S-BASE [不登校・ひきこもり]今日は学校に行かない!宣言をして、自分の中のワクワクに会いに行きましょう!S-BASEがお手伝いします。

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不登校、精神疾患の娘との関わりを経験して学んだことを、当時の母親としての思いも重ねながら、今、同じ課題に取り組んでる親御さんにエールを送るブログです。

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過去、自分は偽善者だなあと


思っていた時期がありました。


一般的に優しい対応をしても、



人が喜ぶことをしても、



どんなに人に褒められたり、



どんなに評価を得ても、



何故か自分のことは



偽善者だと思っていました。


もちろん、その当時は、



無理をしていた意識もないし、



自分がそうしたいと思ってやっていたと思います。



でも、なぜか、



自分は偽善者だなあと



思う気持ちが、どこかにあって、



ふと、我に帰った時に、



虚しくなる時がありました。



それは、きっと、



本当の自分が喜ぶ選択を



してこなかったから…



人には褒められるけど、



その選択は、



本当の自分の気持ちを



置き去りにした選択だったからです。


ノーと言う前に、



相手の気持ちを優先して、



イエスと言ってしまってたときは、



ああ、自分って偽善者やなあと思ってました。


相手や周りは喜んでも、



本当の自分は喜べない。


その繰り返しは、



自分の気持ちを見失うことにもなるし、



自分を置き去りにしてしまうと思います。




そんな自分に気づいた時、



これでは、だれも救われない。



そして、なにより、



自分じゃない誰かの思いを優先して



自分の思いを置き去りにするということは、



だれが、自分の人生を生きるんやろ?と…



やっぱり、後悔なく生きたい!と思った時、



手放すものも大きいし、



もちろん、そこには痛みも伴いますが、



今は、自分をちゃんと生きてるなあと



感じることができています。




不登校になるお子さんって、



心の奥深くでは、



そんな葛藤が起こっていて、



そして、



もう一度、



自分の人生を



自分の手で取り戻して、



自分の足で歩いていく。



そんなプロセスの中の時間を、



過ごしているように思います。



かなりハードな手放し、



そんなことが10代で出来るって、



なかなか、みんな、



凄い奴やん!って、



見てるだけで誇らしく思います。


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半世紀生きてきて

経験とか失敗はするべきやなと思う。


でも、なるべくなら

失敗はしたくないとも思う。


その気持ちが強いときって、

頭で考えて、考えて、


そしたら、


どんどん不安が大きくなって、

なかなか進まなくて、

何も変わらない現実に、

もやもやして、

そして、また、不安が増大する。


でも、その不安って、

勝手に自分で作り出した

妄想でもあると思う。


だって、

行動を起こしてないのだから、

起こるか起こらないかわからないことの

妄想に、自分で疲弊してることも多いと思う。


人の考えることって、

ほんとちっぽけなことで、

一歩進んでみると、

それは、想像以上の世界に

繋がっていると思う。


でも、今、こうして

不安と戦っている時間も

無駄ではなく、

一歩進む為の準備期間でもあると思う。


だから、どんな自分も責めることなく、

受け入れながら、

一歩出すタイミングは

自分で決めれば良いと思う。


不登校って、そんな人生の

立て直しの時間だと思う。


ずっとゲームをしていても、

携帯触っていても、

ちゃんと心の中では

いろんな気持ちと戦ってるのだから、

学校に行って勉強してる子と、

頑張ってる事に関しては、

同じだと思う。


人生、なかなかゆっくり

立ち止まる時間は持てないことを思うと、

不登校で休んでる間は、

とても貴重な、

とても素敵な時間を、

過ごしているのだと思う。




新学期が間近に近づき、

親子で不安定になっていないでしょうか。



私も娘と不登校に向き合う最中、

無意識に子供の人生を背負って、

そして、自分ではどうにも出来ない現実に

途方に暮れて疲弊していた時期がありました。



自分の人生はどうやっても、

自分でしか生きていけない。


頭でわかっていても、

親子なので、どうしても、

自分がなんとかしなければと

背負って、そして、

共依存になってしまってました。



自分が子供に依存してるなんか、

全く感じてなかったし、

むしろ、この現実から離れたいと思っていました。



ですが、何とかしなければと

背負うということは、

結果、共依存に繋がります。



娘から、お母さんから手を離された時に、

あっ、自分の人生は自分で何とかしないとって、

焦って、動けるようになったと聞いたことがあります。



不登校に向き合う中で、

自分がいくら頑張っても、

動かないことに関しては、

背負いすぎてるかもしれません。



何なら、自分がそこに執着、依存してる

ということも考えられます。



執着、依存って、

ほんと、自分が気づかないうちに

起こってる感情でもあります。



手を離したいと思っていても、

手を離すと相手はもっと

大変なことになる。

だから、手を離せないと言う

思考ごと手放すといいかもしれませんね。



思考が現実を作るとよく言われますが、

まさしく、それだと思います!



こうしたいけど、

でも、現実は無理やろ!

と思うと、



こうしたいけれど、

現実は無理やろ!の現実が

繰り返される。



親子関係に限らず、

人は無意識に、誰かの人生を

背負ってしまってることがあると思います。



今、背負ってるなあと気づいたら、


手を離す怖さもあるけれど、



手を離すって、



相手を大切に思っていないわけでもない。


自分だけ逃げるわけでもない。


相手を裏切るわけでもない。



回り回って、

相手の幸せに繋がっていることを

信じてください。



背負いすぎているもの、

執着は手放して、

一旦、荷物を下ろしてみる。



そこには、一時的な

混乱や痛みがあったとしても


この先には、



見たかった景色が、



想像もしていなかった景色に



辿り着けますよ。





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相手のことを

信じる!

信じ切る!


これは、自分との戦いでもあると思う。



本当に信じて大丈夫なのか?

という邪念をも振り払って

信じ切る!



これは、信じ切る自分になるため、

回り回って、自分を信じることにも繋がる。



自分を信じることは、

時に、相手を信じるよりも、

難しい。



意外と1番自分のことが

信用できないと感じる時もある。



相手を通して、

自分の学びに繋がってることは

凄く多いと思う。



お子さんが不登校になると、

親御さんは色んなことに葛藤します。


葛藤を繰り返しながら、

お子さんのことを信じよう!と思われますが、

やっぱり、そこには、邪念が湧き起こります。



ですが、邪念を振り払った先に、

辿り着く景色があります。



親子という縁が深い関係だからこそ、

心が何度折れても、

また、向き合えるのかなあと思う。



親子関係に限らず、

縁の深い、大切にしたいご縁には、

避けて通れない試練はある。



信じる、

信じられる関係。

深い学びだなあと思う。


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挑戦へのハードルを下げることは


子供たちにチャンスを与え


さらに、


子供たちの可能性を広げることに

繋がると思う。



今の時代の子供たちは、あまい!と

見られがちだけど、

全くそんなことはないと思う。


私たちの時代には厳しさは

必要だったと思う。


でも、これからの時代は、

また違うものが求められていると思う。


これからの時代に必要なものを

子供たちは潜在的に

気づいていると思う。


その邪魔をしないよう、

また、そのサポートができる大人、

居場所は必要だと思う。


これからの時代に

不必要なもの、思考は、

前に進む時、重い荷物となることもある。

進むときは、身軽な方がいい。


そんなことを、子供たちは教えてくれる。


挑戦したことに評価は必要ない。


上手に出来たかどうかでなく、


ただ、楽しめたかどうか。


それだけで十分だと思う。



心が満たされたら、



人は前に進みたくなる。



自分の可能性を信じて、


まずは自分の人生を


自分のために楽しむ。



その先に、誰かのためになれると


最高やなあと思います。


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