母は、胃がんと肝臓がんの摘出手術を7月9日に行いなんだかんだあって、21日あたりを目処に退院を勧められた。
といっても、まだちゃんとしたご飯も食べられない。
歩くことも一人では出来ない。
退院になると家で誰かがお世話をしないとならない。
病院側と介護ヘルパーさんの方から一時的に施設に入るのはどうか、と言われた。
これは、本人の意思次第で施設が安心か家が落ち着くのか本人の希望に寄り添うしかないがなんと、母は何を聞いてもいやいや期の子供のように決められない!と泣くように繰り返す。
困った父が、私に電話をしてきて母に気持ちを聞いてもらいたい、と言う 。
母は最初、施設のほうが安心だ、といった 。
電話を、父に代わりその旨を伝えるとわかった、と言って電話を切った5分後また電話があり今度は施設に行きたくない、と言い出したと言う。
なんとなく、だが父の 「俺が面倒見る」という言葉が欲しいのではないか、と感じた。
家には帰りたいでも、父が、嫌いな母のことを面倒見るとは思えない。
だから、不安だ、ということだと思う。
そのくらい大事にされないでここまできたわけだ。
とにかく子ども頃
父は母に酷かった。
こたつに座らせ
「 お前みたいのを嫁にもらってやったんだ! 」
と母をこき下ろすことを言いながら
殴ったり
お茶を浴びせたり
ツバを吐きつけたり。
たまに、我慢できずに実家に母が帰ると誰か一人子供を連れて実家に母を迎えに行く。
そんな事を繰り返していた。
そんなことも、当然、弟は知らない。
長年の不信と恨みのようなものはある気がする。
そんな母は、私が小学生の低学年の頃に
「 ママね、パパのことが嫌いなの
他に好きな人がいるの 」
そう告白した。
それは、子供の頃の私には恐ろしい言葉ででも、その相手が誰であれ母がこの家を出ていくことは、ない気がしていた。
たいぶ、おとなになってその時のことを
「 好きな人は誰だったのか」と母に聞くとそんな事を言ったことすら忘れていた。
でも、なんとなくこの人なんじゃないかなっていうのはわかる。
子供だもの。
母の声
目線
顔つき
仕草
すべてを見ている からわかるんだ。
私達には笑わない母が目を細めて笑っている。
楽しそうに声を上げて笑っている。
こんな話をしたことは 私と母の秘密。
多分、母も覚えていない秘密。
でも、そのくらい
退院後に
父が、母を邪魔者扱いする不安は
拭えない事実。