ケイトさんがアルコール病棟に入院して1週間、ケイトさんから電話がありました。

第一声の「おはよう」がとても優しい声で♡(それだけで感激してるラブ

だってね、ケイトさんから先におはようを言われたのは初めてだったのです(笑)。

しかも話し言葉の文章がちゃんと組み立てられてるから、何を言いたいのかが分かる!(飲んでる時はいつも支離滅裂えーん

アルコールの影響がないとこんなに違うものなんだなぁとしみじみ思うという・・。

 

「ちゃんとしたcoffeeが飲みたいから今度来る時、水筒に入れて持ってきて。」

はいはい。

昨日自分用に安い豆を買ってきたところだったけど、仕方ない、ケイトさんのためにちょっといい豆を買ってきて淹れてあげよう♪

でも、入院してたった1週間でこんなに変化するものなのかと驚きました。

まさしくアルコール依存症は病気なんだなと実感。

 

 

この日は午後からコートさんの施設で依存症セミナーでした。

今日はどんなお話が聞けるかな。そして私は何を気づけるかな・・

そんな希望を持ちながら参加しました。

 

セミナーではコートさんの真摯な姿を見ることができました。

参加者の多くは私と同じような依存症家族で、皆さんそれぞれに苦しい状況でした。

コートさんは常に冷静に人の話を聞き、的確な分析をし、少ない言葉で、しかも確実に相手が理解できるように、そして相手の心情に寄り添った受け答えをされていて、とても素晴らしいと思いました。

 

私は相手に感情移入してしまいます。その線引きがうまくできないのです。(何しろ立派な共依存症ですからガーン

更には人の話しを聞いているフリをして聞いていないときが多いえーん(これはかつて営業職をしていた時と、認知症の母の介護で身についてしまった悪癖だと思っています)

 

コートさんのように静かに冷静に心に寄り添える私になりたい!

もしもそんな自分になれたのなら、自分の心を見失うこともないだろうから。

それには今の私は無知すぎる。

 

依存症・共依存の闇の中にいるときに、私はどこに&誰に相談すれば良いのその選択肢があることを知りませんでした。

行政や民間のHPを見ても「一人で抱えずに第三者に相談しましょう」と書いてあります。

第三者って具体的にどこ!? 誰の事!? 

その具体的な第三者に相談するとどんなことがわかるのか示してよ。道を教えてよ、と思っていたのです(真っ暗闇の中にいたので、冷静ではなかったのだなと今なら分かりますネガティブ

 

迷って迷って、たくさん泣いて疲れ果てたとき幸運にもコートさんの施設に繋がりました。並行してメンタルケアのブログも見つけて、自己流ですが心の仕組みを学び始めていました。

私にとってこの二つはとっても大きな出会いでした。どちらか一方では闇から抜け出せなかったと思います。

コートさんから直接的な励ましと考えるヒント具体的な対応を教えてもらい、心理系のブログを読むことで自身の心を見つめる作業ができ両輪が揃ったことでようやく暗闇から脱出できたのでした。

振り返れば暗闇のあの時間は「必要」だったかもしれないですが、自分のことを自分が分からないと気付いたときは、本当に愕然としました。

当時と比べたら、ケイトさんが入院したこともあり、私のメンタルは大分回復しています。

 

まだ、依存・心理の世界のほんの入口に立ったばかりだけど、私と同じ苦しみを抱えている方の力になりたい。

力になれなくても寄り添いたい

コートさんやスタッフさんたち、専門職の方が存分に働けるような黒子になりたい

うん。そうだ!

私がなりたい姿はバックオフィスの黒子だ!

そもそも私は前面に立つのは得意じゃないし好きじゃない。陰で支える裏方が好き。そういう仕事がしたい。

採用されるかどうかは分からないけれど、今はできる範囲で依存症や支援や回復や心理や・・色々学ぶ努力をしよう!

 

そんな決意と希望に満ちていました(採否も分からないのにアセアセ

コートさんの施設の面接の日。

早く着きすぎて、カフェで時間調整。コーヒーの味もわからないくらいにドキドキしながら何度も地図を見て。

でもこのドキドキは緊張とは違う、ちょっとワクワクした感じでした。

 

そして面接は無事終了。

 

凄くワクワクした時間でした。就職の面接と思えないくらい楽しかったのです!

採否はわからないのに、私のなかで「ここで働きたい!」という思いは一層高まっていました。

そんな興奮冷めやらぬなか、帰りの電車内で朝からのあれこれを振り返っていました。

コートさん、施設長との面接で、当たり前ですが志望動機を聞かれました。上手く自分の気持ちを説明できなかったけど、「人の心に触れることに喜びを感じるから」みたいなことを話しました。

ここで一つの疑問が湧き上がりました。

あれ? でも、なんで他の仕事にこういう気持ちを感じなかったんだろう?・・・。

 

今までずっとサービス業がしたいと思っていたけど、どうも何かが違う気がしていて。

人と触れ合いたいけど、それはサービス業ともちょっと違うな・・とうっすら思ってはいたのです。

う〜〜ん、なんで??

 

でも帰宅してから気づきました。

サービス業に何故トキメかなかったのか。

 

サービス業は一過性。売ったらおしまい。(毎日会うわけじゃない)

でも「支援」は長く付き合う。長く時間をかけて分かり合い、共に前に進んで行ける仕事。しかも共に成長できる。それはお金に換算できないもの。

そう!! 「お金に換算できない」「こころが触れ合う」これが私には魅力的に感じていて、かつ大事に思うこと。これが仕事で得られたらいいなぁ。

だから、トキメいたんだなぁ・・

 

でも、やっぱり一番は「コートさんと仕事してみたい!!

あぁ、私は心の奥でこういうことに魅力を感じていて、こんな風に思ってたんだ・・・と気付いたのです。

 

また一つパズルのピースが埋まって、本当の私がちょっぴり見えた(自己理解が進んだ)気がして嬉しい気持ちの夜でした照れ

 

 

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コートさんの会社宛に履歴書を発送して、晴れやかな気持ちのまま家計簿をまとめていたときに、ふと1年前の家計簿を見てみようという気になりました。

私は家計簿をつけるときにちょっとした日記のようなものも書き留めていたので、去年の自分たち(私が共依存だと自認できていないとき)がどんな状態だったのかを振り返ってみたくなったのでした。

 

そしたら・・

 

去年のお正月には既にお酒が原因でケンカしており、そして1/30には

「俺、アルコール依存症だと思う」とケイトさんが言っていたことが判明。

こんな大事な告白を私は何も気に留めることなくスルーしていたのです。

しかも

「お客様が飲んでいる様子を見ると飲みたい気持ちが押さえられなくなる凄く凄く飲みたいと思う。そういう自分が嫌だ。」

「俺はもう料理人ダメだ。この環境は辛い。」

「あんたがいいって言ったら料理人やめて農業をやる。そしたらもう飲まないから・・」と。

 

なぜこのとき、アルコール外来を受診させなかったんだろう・・こんなに苦しんでいたのに。

この時すぐにアルコール外来に繋がっていたなら、こんなに苦しむことはなかったかもしれないのに・・ととても悔やまれました。

 

でも、一年前の私はケイトさんがアルコール依存だなんて少しも思っていなかったんですよね。

お酒のトラブルは始まっていて、喧嘩するくらいお互いに傷ついていたのに。

当時の私は、アルコール依存症という言葉も知らなかったし、まして共依存症なんて聞いたこともなかった。

ケイトさんについては「深酒になりやすくて、酔うと悪酔いする人」というくらいの認識で。

だからケイトさんの苦しみに(本当の意味で)寄り添うことができなかった・・

 

でも、アルコール依存症と共依存症を自認している今ならよくわかります。

ケイトさんがどれだけ辛かったのか・・

そして、こうして苦しい胸の内を曝け出してくれていたこのときが治療に繋ぐことができる一番のチャンスだったということも。

 

でも、私たちはここからさらに転げ落ちて行かなければ自分たちがいる場所に気づけなかったのです。

私たち夫婦は、精神的・肉体的・経済的にとことんボロボロになって、初めて「何かがおかしい」「もう苦しすぎて辛い」と気づけたのでした。

 

そして、私がいかに長年にわたってケイトさんに対してイネイブリングを続けてきたのか、このとき始めて気がついたのです。

思い返せば、ケイトさんは何度も「お酒、やめようかな」と言っていたのです。

その度には私はなぜか居心地が悪くて「やめなくてもいいんじゃない? ちょっとだけにしたらいいんじゃない?」などと言ってはケイトさんの好きなお酒を用意していました

お酒をやめよう、やめなければと思っていたケイトさんの足を引っ張ったのは紛れもなく私でした

 

依存症が関係性の病と言われる所以をこのとき始めて、ようやっと理解できたのでした。

 

 

この少し前に、就活をしていることを知ったコートさんから、「ウチで働きませんか?」とお誘いをいただいていました。

電話で一度話しただけで会ったこともなく、私がどこに住んでいて何歳で、どんな経歴なのかも知らないのに、です。

私はコートさんの会社のHPをくまなくチェックしていたので、何となくどんな方なのか想像できていましたが、

コートさんは私の情報は何一つ知らない。なんなら私のフルネームも知らない・・・

それなのに、です。

 

私は改めてコートさんの人としての大きさに感動していました。

コートさんと一緒に働いてみたい!そう思いつつも、現実問題として

①福祉の経験がない

②通勤に2時間かかる

のがどうしても引っ掛かり、一度はお断りしていたのです。

 

でも、就活をするなかで「ここで働きたい!」ではなく「ここでいいか・・」と妥協して応募しているから志望動機が書けないのだということに気づきました。

 

私は、何をしたいんだろう?

これが初めて「仕事」について真剣に考えた瞬間でした。

そして一つの答えを見つけました。

 

 

*コートさんへのメール*

 

度々のメール、申し訳ありません。実はもう一つ気付いたことがあります。

就活をしていて「志望動機」が書けないのは何故なんだろうと、ずっと考えていました。

答えは簡単でした。

純粋に「やってみたい!」と思っていないからだということに気付きました。

早く仕事しなきゃと条件だけを見て、どんな仕事をしたいのか、自分は何が好きなのかを考えていなかったのです。(何がしたいということが分からなかった、見えなかったということもありますが…)

 

以前、私の素性を何もお伝えしていなかったのに、コートさんはお声を掛けてくださいました。

あの時、私はトキメキを感じました。でも、こんな私がお役に立てるなんて思えない という思いと、方向音痴の私が御社まで(しかも満員電車で)通えるのだろうか…という不安が先立ってしまいました。

ですが、自身の心のルーツが見えてきた今、素直に「コートさんと働きたい!」と思っております

事務と接客しか経験がなくても、応募できますでしょうか?

もちろん、断って頂いて構いません。お時間があるときで構いませんので、返信いただけたら有り難く存じます。蒼いぶらうす

*コートさんからの返信*

 

おお!

とっても嬉しいです、ありがとうございます。

 

|事務と接客しか経験がなくても、応募できますでしょうか?

全く問題ありません!

一度、お会いしましょう。お会いして、私が社内に強く推薦していきますので。

我ながら図々しいお願いのメールをよく書けるなと思いつつ、でもコートさんと仕事してみたい!という気持ちがむくむくと湧き上がってきているのを自認したら、「ダメ元でお願いしてみよう!」という気持ちになっていたのです。

これまでの私なら絶対にできないことでした。

 

 

そして面接は翌週に決まりました。

今までと違ってあんなに苦痛だった履歴書の作成がサクサク進み(志望動機も言葉が溢れて来て音譜)短時間で書き上げていました。

 

ずっと苦しいだけの日々が、少しずつ私の中で変化し始めていました。

同じようなことで悩んでいる方へ

依存症や悪習慣を匿名で相談・克服したい方向けSNS『クイットメイト』というアプリがあります。
やめたいのにやめられない苦しみは、決してあなただけではありません。
私自身も共依存カテゴリでお世話になっていて、仲間がいる心強さを実感しています。
もし興味があれば、ぜひ選択肢のひとつとして考えてみてくださいね。

ケイトさんが入院している病院の家族会に参加してみました。病院の家族会は初めてです。

2部構成になっていて、1部は医療者主催のセミナー形式、2部は家族の分かち合いというスタイルでした。

1部の参加者は15名ほどだったでしょうか、小ぢんまりとしていましたが依存症を医学的に説明されることで、依存症が病気であるということを改めて認知できました。

2部の家族会には、どっと参加者が増えて40名程度いたと思います。参加者全員が話すので、2時間以上かかりました滝汗

みんな日々精一杯という思いがどの方のお話からも伝わって来ます。

でも・・・大人数の分かち合いは正直しんどく感じました。根気強く全員の話を聞き続ける職員さんは凄いなぁ、偉いなぁと心から感心しました。

 

家族会終了後、ケイトさんとベンチに腰掛けて。

特に何を話すでもないけど、風もなく穏やかな陽射しを二人で浴びるだけで心地よかった照れ

ケイトさんに避難用アパートのこと、パートを辞めたこと、言えなかった・・

まだ自分のことだけでいっぱいで多分私のことは興味ないと思うし。ま、いっか・・みたいに思ったのもありました。

 

家族会からの帰り道、情報量の多かった1日を振り返っていたらふと気づいたことがあって。

私の心が空っぽになったのは砂の城だったからなのでは?と思ったのです。

一見、綺麗で立派に見える砂の城は、アルコール依存症の波をかぶりあっという間に崩れ落ちた。

そしてついに何もなくなった・・・

 

あれ?

でも、一体いつから砂の城になったの? 

 

そう言えば子どもの頃は活発で石橋なんて叩くもんか!っていうくらい威勢のいい性格だったのに。

いつから引っ込み思案で、物怖じして、常に自信がなく石橋叩いても絶対に渡らない!!私になったのか・・

 

時間を退行して考えてみました。

 

高校生・・・既に自信のない今の私が完成

中学生・・・移行期間でどちらの自分もいたかも

小学生・・・「あ母さんを助けてあげられるのは私しかいない」という正義感は既にあった

気づけば母はいつも泣いていたことを思い出しました。思いやりのない父から母を守れるのは私だけだと、そんなふうに思っていました。

私は常に母の愚痴聞き役で娘というよりは専属カウンセラーだったのです。

 

私の共依存症とACの出発点はここだなと思いました。

あー、私の心のルーツがわかってきた~。で、ここからはどうすればいいのかなぁ?

 

 

*コートさんへのメール*

 

今日は夫のことではなく、私自身のことでご意見を伺いたくメール致しました。

 

最も古い記憶で、「お母さんを助けなくちゃ!」と思い始めたのは年長くらいでした。ただ それ以前に、父が母を労わる様子というものを私は見たことがなかったので、素地としてはそこがあったのだろうと思います。

心のルーツが紐解けたことが嬉しくて、靄が少し薄くなった気分です!

 

そこで、お伺いしたいのは、共依存とA Cの「最初」がわかったら、次は何をすれば良いのかということです。

自分で自分の心が見えるようになるために、次にできることは何があるのでしょう?

もしご存知でしたら、教えていただけないでしょうか。 蒼いぶらうす

*コートさんからの返信*

 

良かったです!

とても素敵な気づきですね。

 

|自分で自分の心が見えるようになるために、次にできることは何があるのでしょう?

すでに次を見据えていらっしゃるのですね。とてもいいことだと思います。

 

皆様よくされているのが、仮にぶらうすさんの次の目標が「より、心地よく生きていける自分になりたい」だとするのであれば、ACの自助グループに行くのはどうでしょう。

 

必ずしも自助グループでなくてもよいのですが、同じ悩みを共有して話し合える仲間を見つけられるとよりよいですね。  

コート