過去、自分は偽善者だなあと
思っていた時期がありました。
一般的に優しい対応をしても、
人が喜ぶことをしても、
どんなに人に褒められたり、
どんなに評価を得ても、
何故か自分のことは
偽善者だと思っていました。
もちろん、その当時は、
無理をしていた意識もないし、
自分がそうしたいと思ってやっていたと思います。
でも、なぜか、
自分は偽善者だなあと
思う気持ちが、どこかにあって、
ふと、我に帰った時に、
虚しくなる時がありました。
それは、きっと、
本当の自分が喜ぶ選択を
してこなかったから…
人には褒められるけど、
その選択は、
本当の自分の気持ちを
置き去りにした選択だったからです。
ノーと言う前に、
相手の気持ちを優先して、
イエスと言ってしまってたときは、
ああ、自分って偽善者やなあと思ってました。
相手や周りは喜んでも、
本当の自分は喜べない。
その繰り返しは、
自分の気持ちを見失うことにもなるし、
自分を置き去りにしてしまうと思います。
そんな自分に気づいた時、
これでは、だれも救われない。
そして、なにより、
自分じゃない誰かの思いを優先して
自分の思いを置き去りにするということは、
だれが、自分の人生を生きるんやろ?と…
やっぱり、後悔なく生きたい!と思った時、
手放すものも大きいし、
もちろん、そこには痛みも伴いますが、
今は、自分をちゃんと生きてるなあと
感じることができています。
不登校になるお子さんって、
心の奥深くでは、
そんな葛藤が起こっていて、
そして、
もう一度、
自分の人生を
自分の手で取り戻して、
自分の足で歩いていく。
そんなプロセスの中の時間を、
過ごしているように思います。
かなりハードな手放し、
そんなことが10代で出来るって、
なかなか、みんな、
凄い奴やん!って、
見てるだけで誇らしく思います。
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