
「ばあさんは(←母のことを)俺のことをいつだって悪くいうんだぃ」と言って笑う。
何十年も、鼓膜が破けるほど
目が見えなくなるほど
あざで外を歩けなくなるほど母を殴って
蹴っていた父の今の姿だ。
母の不調と言う困難続きの果の姿。
父を見てると
人は、少しは変われると思う。
いや、すごく変われると思う。